ふわふわの毛皮
いつの間に眠ってしまったのか、朝日をまぶしく感じたエリサンは目を開けた。
日が昇っている。部屋の中も明るくなっていた。
寝起きのぼんやりした頭で起きだそうとしてほとんど無意識に伸ばした手が、何か柔らかくてあたたかいものに触れる。
ふわふわとして、触り心地のいいものだ。まるで犬や猫でも撫でているような。
そこまで考えて、エリサンは上体を起こした。
あわてて確認してみれば、自分の手が触れていたのはイラガの肩だった。 どういうわけか、彼女はエリサンの隣に倒れこむようにして寝ていたのだった。眼は閉じられて穏やかに呼吸しており、どこか怪我をしているという様子もない。
触ったのが危うい個所ではなかったことに安堵しつつ、エリサンはイラガの顔を見やった。
深夜まで緊張を切らずに頑張っていたはずだが、やはり疲れには勝てなかったのだろうか。このまま寝かせておくべきだろうと彼は考える。
イラガは薄着だった。昨夜はフード付きのケープマントを着ていたはずだが、いつのまにか椅子の背もたれにかけられている。脱いだというより、脱ぎ散かしたというほうがあっているだろう。下半身はズボンをはいているが、上はほとんど肌着だけだった。
ふわふわの毛皮が見えている。茶色の暖かそうな毛が、縞模様を作って体全体を覆っていた。
さきほどは知らぬ間に触れてしまったが、やわらかくて気持ちが良かった。もっと触ってみたかったが、エリサンとしてはそのようなことができない。
すやすやと寝ているイラガを起こさないようにして寝台を抜け出し、朝食の準備にかかった。
イラガが起きだすのは、太陽が南に差し掛かってしばらく経ってからだった。
「先生、大丈夫ですか。私としたことが、こんなに寝てしまうなんて」
彼女は寝台の上でギラギラと輝く太陽に気づくと、飛び上がるようにして起きだし、マントをひっつかんでエリサンの近くにやってきた。まるで矢のような速さでだ。
エリサンはいつものとおり、薬の調合をしながらにこやかに笑ってこたえる。
「いいえ。特に問題は起きていません。イラガさんこそ、一昨日からずっと気を張り詰めていらっしゃったでしょう。もう少し寝ていても構わないのですよ」
「そんなことできません。先生、先生はまたいつ、怪しい輩に狙われるかわかったものではないのです」
イラガは本気でそう言っていた。
真にエリサンのことを心配しているのだろう。
「怪しい気配は昨日の夜に、どこかにいってしまいました。それでつい油断して眠ってしまいましたが、またいつ奴がくるかしれません。
一体どうして、ぐずぐず眠っていられるものでしょうか」
深夜のうちに、確かにエリサンのまわりにいた怪しい気配は消えた。しかし手を引いたとは限らないし、むしろさらに戦力を整えて襲撃をしてくる可能性もある。
そうなったときにエリサンを守れるのは自分しかいない。
「そうかもしれません。ですが、あなたが疲れていたのではどのみち同じことです。
ご無理をなさらず、ゆっくりお休みになったほうがいいかと思いますが」
「それはそうかもしれませんが」
「なに、私はこのように体も大きいのでそうやすやすとは倒れません。イラガさんの健康のほうがよほど大事ですよ」
そういわれてもあまり嬉しくはなかった。エリサンがいないのでは、いくら自分が健康でも仕方がない。
先生には危機感がない、と軽く息を吐いたところで考えを切り替えてみる。あの怪しい気配は、なぜ一度撤退したのだろうか。何か都合があって消えたのなら、しばらく近寄っては来ないかもしれない。
怪しい気配がいない今のうちに、狩りにでかけておくべきかもしれない。
いや、いっそのことこの村のことは捨ててエリサンとキサラを連れて脱出するべきかも。知らないうちに川に毒を投げ込まれるということもありえるのだ。
イラガはそんなことを考えながら、エリサンが承知するはずがないということもわかっていた。彼は村人たちを見捨てて自分たちだけ助かるということをよしとしないだろう。
「少し村の中を見てきます」
今のところ怪しい者は近くにいないようだが、もしかするとどこかに潜んでいる可能性はある。念のため、イラガは村の中を見回ることにした。
家を出て浴場の前を横切り、村の中央へ近づいていく。すると、数人の村人が集まっているのが見えた。
一人はハスオだった。難しい顔をして、足元の何かを見ている。
その何かから危険な気配を感じ取ったイラガは、鼻に手をやりながらも彼らに近づいた。正体を確かめるためだ。
「こんにちは。何かあったのでしょうか」
「ああ、あんた先生のところの」
仕事の途中だったらしいハスオは、表情を崩さないままで一歩横にずれて、イラガを促した。足元の何かを見てみろ、ということらしい。
地面に打ち捨てられていたのは干し草だった。ハスオ一家が農作業に使っている牛の飼料だ。たが、見慣れない草がところどころに紛れ込んでいるのが見える。
イラガはこの見慣れない草を知っていた。激しい毒のあるものだ。
「誰かがこんなもんを混ぜ込みやがった。ひでえことするもんだ。
うちのダーシャが賢くなかったら、食っちまってたところだぜ」
ハスオは悔し気に爪を噛み、苛立っていることを隠そうともしていない。
どうやらダーシャという名らしい彼の牛が毒草を食べなかったおかげで難は逃れたようだが、本来なら牛は完全に死んでいたはずである。
ハスオは狩猟の腕もいいのだが、やはり畑の方が本業であるらしい。農耕に必要な牛が殺されそうになったのだから、この態度は当然である。
しかし、いったい誰がこのようなことをしたのか。
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