彼ほどの名医であっても

 エリサンはキサラに出されたという薬を見せてもらったが、彼の目からは見て薬になりそうなものはなかった。

 水薬らしいものがほとんどだったが、中には金属片もあった。いずれにせよ、高い金を出して買うようなものとも思えない。


「それで、お前はどのように考える。キサラは手遅れか」

「正直なところ、はっきりと病名を出すことすら私にはできません。

 症例が少なすぎるのです。治療法はおろか、私にはその原因を特定する事さえ、ままならないのです」


 オムの問いかけに、エリサンは唸るようにこたえた。これ以外に言いようもない。

 自分の治癒術の限界を感じるばかりだった。


「なるほど、この場での判断は控えるということか。お前ほどの者であっても」


 持ち上げられたエリサンは謙遜したかったが、それよりもキサラの容体が心配だった。エリサンは軽く首を振った。


「軽々に判断していいものではない、と私は考えるものです。焦るお気持ちもあるとは思いますが」

「先ほどお前は、治療法がわからぬといったが。だからキサラを診るのはいやだという意味なのか?」

「どうしてもと望まれるのであれば、もちろんお引き受けいたします。ただ、私にはいささか自信がありません」

「心配には及ばん。お前でダメというなら皆納得するであろう。キサラはここへ入院させることになるだろうな」


 何気なく発された入院という言葉に、エリサンは目を丸くした。

 そのようなことは考えてもなかったのだ。

 だがオムからすれば、ここは病院であった。重病であれば入院という措置がとられることも当然と思われているようだ。現にイラガが長い療養期間をここで過ごしたのだから、無理とも言いにくい。


「しかし、ここにはキサラさんが不備なく過ごせるような設備が」

「なに、金は出そう。あの子はいくばくも生きられぬと思われている。せめてわずかな希望を探さねばな」


 オムは自分が名医と見込んだエリサンに、キサラを任せたいようだ。

 しかしいきなりそのようなことをいわれても、受け入れの準備は整っていない。エリサンとしてはせめて時間をおいてほしかったが、善良な司祭を演じる彼からすれば、断る理由がうまく出てこない。

 イラガのときは彼女が倒れていたので、とにかく命を助けるためにも受け入れなければならなかった。しかしキサラに対してはエリサンが今すぐできることは少ない。

 せめてキサラ本人が渋っていればいいのだが、当人はカップを両手でもって足をパタパタさせている。


「ここ、気に入った。ここにいていいの?」

「うむ。今日このまま置いて行って構わんか。経過観察とやらも必要であろう」


 こうまでなってはどうにもしようがない。エリサンは頷き、キサラを受け入れることを決めた。


「わかりました。その前にお訊ねしたいことがいくつかありますが」

「かまわん。なんでも訊くがいい」


 エリサンはしばらく問診を行った。

 オムはそれに淡々と答えたが、キサラ本人からも色々と話を聞くことができた。

 その受け答えをメモしつつ、エリサンはじっと考えていた。

 本当に、キサラの病状に対してエリサンができることは少なかった。自分などよりも世界に名の知れた名医はいるはずであり、何人か指折り名をあげることができる。

 彼らを差し置き、自分などがキサラの身を預かっていいのかとエリサンは何度か伝えた。だがオムはイラガの治療をしたエリサンを名医と断じており、考えを変える気はないようだった。

 こうまで彼らがエリサンの治療を望むというのであれば、断るということができようか。

 結果はどうあれ、ともかく全力を尽くすのが善良な医者のはずだった。


「報酬については、前金でこのくらいあればいいだろうか」


 一通り質問が終わったところで、オムが机の上にじゃらじゃらと金貨を置いた。

 もともと置かれていた銀貨の上に、無造作につぎ足されたそれはどう控え目に見ても10枚以上は確実にある。

 大金であった。


「今日のところは持ち合わせがない。残りは追って支払おう」

「いえ、多すぎます。これほどの大金はかえって持て余してしまいます」


 あわててエリサンは首を振った。

 しかし、


「だが、金を払わずにキサラを置いて帰るわけにもいかぬ。名医ならばなおさらな」


 オムも引かない。金を支払わずに帰ったとなれば、彼が責められるのかもしれない。

 しかし金貨で受け取ったところで、このような田舎では使えるはずもない。交渉が必要だった。


「小銭で少し頂ければ、十分すぎます。それも、必ずお支払いいただかねばならないというわけでもないのです。

 もしも、どうしてもということであれば、いくらか都合していただきたいものがあります」


 そこでエリサンは金ではなく物資で受け取ることを提案した。

 これは薬の調合や計量、診察に必要なものだった。キサラの経過観察や治療にも必要となるので、お互いのためになる。


「なるほど、よかろう。あとで人をやって届けさせる。だが小銭は、このくらいで足りるか」


 といってオムはやはり無造作に銀貨や銅貨をじゃらじゃらと置いた。代わりに金貨を引っ込めてはくれたが、やはり多すぎる。


「過分です。まだ私はキサラさんに対して何一つできてはいませんが」

「何も言わずに持っていけ。こちらにも都合がある。

 では、俺はこのまま帰るとする。しばらくしたら、また様子を見に来るとしよう」


 彼は最後まで尊大な態度を崩さないまま立ち上がり、


「キサラのことはよろしく頼む」


 と、別れの挨拶さえもしないまま帰っていった。

 エリサンはあわてて、オムの背中を追いかけた。村の出口までは見送りが必要だと考えたからである。もちろん、キサラも連れて行く。

 家の外にいたイラガはこれにちらりと目をやっただけで、アナグマの解体を続けている。

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