見習いの助手
だから、イラガはそれを否定した。ハッキリ言わなければならなかった。
「もう、この集落に住むつもりはありません。今日は用事があってここに来ただけです」
「生意気を言いよる」
オサは溜息を吐く。どうやら彼にとってはイラガはまだまだ子供であり、未熟であるらしい。
それがもう一人前の口をきいて、集落と対立する構えを見せているのだから、あきれているのだ。
「お前のように未熟な者は、どこへいってもやっていけまい。どこかで世話になって一冬越したので調子に乗っているのかもしれんが、お前の知識や技量などはまだまだ。
ひとりでは、次の冬を迎えられるかどうかも怪しいものだ。わかっておらんのか」
「オサがそう思っているのなら、それでかまいません。どちらにしても、私は冬を生き延びました。
私が言いたいのは、あのように呪いとか言われていても、ちゃんと適切な治療を受けられれば生きられるということです」
イラガがきっぱりとそう言い切ったので、オサたちは気色ばんだ。
たまたまうまく生きられたからといって、何を言っているのかと彼らは思った。
しかし反論をしようとする前に、イラガは畳みかける。自分の用事を済ませたかったからだ。
「オサ、私のように呪いをかけられたとか、体の調子が悪いなどがあるなら治療すべきです。
私を直してくださったのは、山向こうの村に住んでいるエリサンという名医です。彼を頼るべきです」
「それをいいにわざわざきたのか」
「そうです」
きっぱり言って、ぐるっとまわりを見回した。イラガを囲んでいる獣人たちはいずれも精強で、狩りもうまかった。病気などものともしなさそうな、屈強な者たちだ。しかしどうしようもない病気や体調不良は存在する。
「もしも私のように呪われてしまったとか、弱ってしまったとかいう人があれば、集落から捨てるなんてことをしないでほしいのです。
そんな方が今もいるのなら、私が引き取って連れていきます。先生に治してもらえるはずですから」
「勝手にすればよかろう。放逐した者たちがどうなろうと、知らないことだ。
しかしイラガ、そこまで言ったのだ。ここでこのまま去ったのなら、二度とお前がこの集落に戻ることは許されないと思え」
オサは脅すような口調で低くそう言ったが、イラガは首をかしげるだけだった。
「いまさらそんなこと、なんの脅しにもなりません。自分たちで追い出しておいて、いったい何を言っているのですか?
それより、弱った人が今もいてそれを私のように追放するつもりであるなら、治療できる人のところに連れて行くと言っているのです」
「それは勝手にするがいい。お前が戻らぬというのであれば、それで話は終わりだ」
「オサ」
踵を返して帰ろうとしたオサに、一人の狩人が声をかけた。
「モパネのことを、イラガに頼んではどうしょうか。やつはもう」
「ああ、そうだったな。なら連れてきてやれ。どのみち助かりはすまい」
一人が集落の中に戻っていく。どうやら病人がいたらしい。
イラガは少し驚いた。まさか、本当に放逐されようとしている者があるとは思っていなかったからだ。
本当ならイラガはこのような成果のなさそうな、そして面倒になることが目に見えていた自分の集落に戻るということは、したくなかった。村にいてエリサンを得体のしれない気配から守っていたかった。
それを押してここに戻ってきた理由は主に、自分のせいでエリサンの評価が下がることを恐れたことによる。
さらに言えば、手紙が来たからでもある。獣人たちではなく、ここに手紙を届けた行商人からだ。別の行商人に託され、手紙を届けたときの様子が報告されてきたのだ。
イラガが治ったということをあまり信じていないようだった、それに集落にまだ病人がいるようだ、という内容である。
もし仮に、本当に病人がいて放り出されようとしているのなら見過ごせない。そう思ってはいたが、自分のように放逐されようとしているとまでは考えていなかった。
獣人たちとて、未開の蛮人ではない。普通の病人ならば、獣人たちも治療を施す。けが人も面倒を見るくらいのことはしている。
イラガの場合、あまりにも見た目が変わりすぎた。そして、それが伝染することを集落の者たちが恐れたので放逐ということになったのだ。なので、相当なことがなければ放り出されるようなことにはならないと思っていたが、違ったらしい。
重ねて裏切られたような気持になりながら、イラガはオサたちが戻ってくるのを待った。
ここで連れ出されたモパネという獣人は、子供だった。
狩人らに抱えられてやってきた彼は目を閉じたまま両手足を折りたたんでいる。日の光がまぶしいのか、顔をゆがめて口を開けているが、何も言葉はない。
「モパネ!」
イラガは驚いた。彼女が知っているモパネはいたずら好きで元気な子供というものだったが、いまやその面影は全くなくなっている。まるで子犬のような快活さで子供たちの先頭を走り回っているような子が、薄汚れた毛皮に痩せた手足で、ぐったりとしている。
たった一冬の間に何があったというのか。
「しばらく前、三日くらい前からそんな調子だ。食べ物も食えなくなった」
「おそらく、どこかで悪い呪いをもらってきたのだ。古くからこのようになった者は10日ももたずに死んでおる」
そのように狩人とオサが説明してきた。イラガは荷物の中から毛布を出して、モパネをくるんで受け取った。日の光を当てないほうがいいように感じたからである。
モパネの両親の了解はあるのだろうかとも思ったが、オサの決定には逆らえないだろう。
「連れて帰ります。もし、他にも患者がいたらエリサンのところへ連れてきてください」
毛布の中のモパネはとても軽くなっていた。かなり衰弱している。
自分の知識でどうにかなる病気ではない、とイラガは判断する。すぐにエリサンのところへモパネを連れていく必要があった。
だからオサたちへの挨拶もさっさとすませて逃げるように立ち去った。
できるだけ急いで、来た道を戻らなくてはならない。
「おい、イラガ」
聞こえてくる声には、何も返すことはない。ただ、腕の中の子供しか見えていない。
イラガは慎重に走り出した。
一方、エリサンのところにはすでに何人かの医師見習いがやってきていた。
オムが町で募ってくれた人材である。やってきた見習いは二人で、いずれも男性だった。二十歳はいってないだろうというような、若い男だった。
「すばらしい名医に師事することができて、幸運です。どうぞ、なんでも言いつけてください」
「どんなことでもします」
と、二人はそれぞれ言ってきたのだが特にさせるような仕事も思いつかない。
エリサンはひとまず忙しくなるまでは彼らに治癒術の講義を行っていくことにした。一人前の医師に仕込もうとするなら教えることはいくらでもある。エリサンは名医ではないと自分では思っているが、それなりに経験を積んだ医師であり、若い医師に伝えたいことは多い。
彼らは休憩所で寝泊まりし、エリサンのために何でもすると言っている。
一人はごく普通の男で、エリサンほどではないが外見もよくない。しかし学習意欲は十分以上にあり、硬筆とメモを構えて師の言葉を一言も逃すまいとしている。
もう一人はといえばすでにそこそこの治癒術をかじっていた。どちらかといえば名医とされるエリサンに心酔している様子であり、もう一度勉強し直したいということでやってきたらしい。
急に人手が増えたことで、正直持て余している部分もあったが、オムが紹介した患者がやってくるようになってからは忙しくなった。
それまでは村人たちのマッサージ程度だったが、問診から触診から、やることが一気に増えた。薬の調合も当然せねばならないし、患者たちの具合をまとめるカルテも作成しなければならない。
エリサンはそうした対応のため、見習いの男たちを使うことになる。
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