名誉の剝奪

 少しだけ事情を聞かれるだけだろう、とシチモンジはエリサンに語った。

 異端が疑われるといってもわずかなことであるし、釈明の材料も十分にある。そのまま投獄されるというようなことはまずない。

 そのことはエリサンにもわかっている。

 ただ、すでに夕暮れの時間だ。今から町に向かうのであれば、かなりの時間がかかる。到着は深夜になるだろう。本来ならば、明日の朝に出発を延ばすべきであった。

 だというのにシチモンジは今すぐに出発することを求める。


「ええ、危険ですが仕方ありません。後に延ばすほど疑われてしまいますので」


 確かにこの指摘は正しい。

 今行かなければならない。エリサンはキャンドルランタンを持ち出し、シチモンジの後について村を出ることにした。


「参りましょう」


 だが村を出たシチモンジは、まっすぐに町に向かってはいなかった。わざわざ人の通りのないような、けもの道へと折れていく。

 エリサンは不思議に思って聞いてみたが、


「近道を教えていただいています、少し険しいですがこちらを行きましょう」


 と返されて何も言えなくなった。確かに早く町に着くのに越したことはない。こちらは遠方からやってきた上役を待たせている身であるのだから。

 近道などあったか、とも思えるがエリサン自身イラガが来て以降は山に入ることが少なくなっている。強く言うことができない。深夜に山の深いところに導かれることに不安を覚えながら歩む。

 キャンドルランタンの灯りは頼りない。まだそれほど分け入っていないのに、周囲が鬱蒼とした森に見えている。

 頬に当たる湿った風が、妙に冷たく感じられた。

 しばらく歩いた先でシチモンジが立ち止まった。そこには灯りをもった誰かが待っている。


「あなたは?」


 このような闇の中に誰がいるのかとエリサンは誰何の声をあげる。だが返答はなかった。

 代わりに彼は持っていた灯りを高く掲げて、顔を見せてくる。照らされた顔は、エリサンの知っている人物だった。


「まさかギンさん、ですか。私に何か」


 エリサンがギンと呼んだ男は、彼の義兄だった。姉の夫だ。

 かつてエリサンを襲撃して足腰立たなくなるまで殴りつけて、去った男である。

 それから何年も経っているが、エリサンが知っている頃からあまり変わっていない。少しばかり髪を伸ばしそれを後ろに流したほかは顔のしわが増えたというくらいだ。もともと掘りの深い顔だちだったが、さらに渋みが増している。

 旅の服を着てマントを羽織い、ギンはエリサンをにらんでいた。

 彼がこんなところにいるということがどういうことなのか、エリサンは想像しかねた。しかし彼が怒っているということは感じ取れる。


「お前がこんなところで生きているとは思わなかった」


 ギンが太く低い声で、エリサンを指差した。


「それも名医とうそぶいて、やりたい放題をしているらしいときいた」


 エリサンは何も言い返さない。黙って彼の言い分を聞いている。


「俺の妻と、子供はあんなに簡単に殺してくれたというのに。凝りもしないで医者の真似事か。しかも名医名医と吹聴されてずいぶん調子に乗っていると。

 それじゃなんだ、俺の子供はどうして死んだんだ。お前が名医だというのなら」


 まったく答えようがない。確かにエリサンが名医であるなら姉は死なずに済んだはずだった。子供も無事に生まれてきたはずだ。

 手は尽くしたが、それが余計なことだったかもしれない。エリサンには割り切れることではない。


 目の前にいるギンは、エリサンを許せないという。

 おそらく彼はずっと割り切れずに、恨んで生きてきたのだろう。自分の妻と子を殺したエリサンが誰かに称えられていることに我慢がならないのだ。

 だからこうして、シチモンジという人間を雇ってエリサンを連れ出し、ここで私刑にかけるつもりなのだ。


 そういった事情は分かった。

 周りを見回したが、すでに太陽は沈んでいる。星も見えない暗闇の中だ。誰かがこの異変に気付いたとしても、助けは来ないだろう。

 おそらくここでエリサンは殺されるだろう。


「私を殺すのですか?」


 エリサンはそう訊ねてみた。


「そうだ」


 とギンが答えて、指先で何か合図を送った。これをうけたシチモンジがどこに隠していたのか剣を引き抜いて、切っ先を下に向けて構える。

 キャンドルランタンの頼りない灯りでも、その刃が鋭く磨かれたものであることはわかった。


 なるほどどうやらここまでか。

 エリサンはそのように考えて、その場に膝をついた。


 彼はずっと死を願ってきた。

 誰かが自分を殺してくれはしないかと考えながら、これまで生きてきたのだ。

 これでやっと死ねる。


 長い間逃げ回ってきたが、ようやく自分の退路は断たれた。

 どれほど救いを求めようとも、女神像に祈ろうとも、医者としての知識をひけらかそうとも。最後には悔い続けてきた事件が蒸し返されて終わるのだ。

 罪は罪として、最初から受け入れるべきであったのだ。救うべき人を救えなかったあの日に、命を絶つべきであった。

 それができないままここまできたのだ。


 イラガとキサラのことが心の奥底によぎったが、エリサンはそれを無理にも追い払った。

 彼女たちも、自分のような者からは離れたほうがいい。おそらくずっといい結果になるだろう。

 そんなことを思い込んだ。


 ギンとシチモンジは理由をつけては未練がましく生きている自分に、引導を渡すためにやってきたにちがいない。


 やはりキャンドルランタンの灯りはとても弱い。周囲は闇のままで、何も見通せない。

 だがその仄暗い闇でさえも、自分の弱弱しい心と悔恨を隠してくれるような気がした。死への恐怖よりも、覚めることのない眠りにつけるという気持ちが勝ってきた。


「どうぞ、やってください」


 膝をついたまま、エリサンは頭を下げた。シチモンジの持っている剣の輝きなら、恐らく一撃でエリサンを殺すことができるだろう。

 この上は早く始末をつけてもらいたかった。


「いや、まだお前にはやってもらうことがある。すっぱり死んで、名誉が残っちゃたまらないんだ。

 これに見覚えがあるだろう、見てみろ」


 ギンは懐から手紙をとって、エリサンに突き出してきた。

 顔を上げてそれを受け取ってみれば、見覚えのあるものだ。エリサン自身が書いて送ったものだ。

 最新の医学知識を少しでも得られればと考えて、あちこちの研究派閥へ送った手紙の一つ。それがギンの手元にある。


「お前が書いたものだ。お前は聞きかじりの知識であちこちの病人の体をいじりまわって田舎者たちを手懐け名医名医と吹聴させて、それで医学の研究派閥に取り入ろうとしていたわけだ。

 とんだ悪党だった。

 それにあの獣人の女、まだ子供だろうに病気が治った後も恩着せがましく手元に置いて、情婦にでもしたのか。

 まずそれを全部認めてもらおう。自白調書を作ってもらう」


 彼はどうやら、エリサンの命だけでなく名誉まで奪わねば気が済まないらしかった。

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