イラガは頑張る

 イラガはエリサンの傍にぴったりくっついて、警戒していた。

 誰かがエリサンを監視している。直接的に襲ってくることはなさそうだが、放置していていいはずもない。


 ここで先生を守ることができるのは、私だけだ。


 イラガは本当にそう思っているので、一晩中起きているつもりだった。エリサンとキサラが浴場に行っている間もずっと気を張っている。

 何者かがいなくなるまで、ずっとだ。


 エリサンは湯からあがっても、薬の調合をしている間も、寝ようかという時間になっても、それでもじっと自分から離れないでいるイラガが心配になった。


「イラガさん、さすがにもうお休みになったほうが。戸締りもしっかりとしておりますから」


 声をかけても、イラガは首を縦に振らない。むしろ夜こそ心配なのだと言わんばかりに、ますます緊張を強くしていた。


「先生はお休みになってください。私がきっとお守りしますから」


 こうも強く言われては、それ以上何も言えない。

 かといって彼女が起きているのに、自分がぐうぐうと寝ていていいものだろうか。

 エリサンは困って、自分も起きていようとしたのだがこれはイラガに止められて、寝台に押し込まれた。


「明日もどんな患者さんがくるかわかりません。先生は寝てください。

 起きているのは、私だけで大丈夫ですから」


 そうはいっても、とエリサンは目を開けていたがやがて眠気に負けて、意識を落とした。もちろん、キサラも自分の寝台ですでに寝息をたてている。

 家の中で起きているのは、イラガだけだ。

 イラガは警戒を解かずに、腰に付けた武器から手を離さない。


 夜が白んで、朝になってもまだ彼女は緊張を解かなかった。

 エリサンとキサラはいつも通りの日常生活を始めたが、イラガはじっとエリサンの近くで警戒を続けた。


 キサラは普段通りに過ごしている。エリサンの診察を受け、浴場の清掃をして、たまには昼寝をして、そして時々は教育を受けていた。

 そろそろ覚えられることが増えてはいないかと、色々と教えてみるのだが、あまり成果は上がっていない。単にキサラが怠惰で先に進まないということではない。

 彼は考えている。それこそ、時間を使ってじっくり考えてみているのだが、それでもだめなのだ。簡単な計算も、読み書きも、うまく覚えられない。

 つまり、ほとんど進展がない。


 しかしそれ以外の件については、至極順調だとイラガは思っていた。

 エリサンは名医として知名度が上がり、患者もやってくるようになり、日々の暮らしにも困らない。浴場もできて村人たちにも感謝され、彼は認められている。


 これでこそ、恩を返すことができるはずだ。

 自分の全てを救ってもらったからには、自分の全てをもって、先生を救うのだ。

 これからますます先生は認められて、いつか必ず苦しみと絶望から解放される。そのための手伝いを自分はするのだ。

 彼がそうなるまで、恩を返したとはいえない。


 このように考えているイラガとしては、エリサンにつきまとっている何者かが気になる。

 誰なのかもわからないが、エリサンを守る必要がある。ここで万一のことがあれば、悔やみきれない。絶対にエリサンを守る。

 こうした決意をもって、彼から離れなかった。


「先生、しばらくは家の中でじっとしていてください。信じていただけないかもしれませんが、怪しい奴がいるんです。私がそばについて、先生のことを守りますから」


 この日も朝起きてから深夜に眠るまで、イラガはエリサンの近くに居続けた。その間、近くでじっとこちらをうかがっている何者かの存在を意識し続け、緊張を絶やさない。

 イラガとしてはエリサンを失いたくない一心からそうしていた。


 一方、エリサンとしてはそこまでしてもらうような理由がない。

 大きな罪と欺瞞を背負っている以上、誰かが自分を殺そうとしているのであれば、それもまたありがたい話だ。素直に殺されて、現世の苦痛から解放されたい。

 このため少し前までの彼なら、イラガの護衛を煩わしく思っていたかもしれない。

 今は違う。

 近くに誰かがいてくれるということに、安心している。


 死にたいという気持ちが自分の中で薄れつつあることを、彼は自覚していた。

 昨日のように寝台に押し込まれたはいいが、イラガは今日も不眠で警戒を続けるのだろうか。そのようなことはさせられない。

 彼女の体を心配し、エリサンは声をかけた。


「イラガさん、あまり無理はしないでください。ずっと眠らないのでは身体を壊してしまいます」

「自分がちょっと眠らないより、先生がいなくなることのほうが怖いのです。私は」


 イラガはエリサンの近くに立っていた。


「ずっと立っていてはそれこそまいってしまいます。せめて腰掛を使われては」


 そう言われて彼女はやっと、座ろうとした。だが、近くに椅子がなかったのでエリサンの寝台にそのまま腰を落とした。

 疲れていたのだろうか。あまり考えがまわっていなかった。


「先生はわかっていらっしゃらないのです」


 真面目な口調だった。イラガは灯りの消えた闇の中で、エリサンの目を見た。


「絶望から救われたことが、どれだけありがたいことなのか。私は先生に私の全部を救ってもらったのです。

 私は先生のために、私の持っている全部を使いたいのです」


 似たことは何度か言われている。

 エリサンは、それを思い出した。この娘は自分が救われるまでずっとそばにいると、そう約束していた。エリサンが死んでしまったのなら、すぐに後を追うとも。


「そうでしたね。しかしご無理を重ねてはいけません」

「大丈夫です、このくらい平気ですから」


 イラガは頑として、譲らなかった。

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