責任は誰に

 エリサンはイラガを促した。


「戻りましょう。ここでの用事は終わりました」

「そうしましょう、先生」


 ギンもシチモンジも。それを確認してイラガも足を引いた。

 二人は森から去って、村へ戻っていく。足を引きずるエリサンの前を、イラガが先導して。


 それを見送って、シチモンジはようやくのそのそと起き上がり、肩に刺さっていた矢に手をかけた。


「どうしますか、ギン」

「なぜ追わないんだ」

「どうしてだと思うんですか?」


 大きく息を吐いてシチモンジが剣を仕舞い、それから傷つけられた腕を面倒くさげに見つめる。それほど深い傷ではないが、痺れたような感じがする。処置したほうがいいだろう。


「あなたは私に、口先だけのヤブ医者が被害を広げているから殺してくれと言った。しかしどうも違う。

 それに実際に命を救われたという者がたくさんいる。

 あなたから金は受け取ったが、あの神官を殺すことはおそらくあなたの名誉をおそろしく傷つける。それに私の名誉も傷つく。

 私もしばらく彼を見ていましたが、根拠のないいい加減な治療をしている様子はない。

 この上まだ、追いかけて殺してしまえとおっしゃるのですか」

「傭兵にも名誉があったか。だが私の妻や子はあの男に殺されたのだぞ」

「そのような理屈が成り立つのであれば、軍医になるものなど一人もいなくなるでしょう。治癒術をもつものは、人の死にふれることになるのは当たり前のことです。

 どちらにしても、私はここまでです。もらった金のぶんは働いたと思いますのでね」


 シチモンジは言い終わると傷口をおさえて、その場から去っていく。闇の中にその姿が消えていった。

 ギンはその背中に何か言おうとして、結局何も言えなかった。彼は別に、専門の殺し屋などではない。ただの傭兵なのだ。

 夜の森の中に、ギンは一人きり。彼はエリサンに叩かれた衝撃でうまく立つことができず、森の中に腰を下ろしたままだった。


 気がついてみればもはや誰も周りにいない。暗い森の中に、一人。

 今更のように、先ほどイラガにぶつけられた言葉が思い出されてしまう。


 本当に最善を尽くしたのか。そうでないから他人にあたっているのではないか。


 そんなことは今まで考えもしなかったのだ。

 ただ、施術した医者が悪いものだとずっと思っていた。思い込んでいた。

 イラガの意見に反論することは、簡単だった。シロウトが口出しできるようなことではなかった、黙って任せることが自分にとっての最善だった。そんなことはいくらでも言える。

 しかしそれはもはや意味を持たない。空虚な論理に成り下がった。

 妻のために何ができたのか。生まれてくる子供のために、自分が何をしようとしたのか。

 自分に、本当に責任がなかったのか。


 ギンは、遅まきながらも打ちのめされていた。

 妻子の死の責任をすべて他人にぶつけて、そしてそれを殴りつけて鬱憤を晴らしていた時とはまるで違った方向性から、彼は打ちのめされた。

 自分が何もしなかったせいで、妻は死んだのだと。その可能性が少しでもあるのだと。


 闇に包まれ冷たい空気の中にいるうちに、ぼんやりとしていた頭が少しずつ思考力を戻してきた。

 思い返せば。

 なぜ、気づかなかったのか。

 もっと早くに、気づかなかったのか。

 自分がより早くに病状に気づいて、もっとよい医者を探し求めていれば、助かったかもしれないのだ。


 ほんとうにエリサンが、あいつがヤブ医者であったというのなら。

 もしそうなら、他の医者を探せばよかったのだ。

 目をそらしていても、あのとき多数の医者がいた。産婆もいた。それでも、妻は助からなかったのだ。

 ほんとうに彼はヤブ医者だったのか。

 では、誰の責任だったのか。誰を殴ればよかったのか。

 それを探すことすら放棄して、目についたエリサンを殴っただけだったのではないか。


 自分の思考が自分を責めようとしている。自分のしたことがひどく間違っていたのではないか、という思考が内側から押し寄せてきた。

 だがそれでも、彼には帰る場所がある。このままここで座っているわけにはいかなかった。

 戻らねばならない。

 闇の中を、彼は歩き始めた。今にもくずれそうな膝をかばうように。



 エリサンの走りは、遅かった。彼は長身であったが、運動は苦手であった。

 イラガもすでに完全に体力を失っていて、思うように走ることができない。それでも村に残してきたモパネのことが気にかかるので、ゆっくり休憩をするというわけにもいかなかった。


「先生を抱えて走れればよかったんですが、ごめんなさい」

「いえ、とにかく急ぎましょう。それと」


 言いかけて、エリサンは少しだけ迷った。今言うべきことなのかどうか疑問に思えたからだ。

 少なくとも最優先にすべきことはモパネという獣人の命を助けることであり、そのためには急いで村に戻らねばならない。

 それでも、口にしておきたいことがあった。


「イラガさん、先ほどはありがとうございました」

「お礼なんて。いいんですよ先生、私は先生に何もかも、全部救ってもらったんですから。その中のほんの少しだけでも、お返しできたならよかったです」


 本当にそう思っている、という様子でイラガはエリサンの左側に立って、支えてくれている。


「とんでもない、あなたがいなければ私は生きていなかったでしょう。今はとにかく村に戻りますが、落ち着いたらあなたに伝えたいことがあります。

 あとで時間をいただけますか?」

「もちろんです。先生のこと以上に大事なことなんてありませんから」


 来た時よりも数倍は速く、エリサンは村に戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る