醜い怪物
奇妙な怪物を見た、という話が広まっていた。
村の男の、肩のあたりまでは背丈があったということだから、結構な大型の怪物だ。
なんでも全身が爛れたような醜い姿で、こちらに手を伸ばしてくるという。最初にそれに出くわしたものは、あまりの恐ろしさに矢も楯もたまらず逃げ出したらしい。
それほどに姿が異様ということだった。
「見たこともない怪物だったって、こんな怯えた顔をしてね」
エリサンはその話を、タテハの母親から聞いていた。タテハというのは、水薬を渡した子供の名である。
タテハの母親は、子供を見てくれたエリサンのことを気にかけ、様子を見に来てくれたのだった。
「誰かがけがをしたというのでもないんだけど、あなたも村の外に出る時は気を付けて」
「ええ、ありがとうございます」
エリサンは笑って答える。
しかし村の外に出ないで過ごせるほど、手持ちの食料は多くなかった。
ここしばらく、村人たちのマッサージや簡単な薬の販売で過ごし、家の隙間風もどうにかするだけのことはできた。村人からのお礼は食料が多かったが、そればかりに頼るわけにはいかない。
それに野菜を煮炊きするには、薪を拾いに行く必要はあった。本当に怪物がいるのなら、問題だ。
が、怪物に危害をくわえられたという話は出ていない。
すぐに逃げれば問題ないと思われる。村の男たちもそうしているということなので、エリサンは村の外に出ることにした。
念のために医療用の道具をウェストバッグに詰めて、彼は家を出た。野外活動のための簡素な服を着て。
掃除したおかげで、粗末な家は少し綺麗になっていた。
村の外は、山林が広がっていた。
植林などがされたわけでもない、自然のままの山林だ。様々な種類の木々が並んでいる。
ちょうどよい薪はあるだろうか。
薪拾いなどは、神に仕える修行としてずいぶんやらされた。エリサンにとっては手慣れたものである。
乾いた枝を探し集めて、まとめていく。
ついでに食べられるようなものもあれば、と思って探してみた。
しかし村の近くのものはすでに採取されているようだ。山芋などのむかごを切り取った跡がいくつか見られた。
エリサンは少し足をのばし、遠出することにする。
薮を分け入ってみれば、ドングリが足元に落ちていた。食べるには手間がかかるものだが、大量にあった。
エリサンはないよりマシと考えて、拾い集めた。森の動物たちのために、とりすぎないように注意しながら。
さらに進んだところで、いいものが見つかった。
ツタ植物が生えていて、何かが覆い尽くされている。おそらく何かの若木が巻き付かれているのだろう。
このツタ植物が有用だ。根を掘れば、食料になる。これも食べるまでに手間がかかるが。
少しやわらかい部分の根を分けてもらおう。
エリサンは頑丈そうな小枝をとって、ツタの覆う地面を掘り返し始めた。
土の中に埋まる茎を見つけたが、根はかなり堅い。
黙々と掘っていると、手元が見づらくなる。日が落ちかけているのだ。
急いだほうがいいだろう。
エリサンは膝を伸ばして、大きな体を伸ばした。膝が痛む。
ツタの根は持っていたナイフでなんとか切った。あとは持ち帰るだけだ。
そのときだ。
エリサンは自分の右側にある茂みがガサガサと音を立てるのを聞いた。
いけない。森の獣がやってきたのか。
咄嗟に逃げ出そうと彼は腰を落とした。だが、そこにあらわれたのは獣よりもずっと大きいものだった。
全身腫れあがった、怪物だ。
人型で、こちらに手を伸ばしてきている。何かを訴えるような目を開いて。
「オッ……」
大声をあげかかったが、エリサンはそれを飲み込んだ。
まだ日は落ちていなかった。どうにかその怪物の姿を、エリサンは観察することができる。
「待て、待て」
おそらくこれが、タテハの母親が言っていた『怪物』に違いない。
しかし、エリサンの見立てが正しいのであれば、これは怪物などではない。
ヒトだ。
もしや、獣人だろうか。しかし、毛が抜け落ちてしまって、皮膚もずいぶん痛んでいるようだ。
多分、女性だ。どこでどれだけ苦労をしたのか、衣服はボロボロで、垢だらけになっている。
エリサンはこの女性に近づいて、声をかけた。
「君、言葉はわかるか。私は医者だ。君を助けたい」
この女性はこれに何か答えようとしたらしいが、言葉らしいものは聞こえない。
彼女は逃げなかった。その場に膝をついて、そのまま前のめりになって倒れかかる。
よほど疲れていたのだろうか。意識を失っていた。
これをエリサンは抱きとめた。
この女性は今まで、辛い思いをしてきたのだろう。たった一人でこんな姿になっていることを考えれば、放置するわけにもいかない。
エリサンは、彼女を連れ帰って治療することにした。
誰もこんなところを見てはいない。この女を放っておいて家に戻っても、誰からも何も言われないだろう。
エリサンとしても面倒ごとを抱えたくはなかった。
だが、女神が見ているかもしれない。
自分の上着を脱いで、女の肩にかけた。
無用な混乱を避けるため、日が落ちてから村に戻る。
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