パッピーちゃんが伝えたこと

戸田 猫丸

パッピーちゃんが伝えたこと


 ワシの名は、かなえ

 人はワシのことを〝老師・叶〟だとか〝恋愛マスター叶〟だとか呼ぶが、気付けばもう60代も半ばを過ぎようとしている。


 今日はそんなワシの人生から、一つの失敗談を話すとしよう。


————————


 学生時代——西暦2023年。ワシには未來みくという恋人がいた。

 お付き合いを始めて1年が経とうとしていた頃、ワシは誕生日を迎えた。その日に、未來からプレゼントを貰った。


 ニッコリ笑った顔の、パンダのぬいぐるみだ。


「叶、ハッピーバースデー。はいこれ!」


「うわ、かわいー! 結構でかいね!」


 背が190cmあったワシが抱きしめると、ちょうどいい具合の大きさと柔らかさのぬいぐるみだった。とても気に入ったワシは、その日から寝室に置き、埃がかぶらぬよう手入れを怠らず、大切にした。


 勿論その頃は、未來とは仲良くやれていた。毎日のように連絡を取り合い、週一回は共に遊びに出かけた。


 ところが——。


『連絡ないけど、体調は大丈夫なの?』

『悩みとかあるなら相談してね?』


 ワシは卒業論文や掛け持ちをしていたアルバイト、サークルのイベントなどの忙しさが重なり、未來に連絡することが少なくなっていった。勿論、遊ぶ日も無い。

 一方的に、心配の言葉を投げられる。いつしかその言葉は、「忙しいのは分かるけど、せめて寝る前くらい連絡してよ」「3日も連絡ないってどうなん? 付き合ってる意味あるん?」という責めの言葉に変わっていった。

 しかし、愛はそこにあって当然だという慢心にも近い安心感があったワシは、特に気にすることもなかった。


 〝パッピー〟と名付けたパンダのぬいぐるみは——。

 ニッコリとした笑顔のまま、埃をかぶり、寝室の押し入れの奥に押し込まれていた。


「イベントがひと段落したら、デート出来るようになると思うから」

『なると思うから、じゃなくてなるようにしてよ!』


 それでもワシは、未來よりも自分のことを優先し、日々を送っていた。


 そして、ある夏の日の夜のことだった。

 その日も未來と連絡を取っておらず、未來がどう過ごしていたかはワシは知らなかった。

 疲れ果てており、未來に連絡をする気も起きず、ワシはベッドに横になった。

 いつもはすぐに眠りにつくのに、その日だけは目が冴えて全く眠れない。


「……んーー……」


 前日に酒を飲みすぎたせいで、お手洗いへ行きたくなった。ワシはお手洗いへと向かった。


 用を済ませ、洗浄ボタンを押した時だった。


「……え?」


 ドザーーッと激しい音と共に便器の中に流れてきたのは、血のように真っ赤な水だったのだ。

 嫌な感じがし、逃げるようにお手洗いから出た時、全身に寒気を感じた。いや……寒気というよりも、霊気だ。


 真っ暗な家の中が、いつもとは全く別の場所のように……地獄の闇のように感じられた。

 込み上げる霊気に身体を震わせながらワシは、寝室の襖を開けた。


 すると——!

 押し入れの扉がドンドンと、中から叩かれているではないか!


 腰を抜かし、ワシは床にへたり込んだ。

 唖然としていると、押し入れの扉が勝手にバタリと開き、ゴロンとパンダのぬいぐるみ——パッピーが床に転がった。

 ナツメ灯に照らされ、横向きに転がった体勢のパッピー。ニッコリ笑顔のまま、両眼が真っ赤に光っている。


「……あ……あ……」


 ワシは言葉にならぬ声を出していたのかもしれない。

 転がったままのパッピーの真っ赤な眼に睨まれたワシは、金縛りのように身体が動かなくなった。

 するとパッピーの口が動き出し、テレビで犯罪者などの声に変声効果をつけられたような、そんな声で——パッピーが声を発したのだ……。


「……オマエノ……ユウセンジュンイハ……」


 ワシはただ、それを聞くしか出来ないでいたのだ。


「ミク……ガ……ジコ……ヒンシ……コンヤ……ヤマ……ソレデモ……アイヨリ……ホカノコト……ユウセン……?」


 鉛のように重かった身体が、軽くなった。

 何があったか直感的に分かったワシは、恐怖心を振り払い、パッピーに尋ねた。


「未來は、未來はっ……! 今どこに……!」


「マツダ……ビョウイン……キュウキュウ……」


 ワシはタクシーを呼び、松田病院へ直行。

 救急病棟に駆け込んだワシが見たのは、未來の変わり果てた姿だった。


 生きていて一番、涙を流した日だった。

 ワシは言葉にならぬ声で、もう返事もせぬ未來に話しかけ続けた。


「ごめん……! もっと未來のこと、大切にしたらよかった……! 俺は自分のことばかり考えて、うわああああ……!」


 ——翌日の昼、目を覚ましたワシは、パッピーの埃を丁寧に拭き取り、前と同じように部屋の隅に飾った。


 あなたに向けられた愛は、当たり前ではない。

 一人になった時、いかに自分が弱くなるか。


 パッピーは、それを教えてくれたのだ。


——————


 未來は、一命を取り留めた。

 それ以来ワシは、愛を最優先に、毎日を過ごしている。

 最愛の妻——未來には、時々ではあるが「ありがとう」「愛している」と伝えるようにしている。


 未來が毎日作ってくれる料理は、ワシの元気の源なのだ。お互いに年老いても、愛と感謝を忘れずにいたいものだ。


 パッピーは、今もワシらの寝室の隅で、ニッコリ笑って座っている。

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パッピーちゃんが伝えたこと 戸田 猫丸 @nekonekoneko777

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