イラガの治療

 沈んでいた意識が戻ってきた。

 泥のように眠り続けて、ふと目を見開いた。


 どこか知らない、あばら家の中でイラガは目覚めたのだ。

 窓からは日の光が入ってきていている。

 ここはどこだろうか。


 身体を起こそうとして、イラガは自分が着ているものに気づいた。簡素なつくりの貫頭衣で、清潔にされている。

 自分の腕は、ただれたままだ。赤く腫れて、毛が抜け落ちている。


 しかし、かゆみはかなり抑えられていた。

 眠れもしないほどあちこちかゆくて、血がでるほど掻きむしった頃とは比べ物にもならない。

 それを理解した瞬間、イラガは息を詰まらせた。


 どうにもならないものだと思っていたのに、かゆみが消えた。それだけでももう十分すぎた。


「起きたのですね。おはよう。

 どこか痛いとことか、調子が悪いとかはありませんか」


 そんな声が聞こえた。

 どうやら、近くに誰かがいたようだ。


 目を向けてみれば、顔に大きな傷跡をつけた大男がいるではないか。

 手作りらしい、小さな椅子に座ってこちらを見ていた。


「こ、ここは」


 イラガは状況を訊ねようとしたが、それが終わらないうちに、大男は頷いて言った。


「ここは私の家です。あなたは山の中で私と出会って、目の前で意識を失くされたのです。

 見たところずいぶんひどい病気のようでしたし、かなりお疲れのようでした。

 失礼とは思いましたが、そのままにもできませんので、私の家でお休みいただいています。薬は効いていますか?」

「くすり?」


 そうか、かゆくないのは薬のおかげだったのか。


「獣人の方は、私の専門ではありません。おかしな副作用などでないか心配でした。

 どこか体におかしなところはありませんか。少し前に薬を塗らせてもらっています。かゆみ止めも飲んでいただきました」

「……なおるのですか」


 かゆみ止め、だけではない。この大男は自分のために色々としてくれている。

 ありがたいことに。

 獣人たちの治療法ではこれは治すことができなかった。呪いだと言われたくらいなのだ。


「大丈夫です。少し時間はかかりますが、心配するほどではありません。

 毛皮に悪い虫がついて、ちょっと食い荒らされただけです」


 そんなことを言ってくれる人は、集落にはいなかったのだ。

 イラガは治ると聞いて、それをほとんど信じかかった。


「ほ、本当に」

「ええ、命にかかわるものでもありません。お腹はすいていませんか。

 大したものがなくて申し訳ありませんが、どんぐりと野菜のスープなどは」


 確かにおなかは減っている。集落を出てからほとんど何も食べてなかったはずだ。

 イラガは出されたスープを大人しく飲んだ。がっつくほどの気力はなかった。


 それに、欲を言えば肉が欲しかった。

 なぜ人間たちは草のスープなどを飲んでいるのか、と一瞬考えかかったほどだ。

 イラガは食事を終えると、またすぐに眠った。他にすることもなく、疲れが抜けきっていなかった。

 治るのか、信じていいのか。

 どちらにしても獣人の知識では治らない以上、ここにいるほかはない。


 そんなことを考えていると、すぐに意識が落ちていった。


 3日ほどで、イラガはこの大男の名前と、真面目さを知った。

 この男、エリサンは顔に傷跡を作っている割には、異常に礼儀正しく真面目くさった生活をしている。


 医者であることはわかる。時折やってくる村の人々にマッサージをしたり、診察して薬を出すなどしている。

 また、信心深いようで、毎日のように女神像に頭を下げている。

 ほとんど、暇さえあればそうしていた。


「エリサン、あなたは女神の使徒か何か」

「使徒などとは大げさですが、私は神に仕える身です。あなたも含め、世をお救いいただけるよう、お祈りは欠かしません。

 獣人の方々にも信じている神や精霊があられるでしょう」


 言われて、イラガは思い返してみる。

 確かに大地の精霊に獲物を捧げるなど、集落でそれらしいことはしていた。

 とはいえ、どちらかといえばそれは慣習的なものであり、信仰心からそうしていたとは言い難い。


「どのような風習があったのでしょうか。その精霊に感謝などをあらわすには、特別なものは必要でしょうか?」


 エリサンが獣人の宗教に興味を持ったのか、そんなことを聞いてきた。


「何もいりません。食べ物か水を少し取り分けて、その名と地に感謝する、というだけです。

 日々の感謝には、それだけで」

「精霊の名を呼ぶのですか?」

「そうです。地の精霊ママユガに感謝する、と」


 やり方を聞いて、エリサンは荷物からカップをだし、水を入れた。


「これでかまいませんか」

「あっ、そうです。胸のあたりに捧げ持って」


 言われた通り、カップを胸の位置に捧げ持ち、彼は言った。


「異教の身なれども、地の精霊ママユガさまに感謝いたします」


 なぜ、人間が獣人の精霊に感謝などしているのだろうか。イラガは不思議だった。


「どうして、私たちの精霊に感謝などされるのですか。女神像に祈るのが当然ではありませんか」

「そうかもしれません」


 ではなぜ、と重ねて聞いてみたが、エリサンは答えなかった。

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