最悪の想定

 さすがにそれは過剰ではないか。

 と、エリサンは言いかかった。多数の兵士をここに派遣し、常駐させるということだろうから、とんでもなく金がかかるに違いない。それを、自分一人のためにするというのであれば遠慮もしたくなる。

 しかしオムはそれを許さなかった。


「遠慮などしてくれるな。こちらとしてはお前の意思など無関係に強行する気持ちもある。

 なにより、お前のほかにキサラを任せられるような医者はおらんのだから。お前も見たように、あんなまがい物を特効薬だと偽って売りつけてくるような下賤な輩があふれている。

 そしてキサラはお前に懐き、イラガを姉といって慕っているではないか。それを失うことは、俺には大きな損失なのだ」


 言っていることはわかるが、いくら金持ちであっても、そのように金をつぎ込んでいては。彼の財産とて無限ではないだろう。

 そのように反論もしたかったが、続く言葉によって封じられた。


「お前は俺が出した金を全部、キサラのために惜しみなく使った。

 俺もキサラとお前のために、金を惜しみなく使うだけだ。それをダメだとお前が言う権利はない。

 仮にお前がどのような悪人であろうが、自分でどれほどの卑劣漢だと思っていようが、俺が生かそうといっているのだから、お前は生きねばならん。そんなお前を慕うイラガも、生かさなければならん」

「そこまでおっしゃられては」


 反論の余地はなかった。エリサンは表情を引き締めた。

 オムはさらに言葉を重ねる。


「お前を狙っている者が誰なのかは知らんが、キサラの主治医を狙っているとあっては、黙っておれん。

 俺がそのたくらみを徹底的に叩きのめしてやろう。傭兵を10人も雇えば、敵も手出しができまい」

「いえ、少し思うところがあるのですが」

「何かあるのか」

「もしもイラガさんの言うことが全て正しいとしたなら、恐らく敵はイラガさんを強敵とみていると思うのです」


 冷静になり、エリサンは自分でこの状況を整理し、先の予想を立てている。

 怪しい気配はこちらをじっと観察し、そして撤退している。これはイラガがエリサンを護衛し、手が出せないと見たからではないか。

 さらに直接井戸に毒を投げ込む、矢を射こむなどの手段を取らず、村の家畜を殺して存在をアピールしてこようとした。これもただの脅しではなく、イラガ一人に負担をかけて、彼女を潰す目的があるとすれば納得できる行動だ。

 そうしてイラガが満足に動けなくなったところで、おそらくエリサンを殺しに来る。

 これで自分一人が死ぬのであればそれでいいが、イラガもキサラも悲しむだろうし、道連れになってしまう可能性がある。


「ようやくまともな目をするようになったな。

 こちらとしても、お前には何としても生きていてもらわねばならん。あと50年は死なせんぞ。

 イラガもそうだし、キサラもそうだ。くれぐれも自分など死んでいいなどとは考えるなよ」

「もちろんです」


 これは嘘だった。

 確かに、あれほど自分を慕ってくれているイラガを死なせるわけにもいかない。キサラの治療を放り出すわけにもいかない。

 死に場所を求めてきたはずなのに、エリサンは自分一人だけの命ではなくなっていた、とはいえる。

 しかしそれも結局、欺瞞だった。神に背いて自殺もできない男が、そのうち訪れる死の間までは何とか生きよう、という程度だ。彼がずっと、死という救いを求めていることは変わっていなかった。

 何が何でも生きてやる、という気持ちは彼にはない。

 それでも今は、模範的な善人として対策を考える。


「私が思うに、毒餌で牛を殺そうとしたのはイラガさんをああして追い込むためでしょう。

 警戒して村の周りを練り歩くようになれば、それにともなって少しずつ騒ぎを起こし、より疲れさせるということもありえます」

「なるほど。だがそんなことをするより、獣人の矢を使って獣を射こんだり、民家に打ち込むなどすればよい。

 そうすればやつはこの村にいられまい。村人たちは獣人がおかしくなったと思うだろうからな。冤罪を背負わされて、反感を買うだろう。あいつの性格から考えても、そうなれば自分から村を去る。

 そうしてイラガを排除してから、あらためてお前を殺しにかかる」


 オムの予想は最悪のケースではあったが、全くないとも言い切れないものだった。今のイラガはピリピリしているし、獣人というものは何かと目立つ。一冬過ごす間に村の中では受け入れられつつあるが、それがいつ裏返って疎まれるようになっても、大して不思議なことではない。


「そうなる前に、一体誰が私を狙っているのか調べることはできないでしょうか」

「相手も本業だろうから、難しいだろう。兵を雇う方が現実的だ。むしろここを引き払うまであり得るが」

「それは」

「できんだろうな。そういうところまで相手は見ているのだ」


 そこまで言って、オムはエリサンの目を見た。


「ならばどうする」


 返答に窮したとき、扉が開いた。イラガが戻ってきたのだ。


「先生、そろそろお昼ご飯を」


 茶色の毛皮をもつ獣人、イラガはカワラバトを手に持っていた。村の中を歩く途中で射落としたに違いない。

 驚くべきことに、矢はハトの頭に刺さっていた。狙ってそうしたのなら、恐るべき腕だ。狩人として、彼女ほどの技量をもった者はなかなかないだろう。

 このまま何もせずにいるというわけにもいかない。かといって、傭兵をぞろぞろと村の中に入れては。

 何か手はないか。

 エリサンが頭をひねっていたところに、イラガは軽い調子で言った。


「お話し中のところにすみませんが、先生。私少し、やりたいことができたのですが」

「やりたいこと、ですか?」


 不意をつかれて、エリサンは彼女の顔を見返した。

 そうです、とイラガはこたえる。


「敵は姿を見せてきませんし、キサラは今のところ特に問題なさそうです。

 だったら私、町へ行って先生のこと宣伝してきます。集落に帰って、獣人たちの患者を連れてきてもいいです。

 もっともっと、先生のところに患者さんが来るようになれば、先生を狙っている悪党も考え直すかもしれませんし、機会を失うかもしれません。貴族とか、領主さんが先生のお得意さまになったらもう、手出しなんてできなくなりますから」

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