先生は名医です
「こちらに、エリサンという名医がいらっしゃると聞いてきたのですが」
といって訪ねてくる者があった。
小さな娘を連れた裕福そうな男。身に着けている外套や帽子は上質なもので、髪や口ひげも整えられている。
娘の方は杖をついていて、足が悪いようだった。
薬を調合していたエリサンは立ち上がり、できる限りの笑顔で彼らを迎えた。
「はい、私がエリサンです。どのようなご用向きでしょうか?」
「あなたが」
男はエリサンの長身と、顔の傷を見てややひるんだ。が、意を決したように話を続けた。
「あなたの噂は、町の方で聞いてまいりました。不治の病を癒した名医だとうかがっております。
どうか、私の娘を診ていただきたいのです」
彼があまりにも勢い込んできたため、エリサンは若干気圧される。
しかしそれは顔に出さず、落ち着いた声で返した。
「不治の病など、癒してはいません。ご期待に沿えるかどうか」
「それでもどうか、診てください。町の方ではもう、手を尽くしました。
どうか助けてください」
よほど娘のことが大事なのか、彼はエリサンの手を取って頭を下げてくる。心配なのだろう。
エリサンは彼をひとまず落ち着かせて、娘の方に目をやった。
「どうか、よろしくお願いします」
娘は落ち着いた様子で頭を下げた。
年齢は少女といえる程度で、おそらく12歳かそれより少し上。長い髪をリボンでまとめている。
目鼻立ちが整っており、もう少しすれば誰もが振り返る美人になるだろう、と思える。
杖をついているので、診てほしいというのは足のことだろう。エリサンはひとまず彼女をキサラ用の寝台に座らせた。質の良い白いスカートから、細い足が見えている。
患部と思しきところに、包帯が巻いてあった。エリサンはそれを解いてみる。
「これはおつらいでしょう」
右のむこうずねのあたりに、腫物ができていた。周辺の皮膚も青紫色に変色しており、痛々しい。
「ええ、遠乗りに連れて行ったのですが、そのときに強くぶつけてしまって。すぐに治ると思っていたのですが、このように腫れてしまって」
父親はこれについて、あわてて説明を加えてきた。
なるほどとエリサンは頷いて、「町の方ではどのような治療をされていましたか」と訊ねる。
「悪い血が溜まっているから、血を抜けばいいと。それで何度か通って処置をしてもらったのですが、一向に良くなりません」
「そうですか」
完全に間違いともいえないが、それだけでは助けられない。エリサンは治療法をいくつか頭の中に思い浮かべ、どれがいいかと思案した。
そうしている間に、父親はこうも言った。
「それで、お医者様がおっしゃるには、このままでは足を切らねばならないと。
しかし娘はまだこの歳。なんとか助けられないかと思い、先生のところをお訪ねしました」
「わかりました。なんとか治療できるか試してみましょう。ただし、こちらの腫物が足の骨にまで達していたら、難しくなると思います」
エリサンがそういうと、父親は「おお」と声を漏らし、エリサンの顔を見上げ、それから勢いよく頭を下げた。
「先生、是非お願いします。金ならいくらでもお支払いします。
どうか娘を助けてください」
「まだ助かったわけではありません。それに、治療には痛みを伴います。どうか、お嬢さんを元気づけてあげてください」
このような腫物を放置すると危ない。なんとかしなければならないのだが、足ごと切断するというのはこのような子供にはショックが大きいだろうし、そこまでする必要もなかった。
腫物だけをうまく切り取り、跡が残らないようにすればよい。傷跡は残ってしまうだろうが、仕方がない。足を失うよりはいいだろう。
ただ、問題がある。
腫物を少しでも体に残してしまうと、再発する可能性が高い。そういった意味では、万全を期すために足ごと切るという判断をした医者も正しい。
清潔なシーツを寝台に広げ、即席の手術室をつくる。薬や器具の準備も必要だった。入念な消毒をせねばならない。
そうしている間に、キサラやイラガが戻ってきたが、治療の内容を聞いて目を見開いている。
「どこまで切ればいいとか、わかるものなのですか?」
イラガはそんなことを聞いてきた。
「私たちは、そんな風にできものが大きくなってきたら、二の腕や太ももから切り取れって教えられてます。手足ならそれで命は助かるからと。頭とかお腹だともうダメですね」
「ええ、それも間違いではないですが、慎重にすれば大丈夫です。
骨がまだダメになっていなければですが」
手術は夜のうちに行われた。
麻酔のかかった娘はこんこんと眠り、その細い足にエリサンは刃物を入れて、腫物を切り取る。
丁寧な作業で、エリサンは傷跡を縫合した。なるべく体に負担をかけないよう、うまく終わったはずだった。
しかしそれでも、しばらく様子を見るのが普通だ。手術をした傷も痛むだろうし、彼女には栄養も薬も必要だった。
「これ以上ご厄介になっては。娘は家で静養させます」
しかし父親はエリサンを押し切って、娘を連れて帰ることにこだわった。娘のためにとわざわざ揺れの少ない馬車まで手配して、村まで持ってこさせたのだ。
手術翌日の夕暮れに、馬車が到着した。こうまでされては、エリサンも引き留められない。
「わかりました。どうかお大事に。容態に変化があれば、いつでも来ていただいてかまいません」
エリサンとしては、心配だった。娘が帰った後で、急に悪化するということも考えられた。人の体には、何があるかわからないのだ。もちろんそうならないように細心の注意は払ったが、やはり術後のしばらくは安静にしてほしかったし、自分の目が届くところにいてほしいと考える。
だが父親が決めたのであれば、仕方ない。何かあれば、すぐに連絡してほしい、来てほしいとエリサンは父親に繰り返し言った。
そんなエリサンをみて、父親はこう返す。
「先生は私が帰ろうとしているというのに、報酬の話をされませんな。先ほどから娘の体調ばかりを気遣っておられる」
「そんなことは、当たり前のことです。
代金などいただかなくとも、ここで暮らしていくのに困りはしません。しかしお嬢様に万一のことがあれば、全く取り返すことはできないのですから」
「いや、先生は話に聞いた通りの素晴らしい名医でいらっしゃる」
父親はエリサンに握手を求めて、ぎゅっと両手で握った。
「このお礼はきっといたします。お待ちください」
そして彼は帰っていった。娘を連れて、立派な馬車で帰っていった。
エリサンは手術直後の娘のことが心配だったので、落ち着かない。
そんな彼の肩にイラガが手を置いた。
彼女は、あの親子がやってきているのを見て事情を察し、寝台を新たに三つも作った。もうそのための資材は家の中に残っていない。
「先生、私は予感がするのですが」
彼女は疲労した顔は見せず、むしろ嬉しそうな表情で続けた。
「あのように、先生を名医とみてやってくる患者さんが増えるような気がするのです」
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