イラガは警戒する

 あの怪しい気配がやったに違いない。イラガにはそうとしか考えられなかった。

 調べてみると毒草は何種類かあるようだ。キノコのようなものも混じっている。


「うちのダーシャは賢いから食わなかったけどよ、一応先生に診てもらいてえんだが。動物は大丈夫なのかい、先生は」


 ハスオは毒草から牛に目を移し、そんなことをいう。彼は農具の一つとして以上に、飼っている牛のことを大事に思っているらしかった。

 確かに念のために診てもらいたいという気持ちはわかる。だが、エリサンが獣医の分野にまで知識を持っているかどうかはイラガにはわからない。一応話はしておきます、とだけ返した。

 それにしてもあの怪しい気配は何を狙っているのだろうか。


 牛などを殺したところで、何にもならない。エリサンを殺すつもりなら、このようなことをしても、何の進展もないのだ。

 何が敵の狙いなのか、わからなかった。

 そもそも敵なのかどうかさえも曖昧なままだ。


 怪しい気配は今のところ何もしていない。ただエリサンを監視しているだけだ。

 これを感じ取っているのはおそらくイラガだけで、これを敵だと考えているのも、イラガだけ。それを村の人たちに言ったところで、信じてもらえるかどうか。

 イラガは混じっていたという毒草やキノコを少し拾って家に戻り、エリサンにこれを伝えた。


「確かに、これらは毒草ですね。キノコは調べてみないと断定はできませんが、おそらくかなり強い毒のある種類です」


 いつの間にか増えていた蔵書の中から、植物図鑑を取り出してエリサンは言った。この図鑑はかなり値が張ったが、それだけの価値はある。

 いくつかの毒草について同定できたので、エリサンはそのままハスオのところに往診に向かった。


「先生は動物の治療もできるのですか?」

「専門ではありませんが、何度か頼まれたことがあります。とにかく診てみましょう、難しいようなら専門でやっておられる方に頼めばいいのですから」


 幸い、ダーシャという牛は賢く毒物を見分けたようで、大したことはなかった。すぐにエリサンはたちは家に戻ることができたが、いったい誰がそのようなことをしたのか、牛など殺してどうするつもりだったのかという問題が残った。


「このようなことが起こっていれば、村の方々がますます閉鎖的になってしまうのではないかと」

「それも問題ですが、先生。私は先生のことが心配なのです」


 イラガとしては、ハスオの牛のことなどは半ばどうでもよかった。彼女にとってはエリサンの安全がすべてに優先するべきことだ。

 彼女が追っている怪しい気配が牛を殺そうとした、とするなら。次はエリサンの食事や川や風呂の湯に、毒が投げ込まれないという保証はない。今は近くにいないようだが、野放しにしていていいはずもない。

 そういうことをイラガは説明した。だが、


「私を狙っているとは到底、考えられません。私のことをじっと観察しているとなれば、我が家にお金がないことくらいはわかりそうなものです」


 エリサン本人はこのような調子だった。

 彼は自分の身の安全のことなど、大したことではないように考えている。


「先生はもっと自分のことを大事に考えるべきです。先生にもしものことがあったらどうするんですか。キサラはどうやって生きていくのですか」

「しかし、私をもしも殺したとして、得られるものはほとんどないと思います」

「そんな相手の都合はいいんですよ先生。私の前からいなくならないでください、先生が死んでしまったら、大変なんですよ」


 といってはみたが、


「そう言っていただけるのはありがたいのですが」


 やはりエリサンは信じていないようで、微妙そうな顔をしている。

 仕方がないので、イラガは自分が皆を守るしかないと心に決める。何と言われても、自分が守るのだ。

 しばらく彼女は村の中にとどまって、周囲を警戒し続けることを決めた。昼も、夜も。


「とにかく先生が狙われてるのは間違いありません。これを持っていてください」


 イラガは自分が使っていた小剣の一つを、鞘ごと腰から外してエリサンに押し付けた。

 以前エリサンから借りたナイフとは違い、かなり大型のものだった。武器としても十分に通用するサイズだ。


「このようなものを持っていても、私には使い方がわかりません。争いごとは苦手ですから」

「それでも、あるのとないのとでは違います。ベルトに差していてください」


 エリサンは押し切られて、腰の後ろに小剣を差し込んだ。おそらく何の役にも立たないだろうと思いながら。彼は体こそ大きいものの、殴り合いのケンカすらほとんどしたことがなかった。顔や足の傷を負った時も、ただ一方的に殴られ続けただけであり、反撃はほとんどしていない。

 人間や、生き物を傷つけることが苦手なのだ。

 それに虚飾に染まった彼は、その嘘を終わらせてくれる何者かをむしろ待ち望んでいる。おそらく何者かがエリサンに襲い掛かったとしても、彼は小剣を抜くことを思いつきもしないに違いない。

 ともかく小剣を受け取ったエリサンに、イラガは満足した。

 彼女はそれで、再び出かけて行った。今度は、見回りというものではない。怪しい痕跡を探し出して、敵を追い詰めるためだ。そうはできなくても、自分が毎日村の中を警戒してまわっていれば、敵もそうやすやすと行動を起こせないに違いない。

 この時点で彼女はそのように考えていた。


 イラガはこの日から山に入らず、村の中で過ごすことになった。

 さすがに武器を構えてウロウロするわけではないが、弓を持ったまま村の中を歩き回る姿は目立った。しかも、彼女はフワフワの毛皮をまとった獣人だ。

 雨が降っても、晴れても、変わらずに彼女のこの警備は続いた。ただ一人だけで、エリサンと村を守ろうとしたのだ。


 その間、エリサンのもとには患者が数名村の外から訪れて、彼の治療に満足して帰っていった。

 キサラの治療は進展していない。彼はずっとニコニコとして、任せられた仕事をこなした。浴場に加えて、休憩所の清掃もこなすようになっているが、相変わらず難しいことは覚えられない。特に数の勘定は難航した。


 イラガは山の中でそうするように、夜も座ってとるような浅い眠りですませて、昼夜を問わずに警戒に当たり続けた。

 エリサンを守るためだから、自分の全てを使うのが当然だと彼女は思っている。


 しかし、この彼女の行動はよい方向には実を結ばなかった。 

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