お金で買えないこと
イラガは不審な目を、オムにぶつけた。この男は何をしに来たのか、と考えている顔だった。
彼女の考えがまとまらないうちに、質問は重ねられた。
「自然に治ったのか? 何か奇跡が起こったのか。もしくは、霊薬を見つけたとか」
彼の言う霊薬とは、不老不死の薬である。現在に至るまで、そのようなものは発見されていない。
「違います。私がかかっていたのは呪いではなかっただけです」
「そんなことはわかっている」
オムはイラガの言葉をバッサリ切って捨てた。彼は呪いや魔術といったものを信じてはいないらしい。
「何か言えないようなことをして、治療したのか。
人間の生き血を浴びるとか、そんなものが大真面目に治癒術としてまかりとおっている部族もあると聞く。
お前もそんなことをしたというのか」
「いいえ。私が生きているのは、単に死ぬ前に治癒術をもった人に診ていただけたからです。
適切な薬を頂いたので、治ったのです」
イラガはその治療をしたのが、目の前にいるエリサンだとは言わなかった。彼女は警戒していた。
「だとすると獣人の集落で治せなかったものを、その治癒術師は治す方法を知っていたということになるが。
都合よくお前のところにそんな名医があらわれたというのか」
「それ以外には説明のしようがありません」
「集落から追い出されたお前に、それほどの名医に支払えるような対価があったとは思えん。
嘘を吐くにしてももう少しましなものを考えるべきだろう」
ここまでイラガは本当のことを正直に話しているのだが、オムはそれを信じてはいないようだった。
脇で見ているエリサンは自分のことが名医だと持ち上げられているのを訂正したかったが、口をはさみづらくて、困っている。
オムは続けてこうも言った。
「いや、そうか。お前も女だったな。対価はその体で支払ったというわけか。ならば辻褄もあう。
であればイラガ。その治癒術師の名と、居場所を教えるのだ」
「教えられません」
イラガの尻尾がゆらりと垂れ下がる。彼女は低い声で、断った。
オムはいら立ったように眉を寄せる。
「なぜだ。その治癒術師に恩義でも感じているのか?」
「そうであってもなくても、あなたのように礼儀をわきまえない者には紹介したくありません」
「礼儀? ああ」
得心がいったように、オムは腰につけていたバッグから何枚か硬貨をつまみだして、机の上に放った。銀貨だ。
「これでよかろう。さあ、話してもらおう」
「金で話すと思っているのですか?」
イラガは怒った。おそらく、エリサンのところに来てから一番の怒りを覚えている。
彼女は狩りがうまくいかなくとも、村人にもらった鳥肉が腐りかかっていても、ママユガへの信仰が理解されなくとも、怒ることはなかった。それは自分にはエリサンがいるという安心があり、彼がいるなら多少のことには目をつぶれると本気で思っていたからである。二人のつながりは、かけがえのない、高潔なものであると信じているのだ。
それがこの目の前の優男は、銀貨数枚で売れるものだと言ったのだ。
家族の繋がりを金なんかで売れるはずがないし、損得勘定で切り捨てられるものと一緒にしてほしくはなかった。
大事なものを汚された気がした。だから、イラガは怒っているのだ。
エリサンがこの場に居なかったら、男の顔を殴り飛ばしていた。彼の前だから、暴力に出るのをなんとか耐えているだけだ。
「なんだ、足りないのか」
しかしオムがそう言ってさらに銀貨を出そうとした瞬間、彼女は激高して叫びそうになり、
「このお金は、戻してください」
というエリサンの言葉で、なんとかとどまった。
その一言で、ようやく感情を抑えることができる。が、同時に先生の手を煩わせてしまって申し訳ないとも思った。
「先生」
「イラガさん。申し訳ないのですが、先に外のお肉をばらし始めてください。
こちらの方とは、私が話しておきます」
「あ、はい」
思いがけない言葉に、イラガは頷いてしまった。
きっぱりとものをいうエリサンは珍しい。いつも彼はひかえめで、自分の意思はあまり表に出さない。それが今日はどうやら自分と同じ気持ちをもって、この絆が金で買われたことに怒ってくれたのだ、と。
イラガはそう思えた。それが嬉しい。
「先に始めておきます」
だから、一人でアナグマをばらすことも全く苦ではなかった。
自分の怒りが先生と共有できたのだ。さっきまでの怒りを半ば忘れて、イラガは家の外に出て行った。
取り残されたオムは、エリサンを睨んだ。彼は苛立っている。
しかしエリサンはそれを受け流した。
「まず、このお金を仕舞っていただけますか。
話は私が聞きます。イラガさんに薬を出したのは、私です」
「そうか。ならば、この金はまだ置いておこう。お前に聞きたいことがある」
「なんでしょうか」
言いながら、彼はなぜこんなことをしたのか自分で不思議に思っていた。
オムの態度は身分の高い者にありがちなもので、特に感じるところはなかった。言われているのがエリサン一人であるなら、神に仕える身だからと言ってやんわり断ることができただろう。だがイラガはそのような対応ができない。身内を切り売りしろと言われているような気になって、怒るのは当然だ。
エリサンが話し合いを壊す意味は薄かった。イラガが我慢できずに怒鳴っても、それを利用してうまく両者をなだめ、お互いの意向を冷静に聞き出すことはできたはずだ。それから交渉をしてもよかった。身分の高い者は交渉をした結果についてはおおよそ真摯だ。そのほうがおそらくこの話し合いに禍根を残さなかっただろう。
なのに自分が間に入って、イラガを外に出したのは。おそらく「模範的な神官ならそうした」「善人なら当然そうした」というものではなく、素のエリサンがそうしたいと思ったからなのだ。
(イラガさんのような素晴らしい狩人が私のような者を思ってくれているのに、それを金銭に変えるというのはあまりにも耐えがたい。
だからつい、私も声を出してしまったのだ)
エリサンはそこまで分析して、悔いた。
死ぬまで善人を演じ続けるはずが、自分というものを判断基準にしてしまった。いけないことだ、と彼は信じた。
「イラガの呪いとは、実際にはなんだったのだ。なぜ完治したのだ」
オムの問いは、答えられないものではなかった。先ほどの怒りはすでに心の底に沈んでいる。
エリサンはわずかでも唇の端に笑みらしいものを浮かべようと努力しながら、こたえた。
「皮膚の病ですね。毛皮のごく浅いところに小さな虫が住み着いて、食い荒らすものです。
これは特に皮膚の柔らかな部分、わきの下や肘、下腹部に特に繁殖するので、そこへ駆虫する薬を塗りこみます。
毛が抜け落ちて、外見が特に変わる病気なので恐ろしい病だと思われるかもしれませんが、治療法も確立しています。これを治癒したといっても名医とはいえません。イラガさんは感謝してくださっているようですが」
「お前は名医ではないのか?」
「自分ではそのように思っています。失敗して、死なせた患者もいます。
それに私が覚えた治癒術は、町医者の方について習ったものなので、他の治癒術師より優れているとか、そういったことはおそらくないと思います」
「よかろう。お前、キサラを見てどう思う」
話が変わった。
オムはキサラを片手で示し、よく見ろと言っている。
エリサンは訝しく思いながらも言われるまま、キサラの顔をよく見た。キサラは話が長くて退屈なのか、部屋の中をキョロキョロと見回しながら足をぶらぶらさせている。
しかし病状らしいものは見当たらない。顔色も悪くなく、熱を出しているようなところも見えない。
「見たところは、普通の子供のように見えますが」
「その子は生まれて14年になる」
言われて、エリサンはキサラに目を戻した。
どう頑張ってみても10歳以上には見えないが、14歳と言われれば確かに異常だ。
「生まれて8年過ぎたころから、背が伸びていない。何かの病ではないかと思う」
「そうかもしれません」
「心もな、はっきりしない。このくらいの年になれば、覚えられるはずのことがわからん。
難しいことが考えられん」
いくつかの症状が複合しているのかもしれない。エリサンはインク壺とペンをとり、症状をメモしていった。
「キサラさんを、治してほしいということですか?」
「治せるのか」
「……残念ですが、この症例は治療法がわかっていません」
正直にこたえるしかない。おそらくキサラは、精神的も肉体的にもある一定のところから成長が止まってしまっている。
原因はいくつか考えられるし、思い当たるところもある。頭の中の、成長を促す命令を出す器官がなんらかの異常をきたしているのだ。その異常がキサラの知能に何か影響を与えているとすれば、説明がつく。
しかし治療する方法ともなれば別だ。今の話は、似た症例で亡くなった人の身体を解剖したことで発見されたことだ。生きているうちに頭の中を開いて異常を治すなどということはできないし、特効薬なども発見されていない。手の付けようがない。
「だろうな。金を積んでも同じか?」
「今後、治癒術が飛躍的に進歩すればわかりませんが、難しいと思います。
話を聞いた限りでは、おそらくキサラさんの脳、その一部に何かしらの異常をもってしまっているとは考えられます。ですが、その異常を取り除く手段が今の我々にはありません」
エリサンは慎重に言葉を選んで説明した。オムは特に何も思っていないようだ。黙って聞いて、説明が終わるとこのように言った。
「そうか。だがお前はそこらの凡俗とは違うようだな。
これまでたずねてきた医者共は金を積むといえば、得体のしれない薬をこれでもかとすすめてきた」
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