密告

 名医に治療してもらおうと様々な人々が来ている。馬車に乗り、または馬に乗り、あるいは徒歩で、エリサンのもとへやってきた。

 イラガの言っていたようにエリサンが何者かに狙われているのであれば、こうした状態であるほうがむしろ安全だった。たくさんの人の目があれば、迂闊にエリサンに手を出すことはできない。


 エリサン自身からしてみれば、そのような恐ろしい気配はまるで感じられなかった。

 あれから村の中でも動物が殺されるなどの事件は起きていない。ハスオやタテハの母といった村人たちも警戒しているが、毒草の混入どころか、怪しい気配を感じたという話すら聞かない。

 もはや脅威は去ったのかもしれない。


 見習い医師たちは昨日ずっとエリサンの近くについていたが、今日は患者たちを整列させ問診を行い、手伝いを務めていた。


「先生、待合から一人ずつ連れてきます」


 経験のある見習い医師が率先し、効率よく診察できるように計らってくれる。

 エリサンは部屋の中に座って、患者たちがやってくるのを待つだけで良かった。これは助かる。


「ええ、助かります。ですがあまり気をはらずにどうか、交代で休んでください」

「大丈夫です。最初の患者さんをお連れします」


 こういって彼はキビキビと動いてくれる。

 患者も特に難しい対応を迫られるようなものはなかったので、平穏だった。彼にとっては慣れたことだ。

 治癒術師として、また神に仕える者として恥ずかしくない態度をつらぬく。にこやかで優しく対応する医者になった。

 やってきた患者たちはみな安心し、エリサンに身を任せる。見習いたちから見れば理想の名医であった。

 そのうえエリサンはそれまでと同じように、患者たちに料金を請求することもしない。

 これに戸惑う患者がいくら支払えばいいのかと切り出せば、


「お代は請求していません。余裕のあるときに、お気持ちを頂ければ十分です」


 と柔らかに返している。

 大半の患者はそれでは悪いからといくらか支払って帰る。額はまちまちだったが、エリサンにとっては十分な額だった。もちろん支払わない者もいるが、それはそれでかまわない。そういった者もわけへだてなく笑顔で見送った。

 誰の目にも彼が無欲な名医であるように見えた。善人であるようにも見える。

 事実上まったくの無料で診察していることについて「他の医者のためにも少しは請求したほうがいいのでは」と見習いたちが言い、エリサンが困った様子を見せたこと以外は、全く平和に一日が過ぎた。


 彼はその日、全ての患者の治療が終わってもまだ休まない。

 キサラの容態を見た。容態は安定していて、本人も喜んで働いているくらいだが油断はできない。いつ悪化するかもしれないのだ。


「キサラさん、今日も一日しっかり働いてもらって本当に助かりました。夕食までもう少しお待ちいただけますか」


 触診をしながらそう言って、今日もどうにか健康に過ごせたことを確認する。

 キサラの治療のことを考えない日は一日たりともない。しかしいまだに、どのようにすれば彼を治せるのかは全くわからなかった。死んだあとならともかく、治療するために生きているうちから体中を切り裂いて中を見てみるというわけにもいかない。

 過去の症例から疑わしいのは喉元の器官だ。新陳代謝にかかわる小さな臓器がそこにあることは知られており、おそらくここに何か異常がある。だがキサラのここを念入りに触診しても、異常があるようには思えなかった。触診でわからないような異常があったとしても、エリサンの知る方法で治るのかどうかも怪しい。

 疑わしい器官はもう一つあるが、脳の真下にある小さな部分で、生きている間にそこを調べる方法などエリサンにはどう考えても思いつかない。

 結局のところ、エリサンはキサラの治療に踏み切ることができずにいる。



「先生、教会の関係者という方がお見えですが」


 と、見習いの一人がエリサンを呼びに来た。夕食をとろうとしていた彼は、あわてて立ち上がった。

 すでに食事の準備はできている。

 こんな時間に一体何の用事だろうかとも思ったが、教会の関係者というのであれば行かねばならない。エリサンはキサラに先に食べるように伝えて、客人の応対に当たった。


 その男は待合で待っていたが、エリサンと同じような黒い司祭服を着ている。

 髪は黒、肌は白くて掘りは深い。眉は薄いが両目は深くに引っ込んで、影が落ちていた。何か、司祭とは思えぬような酷薄さが見えているような、そんな気さえもする。

 装飾品は全くつけておらず、内縫いの革靴の先が裾からわずかに見える程度であった。


 この男を、エリサンは見たことがなかった。このあたりで活動している司祭や司教なら顔や名前に覚えがあっても不思議ではないが、よそから来たのかもしれない。


「ようこそ。私がエリサンです。この出会い、女神のお導きに感謝します」


 決まり文句のような挨拶をして握手を申し出ると、その男はにっこり笑ってエリサンの手を握り返してきた。


「女神にお導きに感謝を。私はシチモンジという者で、つい最近神学校を出たばかり。医師としても神の使徒としても人々を救う名医エリサンのことは聞き及んでおります」

「私などまだまだ。今日はどのようなご用でしたか」


 シチモンジは笑ったままで、ぎゅっとエリサンの手を握りしめてこたえた。


「誠に遺憾ですが、あなたに異端の疑いがかけられております」

「はあ、そうですか」


 エリサンはおどろいたが、それは顔にも言葉にも出なかった。どこかに納得があったからだ。

 彼はずっと土の精霊であるママユガに感謝をささげていた。女神像への祈りも無論行っているが、司祭としてはあまり褒められた行いではないことはわかっている。

 過敏な者が異端ととらえたとしても、仕方ないだろう。だが、疑問は残る。エリサンはそれをぶつけた。


「しかし私はすでに、教会を出ております。援助などもいただいてはいませんが、なぜ異端信仰などといわれるのでしょうか」


 シチモンジはこれに答えた。


「密告がありました。調べてみれば、あなたは神に仕える身であると言ってこの村に来られている。

 もともと教会のほうで司祭となられているのであれば、一応真意を直接聞きたいというのが上の意向です。急なことですが、町まできてはいただけませんか。そちらで司教さまがお待ちです」

「わかりました」


 どうやらそれほど大した問題にはならなそうだ。直接司教に会って話をすれば、問題にはなるがおそらく直接的に処分されるということはないだろう。

 今後ママユガさまへの感謝が認められないと言われてしまった場合は、困ることになる。そこは譲りがたいが、どうするべきだろうか。


「準備をしてきますから」


 彼は見習いたちに事情を話し、シチモンジと一緒に村を離れることとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る