治癒術師の愚かな信仰
この手術のために、産婆や医者が集まっていた。エリサンが師事した町医者と、エリサン自身を含めて5名が部屋に集まり、なんとか母子ともに助けようとしている。
経験豊富な医者もいるので、彼らがやろうとしていることはそれほど無茶な行為ではない。
古来から分娩がうまくいかないときに刃物で腹を開けるということはされてきたのである。古い時代ではその後に母体が死んでしまうことがほとんどだったが、それでも子供に生きてほしいという選択をするものは多かった。
その後、開いたお腹の中身を、丁寧に縫合しさえすれば死亡率はそれなりに下がるということも知られてきている。
決して無謀な行いではない。
勝算はあったのだ。
だが、それにもかかわらず姉は死んだ。
「本来胎児がいるべきでない場所に、くっついてしまっていたのです。
そのために他の内臓がひどく傷ついていました。衰弱したのはそのためだったのです。
子供は生きていましたが、とりあげてから間もなく亡くなりました」
彼はこのように説明した。
母体も救えなかったことを、彼はずいぶん責められた。
「姉は予想以上に衰弱していたようです。切開と出血に耐えられなかったのです」
とだけ、言うしかない。そう考えるしかなかった。
エリサンや町医者の持っている医学では、この結論が精いっぱいだ。
もっと早い段階で病状が分かっていれば、意図的に流産させるなどして母体を救うことはできたはずだ。
しかしそうはならなかった。
エリサンや医者たちはあえて説明をしなかったが、胎児は圧迫されて発育不全になっていた。とりあげたものの、すぐに死んでしまったのだ。
集まっていた関係者は肩を落とし、悲嘆にくれて遺体と向き合った。
腹は縫い合わせて、服も着せてあるので薬で眠った時のまま、安らかな死に顔だ。
エリサンはそこから離れて、病室の隅にへたりこんでしまった。
「ぐっ……」
(だめだったか。ここまでやったが、だめだったのか。
どうすればよかったのだ。みんな私を信じてくれていたのに。いや、それよりも。
姉さんが死んでしまった……私の力が足りないばかりに)
「相見互い、というか。我々にも君の気持ちはわかる。
私たちにわかっていることなど、ほんのわずかにすぎないのだ」
応援に来てくれていた町医者や産婆はそんな言葉をかけてくれたが、何の慰めにもならなかった。
彼は閉じこもって、ひたすら悲嘆にくれた。
一日経って、ようやくエリサンは外に出た。単に、医者として姉の死を町に届けなければならないという義務を果たすためである。
葬式の手配はすでに両親が行ってくれているので、そちらは心配いらない。
何もできなかった、と彼は感じていた。
そして、何もわかっていなかった、とも感じている。
少しばかり人の体のことを知った気になって、知恵を絞ってやってみたが、結局生半可な知識で姉の体を切り刻んだだけではないのか。
普段から似た症例を探して、もっと自分で研究していればあるいは姉を救えたかもしれなかったのに。
魂の抜けたようにふらふらとしたまま、必要な届けをして自宅に戻ってみると玄関が壊されていた。扉が無理やりにこじ開けられて、荒らされているのだ。
何があったのかと家の中に飛び込んだが、その瞬間に彼は後ろから何者かに殴りつけられて、倒れた。
慌てて状況を確認しようと振り返ったところで、目の前にガツンと星が散った。顔面を殴られたのだ。そのまま続けて、あちこちを叩かれた。
何か、棒のようなもので叩かれているのだ。
エリサンは反撃することも逃げることもできなかった。そうするだけの気力は失われていた。
目を開いてみると、そこに立っていたのは木剣をもった男だ。
彼は、エリサンの義兄だ。姉の、夫だ。
妻と子供をいっぺんに失って、彼は怒りと悲しみで暴れている。その気持ちはわかる。
エリサンは黙って殴られ続けた。
完全に日が暮れたころに、義兄は帰っていった。エリサンはその場に放置されて、身動きが取れなかった。
翌日の昼頃になって彼は遺体を引き取りに来た両親に発見されて、町医者のところへ運ばれる。命は助かったが、顔には傷跡が残った。左足は、生涯引きずって歩かねばならなくなった。
しかしそれがどうしたのか。
エリサンは義兄がやったとは言わなかった。彼は錯乱していただけだろう。
(それと自分の罪は別の問題だ。私は間違えたのだ)
しばらくあと、義兄が再婚したと聞いた。恐らく彼の両親が話を進めたのだろう。誰と再婚を果たしたのか、ということさえエリサンは知らない。
エリサンの両親はと言えば、しばらくの間は気遣ってくれていたが、やはり姉のことで思うところがあったのか、次第に疎遠になった。連絡を取っても、返答がなくなった。
どうしようもない。
味方はいなくなった。エリサンは酒に逃げるようになり、家に戻らなくなった。
「そんなに飲んでいては、身体を壊してしまいます」
酒場でつぶれる彼を見かねて、教会に行くように勧めた人がいた。
「悲しいことがあったのであれば、教会へ行ってみては。神を信じられなくとも、あの雰囲気が心を安らげてくれます」
二日酔いの頭で教会に行った彼は、そこで女神像と出会う。
そして彼は神にすがり、神官となっていく。
このようにして彼は、家族と離れている。
おそらく両親はエリサンが司祭になったことも、このような小さな村に歩いてきたことも知らないだろう。
それでよくも、イラガに言えたものだ。自分ができてもいないことを、なぜ人に言えるのか。
エリサンは自己嫌悪に陥った。
善人を演じ続けることは、自分の本質に目を背けることだ。
どこまでいっても、エリサンは自分一人の事さえ片付けられない愚か者だ。
なぜ他人のことをできるというのか。
イラガは狩人として優秀で、集落を追われたことも本人には一切理由がない。ただ被害にあっただけだ。
(しかし私は違う。判断を誤って、姉も、その子供も死なせてしまった。
そこから何もやる気を失って、主なる神の助けを求めているだけなのだ。
神は善なるものと、信ずるものを救うというが、私のことはきっと救ってはくれないだろう)
そこまで考えても、それでも、エリサンは女神像を捨てる気にはなれない。
(毎日祈っているのだから、悪人である私も救ってくれはしないかと。私はそんなあさましい期待をしているのだ)
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