新たな患者

 それからしばらくの日々を、エリサンはイラガと過ごした。

 冬の寒さがますます厳しくなり、それがやわらいで雪が徐々に溶けていく。

 その間、家は少しずつ補修されており、隙間風が吹いていたことなど遠い昔の出来事になり果てていた。イラガが灰から漆喰のような素材を作って壁を補修し、エリサンの住む家はすっかりきれいになっている。

 厳しい寒さにも耐えることができたのは、これが大きかった。


「先生」


 相変わらずイラガはエリサンのことをそう呼んでいる。

 衝立がなくなってからというもの、イラガの接し方は恩人に対するそれから家族に対するそれに変化していた。

 薬の作り方や祈りの仕方までエリサンから聞き出し、手伝いを務めているような始末だ。


 エリサンも、獣人の習慣を事細かに聞き出しては無理のない範囲で生活に取り入れていった。具体的には伝統的な食べ物を作ってみたり、精霊への祈りを欠かさなかったりといったところだ。

 また薬草を煮出した水薬、解熱に使う軟膏といった獣人用の薬の研究もしてみた。

 少量ずつ試してみて、実際に効果の出たものは治療に取り入れ、成果を書き残していく。


 医者としての興味もないではなかったが、エリサンはこうしなければならないと感じていた。

 このまま村にとどまって生活していくのであれば、これ以上の治癒術は必要ないといえる。彼は、のんびりしていていいはずだった。それなのに、イラガの知識を取り入れ、日々の勉強を続けることとしたのだ。


「先生は研究熱心ですね。どうしてそこまでなさるのですか?」

「どうしてでしょうね?」


 エリサンは自分でわからなかった。

 虚飾に塗れて生きているはずの自分が、このように日々の進歩を求めるようになっていることは、明らかにおかしい。善人の医者なら当然やっていることだから、というのとはまた違った理由が彼の背中を押している。


 彼は今日も家にこもって薬草を煮出していた。

 エリサンの知識では毒とされていた草だが、獣人たちはよく煮込んでから食べるというのだ。もしかするとこの毒は熱で分解されるのかもしれない。

 そうした仮説を確かめるべく、こうして煮出している。

 火の加減を調整しながら時間を量っていると、なにやら家の外から足音が近づいてきた。イラガが帰ってきたのだろうかと思ったが、それにしては早い。

 その足音が入り口までやってきて、遠慮もなく扉を開けてくる。


「こちらにイラガという獣人がいるときいてきたのだが」


 扉を開けたのは、長身の男だった。美形といえる若々しい顔で、ゆったりとした白っぽい、清潔感のある服を着ている。

 その傍らには、彼の腰ほどの身長の子供を連れている。

 エリサンは立ちあがって、軽くお辞儀をした。


「こんにちは。イラガさんは今、席を外しております」

「そうか。では少し、待たせてもらおう」


 男は有無をも言わさない調子で家の中に入り込んだ。

 エリサンはあっけにとられて、その様子を見守る。男は椅子に腰かけ、連れていた子供にも椅子にかけるように促した。

 子供は中世的な顔をしているので、男女の別がつきかねた。

 こちらはむっつりと黙ったままで、あまり面白くなさそうな顔を隠していない。


「わかりました。大したおもてなしはできませんが、ゆっくりしていってください」


 彼らの振る舞いは無礼なものだったが、エリサンは笑ってこたえた。怒りはない。このようなときに模範的な神官ならどのように対応するべきか、というところがわからないことが問題だと言える。

 怒っているというよりは、困っていた。


「ああ、ここで待たせてもらう。お前は、何者だ?」


 男が問いかけてきたので、エリサンはこれにこたえる。


「私は神に仕える身で、エリサンと申します。よければ、あなたがたのこともお聞かせ願えればと思いますが」

「俺はオム。こっちがキサラだ」

「わかりました。ではオムさん、イラガさんにはどのような御用でお見えになったのでしょうか」


 最低限のことは訊いておこうと、エリサンは質問をしてみた。

 善人であろうと、訪問者の全てを無条件に受け入れるわけではない。イラガに危険がある場合は、引き取ってもらう必要がある。


「少し頼みごとがあってきただけだ。こちらも直接にイラガのことを知っているわけではない」


 オムはそんなことを言った。頼みごとをしにきたわりには随分と態度が悪いなとエリサンは思ったが、もしかすると身分の高い人間なのかもしれないと考え直した。


(家柄の関係で、こうした態度を崩せない人間はいるものだ)


 医者としての経験からこのように考え、エリサンは気にしないことに決めた。

 それよりもキサラのことが気にかかる。面白くないようにぶっすりと黙り込んで、椅子に座って足をぶらぶらとさせている。

 見たところでは、どう頑張ってみても10歳になっていないようにみえる。髪を伸ばして、襟足のあたりで一本に縛ってまとめているが、不潔な感じは全くない。きれいに手入れされているようだ。服装もオムのものと似ていたが、色合いはやや青っぽい。


「外はまだ寒かったでしょう。よければこちらをどうぞ」


 薬草を煮出していたものとは別の湯をもって、簡単な飲み物を出した。

 これは蜂蜜と薬草の根をつかった、ごく軽い湯薬でもあった。口当たりは甘く、後にやや強い辛味があり、体が温まる。

 最初は予防薬として出していたが、飲みやすいのでイラガがたいそう気に入っていた。


「これはなんだ?」


 オムの問いにエリサンは、風邪の予防薬であり体を温めるものだとこたえた。

 そうかと答えて、彼はためらいなく口をつける。


「ほう、これは飲みやすい」


 オムは評価してくれたようだ。

 キサラのほうを見ると、こちらは熱いものが苦手なのかフーフーと息をかけて冷まそうとしている。しばらくあとにようやくすするようにして一口飲み、その甘さに目を輝かせた。


「おいしい」


 ようやくキサラの声が聞けたが、その声は子供らしい高いものだった。やはり、男女の別はつかない。



 イラガが戻ってきたのは、夕方になろうという頃だ。

 彼女は弓で射抜いたアナグマを背負ってきており、大分苦労したのかあちこち汚れたままだった。そのままで家の扉を開けて、いつもの調子で


「先生、今日はアナグマですよ。ばらすの手伝ってください!」


 とやったのだが、生憎そこにいたのはエリサンではなかった。

 家の中にはハンサム顔の男がいて、帰ってきたイラガを最初は驚きの顔で、後には興味深そうな顔で見ていた。


「君が、獣人のイラガか」

「そうですが。先生、こちらは?」


 イラガはあまりうれしくなさそうな顔で、薬の整理を続けていたエリサンに目を向けた。


「こちらの方は、あなたに頼みたいことがあって来られたそうです。私もまだ、詳しい話は伺っていません」

「はあ。急ぐ用事でないのなら、獲物をばらしてからでもいいですか? お肉が悪くなってしまうので」

「ばかなことを。我々にこれ以上待てと言うのか。とにかく話を聞いてもらいたい」


 オムは自分の態度を変えなかった。ずいぶん尊大な感じだ。

 相手が折れそうにないので、イラガは仕方なく背中からアナグマを降ろし、庭に残っていた雪に埋めた。こうすることで新鮮な状態を長持ちさせることができる。


 イラガが部屋に入ると、汚れた服を着替える間もなく、オムの話が始まった。


「まず確認したいのだが、君が呪いにかかって集落を追われたことは間違いないのか。その呪いは治せないと言われて」

「その話ですか。確かに、間違いないです」


 あまり思い出したい話題でもないだろう。イラガは詳しく話さず、肯定だけを返した。

 だがオムはその話をつづけた。彼の頼みごとに関係するのだろうか。


「そして君は、そのあとになって完治したのだな。どうやったんだ」

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