最善を尽くしたと言えますか?

 その場にいた全員が不意を突かれた。月明りもないような闇の中に、誰かがあらわれるなどとは全く思ってもいなかったのだ。

 声に気を取られ、振り向いた一瞬間にもうイラガの放った矢は闇を切り裂いている。

 これがたちどころにシチモンジの左肩に突き刺さり、ウッと呻いた彼が自分に何が起きているのかを理解するよりも早く、イラガ本人が飛びかかっている。やってきたその勢いのまま、顔面に蹴りが叩き込まれた。

 たまらずにシチモンジは崩れ落ちる。


「イラガさん」


 エリサンは目の前に現れた獣人の名を呼んだ。


「もう大丈夫です、先生」


 武器を持ち直して構え、イラガはそう答えた。もう誰にもエリサンを傷つけさせはしない、という決意から出た言葉だ。

 眉間を射抜かなかったのは、殺した後に取り返しがつかないからだ。殺したことでエリサンに不名誉なことになるのは避けたかった。そこで比較的安全な肩を射た。大きな血管を傷つけることもなかったようだ。

 あとはこの場を制圧して、エリサンを連れて村に戻るだけである。

 シチモンジは生きているが、倒れたままイラガに弓を向けられて立ち上がることもできない。


「邪魔が入ったねえ。あんたがこんなに早く戻ってくるなんて思ってなかった」


 彼は不満そうに、イラガの顔をにらみつけた。イラガもにらみ返して、深く息を吐いた。


「先生をいじめないでください。私と村に帰りましょう、先生」


 イラガは狩人である。剣や短剣で正面から戦うような術には秀でないが、弓の腕なら村の誰にも負けない。獣人の集落でだって、上位に食い込める腕があると自負している。

 シチモンジが何を企んでいても、おかしな動きを少しでもすれば、即時に矢を射こむことができるはずだった。


 この状況はシチモンジにとってまずい。彼はギンに金で雇われただけだ。ここで命をかけるような意味は特になかった。

 万全の状態であればこの状況もなんとかはねのけられたのかもしれないが、肩を負傷しているのでそのような無理もきかない。彼は唸って、なんとか右手に持った剣を離さずにいるだけだ。


「どうやってたらしこんだのやら」


 にらみ合う二人をよそにギンがそんなことを呟く。

 彼は腰に長剣を下げているが、抜いてすらいない。イラガは両手を使ってシチモンジを狙っているので、彼が剣でイラガに襲い掛かればこの状況は変わるだろう。

 ギンはその前にまず問答をしかけるつもりでいるらしい。


「いいか、お嬢さん」


 剣の柄に手をかけることもしないで、イラガに声をかける。


「こいつは罪人なんだ、悪人なんだよ。

 俺の妻と子を殺して、そしてのうのうと生き続けて罪を忘れて、名医名医と吹聴しているようなクズなんだ。

 君はたまたまうまく治療されたのかもしれないが、そんなことでこの男が許されるわけもない」


 エリサンを殺すことは彼の中では決定事項であったが、一応イラガまで巻き込んで殺すことは避けたかったし、事実を知ればエリサンを守ることもしなくなるだろうという読みがあった。

 どうせ、ヤブ医者に騙されているに決まっている。そう決めてかかっていた。

 イラガはじっと黙って聞いている。それを確認して、彼はさらに言葉を重ねた。


「真にこいつが名医だったなら、俺の妻や子は死なずに済んだはずだ。こいつはいいかげんな知識で病人の腹を掻っ捌いて、殺しちまったんだ。

 普通なら医者を辞めるところだろう。そうでなくとも自責の念に駆られるだろう。

 だっていうのに、こいつはどうだい。医者を辞めるどころか神の名まで借りて、たまたま何人か調子よく治療で来ただけで名医名医と言いふらして。こういうやつは死ぬしかないんだ」

「いいえ?」


 イラガは短く返答した。


「先生は真に名医です。過去はどうあれ、今はそうなのです。

 そして先生の治療を望んでいる方があの村に大勢やってきています。今まさに、死にかけている子供だっているのです。

 先生がいなくなれば、その方たちが困ってしまいます。私は先生を死なせるわけにはいきません」


「違う、罪は消せないのだ。

 過去の罪一つに向き合わずに逃げ去ったこの男を今断罪すべきなのだ」


 ギンも言葉を重ねた。


「こいつには確証もない治療法で、俺の妻や子を死なせた罪がある。

 ヤブ医者なんだよ」

「違います。もう十分に先生は苦しまれました。

 あなたは単に、自分の怒りをわかりやすいところにぶつけて、自分を守りたいだけではないですか?」


 思わぬ言葉がイラガから飛び出した。


「なんだと」


 ギンはイラガをにらみつけた。彼は、自分の行いが正義であると信じて疑っていない。

 人殺しのヤブ医者に、当然の罰を与えているのだと思っていた。しかしイラガはそれを否定している。


「私は、先生から聞いて知っています。先生が過去に治療を失敗してしまったことも、知っています。

 しかし先生は精いっぱいの努力をされました。あなたの大切な方を奪ったのは、先生ではありません。病気です。体の異常があって、不幸にしてなくなってしまったのです。

 先生はそれを救おうと努力されて、それが及ばなかっただけです。

 それが非難されるのであれば、あなたも同罪であるべきです。先生に頼ったあなたが悪いのです。もっと他にもたくさん、治癒術師はいたはずです。他の方に頼らなかったあなたも悪いのです。奥さんの体に負担をかけたあなたも悪いのです。

 そうであるのに、先生だけに罪を押し付けてひとりだけ死ねというのはあまりにもおかしい。

 つまりあなたは自分の罪を認めないばかりか先生ひとりに押し付けている。そこは、私には納得しがたいところです」


「いや、違う」


 咄嗟に否定の言葉を口にしたものの、イラガの言葉はギンの急所を突いていた。

 確かに、妻子を失ってしまったのはまず自分が不甲斐ないせいだ。ヤブ医者だとエリサンをこき下ろすのであれば、それを見抜けなかった自分の眼が節穴だったということにもなる。

 今ここにあるエリサンへの憎悪は、実質的には八つ当たりに過ぎない。しかしそれを認めるわけにはいかなかった。


「違いません」


 だというのに、イラガはギンの否定を認めない。彼女は畳みかけるように言葉を重ねた。


「たとえ本当に先生が判断を間違ったのだとしても、先生は最善を尽くしました。だからこそそれを悔いて、悔いて、神様に救いをお求めになったのです。

 あなたは奥さんのために何かしましたか、最善を尽くしたと言えますか?

 そうではないから、先生にいら立ちをぶつけてこのような傷跡まで残るくらいの暴力をふるって、それで発散させようとしたのではないですか。

 奥さんやお子さんを亡くされたことは不幸だと思いますが、それを先生のせいにするのは違います。ましてや、先生はもう十分に罰を受けて苦しまれています。いままた名誉を回復したからといって、それを台無しにするのは度を過ぎています」

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