きっと見てくださっている

 オムたちは馬車でやってきたようだった。村のはずれにとめてあるそれは、二頭立ての立派なもので、やはり彼は身分のある人間だったとエリサンは思う。御者の服装も並のものではない。

 その割にはオムのキサラとの別れはあっさりしたもので、わずか一度振り返って頷いただけだ。見ていたエリサンのほうがこれでいいのかと思うほどだったが、キサラは気にする様子もなく手を振ってオムの背中を見送り、エリサンの顔を見上げてくる。


「ね、今日のご飯は?」

「帰ってから準備をしましょう。お手伝いをしてくれますか?」


 心も体も成長が止まったという少年の背を軽く押して、元来た道を戻る。

 途中、何人かの村人に声をかけられた。


「おっ、先生。こんな時間まで往診かい? こりゃ今日とってきたウドだが、よければ持ってってくれ」


 そういって山菜をもらい、


「先生こないだぁ急に頼んで悪かったなあ。昨日とれたでっけぇナマズがあるんだが、持ってくかい?

 あんたんとこの猫ちゃんに食わせてやってくんなよ」


 こういって魚をもらってしまった。

 エリサンはそれらをありがたく受け取り、家に戻ってきた。


 庭先でアナグマをばらしていたイラガが、にっこりして出迎えてくれる。


「おかえりなさい、先生。ご飯の準備はもうすぐできますよ。

 中に入って、待っていてください」


 彼女は山菜と魚を受け取って、それらも調理し始める。エリサンは自分も参加しようとしたのだが、イラガはそれを許さなかった。


「いいから、先生は中にいてください。今日は私が全部します」


 一日中山の中にいて、そのあと解体作業と調理をするのだから、イラガといえども疲れるはずだった。にもかかわらず、イラガは上機嫌で嬉々として作業を続けている。手伝いもいらないという。

 エリサンが自分のために怒りをあらわにしてくれた、ということが大きかったのだ。それが嬉しかったから、何をしていても楽しいのだ。


 時間ができたエリサンは、キサラのための寝床を準備することにした。

 もともとこの家は何もないあばら家であったが、二人が暮らすうちに家具が次第に増えている。だが寝台は二つだけで、誰かが入院してくるということを想定していなかった。

 代わりになりそうなものを探してみたが、診察用の寝椅子くらいしかない。この上に寝るのでは、キサラの体格であっても寝返りをうてば転げ落ちる。

 参ったな、とエリサンは家の中を見回した。

 隅の方には使わなくなった衝立や木材があった。木材はイラガが弓や矢を作るための調達してきたもので、十分な量がある。これらを使えば、キサラの体格に合った寝台を作ることはできそうだ。だが、もうすでに夜遅い。

 とりあえず今日はキサラを寝台で寝かせて、代わりに自分が椅子に座って寝るとしようか。彼はそのように考えて、簡単に食卓の準備を整えた。

 先ほどの寝椅子を出して、簡素なテーブルの周りに座れるようにする。


 そうしている間に解体の終わったイラガが家の中に戻ってきて、スープを煮込み始めた。伸び始めた髪を後ろに流して、フカフカとした毛皮に包まれた彼女は、大きな尻尾を揺らしている。

 彼女はキサラがここにいることを気にしているようだが、まだそれを訊いては来ない。オムの態度には怒っていたが、付き添いに過ぎないキサラには何も思ってはいないのだ。

 一方、キサラの側からは目の前で動いているイラガに興味津々のようだった。

 オムから聞いた話では、彼は都会の方で使用人に囲まれて育ったということであったが、そちらでは獣人に会う機会はほとんどなかっただろう。物珍し気にイラガの尻尾や耳を見ている。


 エリサンはテーブルを拭いた後、皿の用意をしようとした。

 そこに、イラガから小皿が差し出される。


「先生、スープの味見を」


 皿には少しだけスープが入れてあった。受け取って口に含むと、ほんのりした塩味のついた立派なアナグマ肉のスープ。十分すぎる味だ。


「よい味です。ありがとうございます」


 イラガはにっこりして、食事の用意をすすめた。もうすぐに準備は整うだろう。

 キサラの皿や匙は来客用として備えてあるものを使う。寝床以外では問題はなかった。


「さあ、キサラさん。お食事にしましょう」

「うん、いいにおい」


 特にぜいたくな暮らしをしていたわけではない、とオムから説明をされてはいるが、それでもキサラにとってはみすぼらしい食事であるに違いなかった。

 しかし彼は拒絶することもなく、また使用人がいないことに文句を言うような気配もない。慣れている様子だった。

 匙でスープをすくって口に入れるなり、彼はパッと目を見開いて、


「おいしい!」


 といったのだった。これが演技であるとは思えないし、そうすることの意味もわからないだろう。

 エリサンは、キサラの素直な感想だと受け取った。


「お口に合ったようでよかった。イラガさんが新鮮なお肉をとってきてくれたおかげですね」

「そうなんだ、ありがとう」


 邪気のない笑みで、キサラがイラガに礼を述べる。


「私は、狩人だから。大したことじゃない、全部ママユガさまと先生のおかげ」


 言いながら、イラガは小皿にスープをとって、胸の高さに掲げた。土の精霊ママユガへの感謝をささげているのだ。

 エリサンも同じようにする。自分のおかげというのは違うだろう、と思いながら。


「ママユガさまって?」

「精霊さま。土の中に宿って、皆をいつも見てくれている偉い精霊さま」


 問われて、イラガはそう答えた。彼女はここに来た時よりも、随分と信心深くなっている。

 獣人たちの信仰対象であったママユガに対してもそうだし、エリサンの祈る女神に対してもそうだ。

 その理由をエリサンは知らない。そもそも彼はここに来る前のイラガを知らないので信心深くなったということに気付くこともできない。しかしイラガが熱心に祈るようになったのはエリサンに救われたからである。


 死にかかっていた自分を救ったのは、エリサンである。そのエリサンに引き合わせてくれたのは、きっとママユガさまなのだろう、と彼女は思うようになったのだ。ならば、ママユガさまへの感謝と祈りを絶やすわけにはいかなかった。

 それに、なんといってもエリサンはイラガの祈りを邪魔しないし、尊重してくれるのだ。


「そうですね。ママユガさまも、きっとイラガさんの活躍を見てくださっているでしょう。

 ですが難しい話は後にして、今は冷めないうちにいただきましょう」


 エリサンは優しい声でそういってくれた。

 イラガもスープを口に運ぶ。あたたかい味がした。きっと、獣人の集落で食べていたどんな料理よりも。

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