ナイトシアター

葉霜雁景

今夜のお客様

 ぬいぐるみは怖い。


 人間が動いていないところで、ぬいぐるみが動いているとしたら。人間が知らないだけで、ぬいぐるみには意思があったら。

 そういう仮定を、心底恐ろしいと思う。


 自分というのは、中身まで誰にも見せられない、とても醜い肉塊なので。それを知っているぬいぐるみたちが恐ろしい。ずっと手放せず抱きしめてきた君たちに意思があって、ずっと気持ち悪いと思われていたらと想像するだけで、怖い。

 でも、君たちが自ら動き出せるとして。その時、自分の恐怖を「そんなことないよ」と笑い飛ばしてくれる、なんてことがあったら。途方もない解放感に投げ出されてしまうかもしれない。


 当然、空想だ。ぬいぐるみが意思を持つなんてありえない。綿をくるんだ布包みだもの。

 けれど、たかが布包みのそれらを、自分は「君たち」と呼んでしまうし、失うこともひどく恐れる。ゴミ箱に捨てるところ、不意に失くしてしまうところ、出棺やお焚き上げで燃えるところを想像するだけで、ボロボロ泣くのを止められない。心臓の近くに現れる架空の、第二の心臓が締め上げられる心地がする。


 ぬいぐるみは怖い。正確には、たかが布包みに異常な肩入れをして、ありもしない空想を広げる自分が気持ち悪くて、怖い。


 死ぬまで一緒にいるんだろう。棺桶に入れて燃やすかもしれない。それって、他人からすれば気持ち悪いことなんじゃない? ぬいぐるみからすれば、勝手に殺されるようなものじゃない?

 ――とか何とか。結局たくさん考えたところで、君たちを手放すには至らない。ずっと抱きしめ続けてきたから、自分の一部になってしまって、切り離そうものなら流血してしまう。


 一緒にいたい。一緒にいたい。離れたくない、離れたくない。

 表に出して恥ずかしいほど、気持ち悪い自分だけど。君たちと一緒にいたい。一緒に灰になりたい。

 なんて、誰にも。君たちにも言えないし、叶わないかもしれないけれど。そうなれたらすごく嬉しくなれる、と思う。


 ■


「……人間って、こんなに色々考えてるんだ」


 無色に戻った銀幕を見て、客席にいた二つの影のうち、ひどく小さな方がこぼした。


「あなたの持ち主は、気持ち悪いと嫌悪しているようでしたけれど?」

「それは人間の感覚だろう。ぼくはただの布包みだ。持ち主の言葉を借りるなら、ね」


 ひどく小さな影の話し相手は、人型の影。未だ光は銀幕の反射だけという中、静かな声と軽い声が交差する。


「最初は興味なかったけど、案外面白いもんだ。ありがとう」

「どういたしまして。束の間ですが、意思を持ってみてどうでしたか?」

「特に何とも。ぼくらはただの布包みだもの。思ったり考えたりは人間のやることだ」

「それでは、あなたの持ち主が思い悩んでいたように、勝手を許すことになりますけれど」

「良いんじゃない? ぼくらは悲鳴を上げない。飽きられたり捨てられたり、燃やされたりしなければ一緒にいる、それだけだよ」


 映画の後、感想のやり取りをする人間よろしく、正体不明の影たちはすらすら話を連ねていく。そこに大きく膨らむ感情はない。見聞きしたものを共有している、ただそれだけ。


「しかし人間は難儀だなぁ。たかだかそんなことで悩むなんて。物なんて置いていかれる側なのが当然じゃないか。どうして気に病むんだろう」

「錯覚している、もしくは想像しているからですよ。どちらにせよ、人間は仮定が大好きですから」


 人型の影が立ち上がり、小さな影を持ち上げる。一つになった影は出口へと歩き出した。


「さ、そろそろお時間です。あなたの持ち主は消失を恐れておいでですし、目覚める前にお早めのご帰還を」

「そうだね。それじゃ、改めてどうもありがとう、通りすがりの君。さようなら」


 出口の先に続いていたのは、通路ではなく誰かの部屋。出口の扉は部屋の窓と一体になっている。影はまた二つに戻り、小さな影はベッドへと戻って、人型の影は扉を閉じるとともに消えていた。

 草木も眠り、誰も物言わぬ丑三つ刻。発露し形を持った意思も夜に溶け、ひどく小さな影はまた、ただの布包みに戻っていた。

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