順調な日々

 つまり、エリサンが求めているのは「やれるだけのことをやった」と胸を張って言えるだけの事実だった。

 それをもって、万が一のことが起こった時にも自分を納得させられるだろうという打算。その納得のために、彼は必死に行動を起こしていた。


 手紙は急いで出した。師事した町医者や、その他各地で名の知られた医師や研究者に対して出した。現在のキサラの容態と、その治療法などを相談するものだ。

 町医者に出したものはともかく、各地の名医に出した手紙はおそらく、あまり意味がないと思われた。彼らの元には日々患者が押しかけており、一介の医師にすぎないエリサンの手紙など読むひまはないだろう。

 そもそも、名医とされる人物は特定の研究派閥にいることが多く、その場合は自分の知識をあまり他人にひろめたがらない。自分たちの経験や日々の研究で得たものは、自分たちで独占しておきたいと考えるからだ。

 最新の研究結果などというものは、関係者以外には秘密なのだ。

 こうした事情をみても、エリサンの質問に対し、返事が来る可能性は極めて低かった。


 それでも、できる手は全て打っておかなければ「やるだけのことをやった」とはいえない。全力を尽くしたともいえない。

 無駄に見えることであっても、考えられる手段はすべて使っておくべきだった。


 また、最新の医学書を取り寄せることも試みている。

 町まで走って買ってきた、今彼が読んでいる専門書も新しいものではあったが、十分な資料とはならなかった。残念なことに高度な研究や治療法については秘匿されているのである。自分たちの派閥に入らなければ、そのあたりの知識は教えないぞというわけだ。

 つまり、このように本となって流布されている医学知識は時代遅れとはいわないが、最新より少し遅れた情報ということになる。

 それが悪いことばかりかといえば、そうでもない。最新の研究は根拠や裏付けが十分に取れないままの仮説を実験的にしていることもあるため、書物になっているということは、その治療法の安全性がある程度はたしかめられているということでもある。

 なので、医学書を読むことは無駄にはならない。


 手は尽くしている。キサラ本人の容態も、毎日確認している。

 だが全く、何も進展はなかった。


 エリサンはオムからもらった金をほとんど使い果たし、本を取り寄せ手紙を書き、自分でも薬を研究した。獣人の薬を実際に調合し、調べるということも続けている。

 それでもキサラは毎日ニコニコとしており、体も成長しなかった。何の変化もない、ということだ。


 キサラを回復させる薬は見つからない。

 カギとなるような知識も、研究結果も入ってはこない。

 さりとて、キサラの体に異変もない。健康は保たれているようにみえるが、エリサンにわからないところで病は進行しているに違いなかった。

 キサラがエリサンの家に入院してから一月が過ぎようとしているが、相変わらず身長も体重もほとんど増加しない。

 完全に冬の面影は去って、暖かな日差しが差し込むようになっていた。


 そうしている間に、浴場は完成してしまった。荒れていた土地は基礎から整えられ、立派な壁と床、浴槽が備えられて湯沸かし用の設備も整えられた。

 燃料はかなり必要だったが、エリサンはこの浴場を村の者なら誰でも使ってよいことにした。

 伝染する可能性のある病気にかかっているもの以外は、誰でも利用できる。

 一応管理しているのはエリサンだが、村人たちは気軽に利用するようになっていた。一日の疲れを落とすために、夕方ごろにやってきては利用した。

 「村の名物になる」とハスオをはじめ村人たちは皆嬉しそうにしており、必要になるだろうといって薪を持ちより積み上げていった。このため、しばらく燃料の心配は必要なさそうだ。

 時間帯で男女を分けているので、今のところトラブルは出ていなかった。


 むしろ問題になったのは浴場の清掃であった。放置していると汚れが溜まってカビが生えてくるため、定期的に清掃する必要があったが、エリサンもイラガもそれぞれにすべきことがあり、なかなか手が回らない。

 結果として汚れのたまった頃にすることになり、その作業がきつかった。

 しかし、そうしたところを見ていたキサラがすすんで手伝ってくれて、しかも単純な作業だけに覚えるのが早かった。

 彼は一人で浴場の清掃が担当できるまでになり、喜んでこれをこなすようになった。時間はかかるが、急ぐ必要もない作業だ。


「先生は、休んでいてもいいよ。これは、ぼくのお仕事」

「しかしキサラさん。したくないときにはしなくても」

「大丈夫。ぼくもえらい。みんながお風呂に入れるように、掃除したい」


 どうやらキサラは、一人だけ仕事がないことに悩んでいたようだ。ようやく自分でもできる仕事が見つけられて、嬉しいのだろう。

 エリサンはそのように判断して、好きにさせることにした。

 最初のうちはエリサンとイラガが交代で見守っていたが、特に危ないこともない。彼は真面目に清掃作業をこなした。オムは8歳ごろからほとんど成長していないといっていたが、そこらの子供よりも責任感があるようにみえた。

 何日かで、完全に仕事を任せてもいいだろうと思えた。

 家の中にいることの多いエリサンが時々様子を見に行くくらいで十分だ。


 キサラの仕事が終わると、報告を受けたエリサンが浴場へ行って確認し、そのあと彼を誉める。そうして、風呂を沸かす準備を始める。これが一日の流れに組み込まれた。


「ああ、今日もしっかりお掃除ができましたね。よくやってくれました。ありがとうございます、キサラさん。

 水を入れて、お風呂を沸かしましょう」


 エリサンたちの生活は、こうして順調にいっていた。

 お金はなかったが、特に何一つ問題は発生していない。もともと彼らの生活に金などはあまり必要でなかった。


 キサラの治療がほとんど進んでいないという、一点を除いては。

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