納得を求める

 渡された大量の薬品は、材料が高価であったり抽出に手間がかかったり、ともかく貴重なものばかりである。オムのほうでは何とも思っていないのかもしれないが、あまりにも額が多すぎる。

 工事の段階ですでにまずかった。そのうえにこんなものを送られてきてはたまらない。

 それでイラガにどうしたものかと相談してみたのだが、


「先生は無欲でいらっしゃいますね。遠慮なく受け取ってしまえばいいのに」


 彼女は大して気にもしていないようだった。衰弱して死ぬだけだった自分を救ってくれたエリサンを、心の底から世界一の名医だと信じているのだ。その名医が今までほとんど無報酬、ときどき肉や野菜をもらうくらいで働いていたのがおかしい。本来このくらいのことは当たり前だと考えている。

 よって、イラガは平然としている。


「ですが、キサラさんを治療する手立てが私にはありません。

 もしも万一のことがあればと思うと」

「ありえません。先生は昨日からずっと、キサラを助けようと考えていらっしゃいました。

 先生ほどの治癒術師がそこまでやって本当に万一があったのなら、それはきっとママユガさまがお召しになったのです」


 エリサンの力が及ばなかったのではなく、神や精霊が、自分のもとへ呼んだ。であれば、現世のものにその運命をどう変えられようか。

 気にすることなどない、とイラガは言い切ったのだ。


「先生には、このくらいの対価を受け取る権利が十分におありです」


 これに似たことは、オムも言っていた。「お前ほどの名医でだめだったなら、納得する」と。


「わかりました。これは受け取っておきましょう」


 薬は受け取っておいてもいい。必要ないのであれば、返すこともできるのだ。

 逆にあわてて返してしまった場合、この薬がないためにキサラを少ないという状況があれば、そのときは困ることになる。だから、ここはうけとっておいたほうがよい。

 イラガの言葉に勇気づけられて、エリサンはなんとかそう考えることができた。


「でも、たぶん返す必要はないと思います。

 先生はきっと、こんな薬やお金やお礼なんてなくてもキサラを直そうとしたでしょうし、今だって思いもしない大金を送られて困っていらっしゃるくらいですけれども。

 私が思うに、先生はご自分の価値を低く見すぎているのだと思います。私にとっては私の全部を救ってくれた、ママユガさまと同じくらいの大変な方なんですよ。そんな方が、自分たちのために時間を使って、しかも一生懸命に治療に当たってくださるんですから、なんとかしてお礼をしたいと思うのは当たり前じゃないですか」

「そうでしょうか」

「そうです。先生だって、女神さまにお救いいただこうとして、毎日あんなに時間をとってお祈りなさっているじゃありませんか」


 イラガの言葉に、エリサンは心臓を突きさされたような思いがした。

 ゆっくり、深く息を吐く。

 彼は実のところ、キサラの治療をかなりの部分で諦めていたのだ。症例が少ない上に、治療法もまるでわからない。

 一介の医師にできることは非常に少ない。助けられないだろう、と予想していたのだ。

 このため、このようにたくさんの支払いがあって困っていた。どうせ助けられないのに、代金だけもらうわけにはいかない、と。


 しかし、そうではない。そうであってはならなかった。


 オムが大金を払って、また人を雇ってくれているのはひとえに、キサラを助けるために、エリサンが全力を尽くしてくれることを期待しているからだ。

 呪いとまでいわれたイラガの奇病を治療した、名医。それをキサラのために動かそうというのだから、このくらいは当然だろうといって彼は金貨をじゃらじゃらと置いていこうとした。

 あれは単に、金持ちだからということでは片付けられない。

 それだけの価値を、エリサンの治療に見出しているからだ。エリサンは最初から、キサラの治療は難しいと伝えている。それでも彼は金貨を置いていこうとしたし、あくまでも支払おうとした。


 それはエリサンがキサラの治療を諦めず、全力で試みてくれると期待しているからだ。

 まるで、悪人の自分を救ってくれはしないかと女神像に祈る自分のように。


 その期待を重圧に感じているのは、エリサンが自分を名医だと思っていないせいである。期待されるほどの実力は自分にはない、と彼は思っている。

 私は神でもママユガさまでもない。全ての病人を救う力はないのだ、と。


 ならば、いいのか。

 どうせ救えはしないのだからとキサラの治療を適当にして「やはりだめでした」で済ませること。神ではないからといって、それでおわっていいというのだろうか。

 そんなことでは自分が納得できない。見捨てられないのだ。

 どうせ悪人だから救われはしないのだ、といって神が自分を救わずに打ち捨てたとしても、それではどうにもならない。何の反論もできない。


 ぐるぐると、エリサンの頭の中を苦しみが廻った。

 じっと彼は考えて、悩んで、それからぐっと顔を上げる。困難に挑まねばならないと、彼は決心を再度固めた。


「イラガさん、今日から少し、家のことをお任せしても構わないでしょうか。

 少し忙しくなりますから」

「もちろんです、先生」


 心強い返答にお礼を言ってから、彼はすぐに行動を始めた。すべきことは余りにも多かった。

 テーブルに座って、彼は書きものを始める。


 彼が求めたのは、自分への納得だった。

 もしもこのままキサラが死んでしまえば、自分は果たしてこの工事や薬の代金にふさわしいだけのことをしたと、言い切れるのか。そうした懊悩への答えが、これだ。全ての力を、全力をもって、キサラを救おうとすること。

 最後の最後まであきらめずにそうすることでしか、自分を納得させる術がないとふんだ。そうするしかなかった。


 夕食の際にそれは一度中断され、終わるとすぐに再開された。


 イラガはそれを見守っていたが、夜遅くまで、エリサンはずっと書きものをしていた。カルテではない。手紙だった。

 出すべき手紙は多かった。儀礼的な挨拶は最低限にとどめられ、必要なことをびっしりと書く。


「先生、もうお休みにならないと」


 あまりにも精力的に書き続けるエリサンを心配し、イラガはそう声をかけた。だが、エリサンはまだ続けた。どうしても、朝までに書き上げなければならなかったのだ。


「ええ、あとは宛先だけですから。大丈夫です」


 そうして彼は結局、空が白むまで起きていた。


 彼は精力的に行動を始める。

 朝一番でどこかへ出かけて、夕暮れになって戻ってきた。戻ってきた彼は、厚い本を抱えている。娯楽のための本などではない。難解な専門書だ。

 戻ってきたそばから、入念にキサラの体を調べた。体中を調べた。熱や脈はいうにおよばず、体中をわずかな変化も見逃すまいと丹念に調べる。

 そしてまた夜は書きものをした。専門書も読み進める。


「先生、少しはお休みなったほうが」


 心配するイラガに対し、彼はこう言った。


「ですが、できるだけのことはしてみなくては。私にできるだけのことは」

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