帰郷したイラガ
数日後、イラガは獣人たちの集落に向かって歩いていた。
久しぶりの帰郷だったが、懐かしいと思う気持ちはあまりなかった。彼女は使命感をもって、歩みを進める。山林の中に隠れるようにつくられた集落へ。
ここを出た時には、着の身着のままで、のたれ死ぬために歩いて出た。
しかし今はすっかり回復し、その感覚も以前よりも研ぎ澄まされてさえいる。イラガは日差しを避けるためのマントを頭からかぶってゆっくりと集落に近づく。
昼頃だったので、集落の方角からは煙が上がっているのが見える。きっと何か料理を作っているのだろう。もう少し進めば家屋も見える。
そんな彼女に声がかかった。
「とまれ、何者だ」
目の前に現れたのは、獣人の男たちだ。すでに弓に矢をつがえて、こちらに向けている。
イラガはマントを脱いでから、短くこたえた。
「私」
一番先頭に立っていた獣人が、目を見開く。彼だけではない。ほとんどの獣人がイラガの姿を凝視している。彼女が追放されてから、まだ半年そこそこといったところだ。
知らなかったわけではない。イラガ自身が手紙をよこしていた。
その手紙では、呪いは解かれて命をつなぐことができたこと、そして、山向こうの人間の村で暮らしているということが知らされた。これだけしか、イラガは書かなかったのである。自分が生きているということを伝えて、悔しがらせてやろうという他は何も考えていなかったからだ。
つまり獣人たちは、まさにイラガが治癒したということを今初めて、その目で見たということになる。
「おまえ、イラガか。よく帰ったな」
言いながら、じっと彼女の姿を観察した。手入れされた毛並みと、ふわふわとした尻尾が戻っていた。
病気のためにガサガサになって毛が抜け落ちた彼女の姿は、もうどこにもない。未来を嘱望されていたイラガの姿がよみがえって、戻ってきたのだ。
このときの獣人たちの反応は、三つに分かれた。
「これから忙しい時期だ。イラガがいれば心強い。腕は鈍っていないだろうな」
などと何も考えずにただ戦力が増えたと嬉しがり、イラガに近寄っていったものはまだ好意的なほうだ。
そうしないで口を閉ざし、距離をとっている者は恐れている。自分たちが追い出したのだから、その報復に来たのかもしれないと考えているのだ。
さらに慎重なものは呪いが再発するのではないかと疑い、武器を下していない。
「別に呪いが解けたから帰ってきたわけではありません。この通りに治ったってことを、しっかり見せておきたかっただけです」
イラガはそういって衣服の袖をまくって、二の腕のあたりまで見せた。茶色の毛皮が戻り、思わず触ってみたくなるようなふわふわとしたものになっている。
「たしかに、治ったんだな。そりゃよかった。帰ってきたんだから、しっかり働いてもらうぞ」
へらへらと笑って、獣人の一人がイラガの肩を叩こうとした。イラガは身をかわして、下がる。
「気やすく触らないでください」
「つれないな」
彼としては、病気から回復したイラガが故郷に戻ってきたのだから、それまでのように働くのは当然のことだと考えている。集落のため、獣人たち全体のために奉仕して働くというのは当たり前だ。そしてまた、働けなくなったものが群れから放逐されるのも自然なことである。ましてや、呪いを振りまく恐れのあったイラガを追い出すのも。
しかし追い出された側であるイラガからしてみれば、自分を放り出した集団である。何も思うなというのは無理な相談だった。少なくとも、仲間づらをされるようなことには、虫唾が走る。
「このように治ったのは、先生に診てもらったおかげです」
「へえ、じゃあその先生っていうのはよほど腕のいい呪い師なんだな?」
「そもそもあれは呪いではなかったのです。病気だったんです」
「あんなものが病気なわけがないだろう」
イラガはここで話していても、相手を説き伏せるのは無理だろうと思った。
自分は警戒されている上に、獣人たちはあれを病気だと認めようとしない。見た目があれほど変わるからには、何者かに呪われたのだと本気で思っている。
そこで彼女は早速本題に入った。
「ともかく、治ったのです。それを言いたくて、私は帰ってきました」
「少し待て。オサに知らせてくる」
イラガと話していた男は、手近な者に向けてあごをしゃくった。一人が頷いて、集落の中に走る。
しばらく待っていると、獣人の中でも特に年のいった男が杖をついてあらわれた。彼がオサだ。集落の中の獣人たちを取りまとめている。
彼はまず周囲の様子を見て、軽く杖を掲げた。察した獣人たちは弓を下ろす。ようやくイラガに向けられている武器はなくなった。
やっとイラガは緊張を少し緩めることができたが、彼女の仕事はまだこれからだ。
「戻ったか、イラガ。呪いは解かれたのか?」
「いえ、あれは呪いではありませんでした。病気で、先生に治していただきました」
オサは黒い毛皮の奥にある両目で、じっとイラガの様子を見てから頷いた。
「治ったならよい。しばらくは端の家に住まって、狩りは一人でするがいい。もう半年ほど様子をみて、また呪われることがなければ皆とも触れ合えるだろう」
どうやらオサもイラガのことを誤解している。イラガは別に、集落に半年前と同じ暮らしを続けたくて戻ってきたわけではない。
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