11 佐野の理由
結局、会長の那須の部屋で話し合うことになった。二人部屋だが、那須一人なのでベッドも机も一つしかなくて、その分広い。
三人は真ん中に置いたテーブルに向き合って座った。
「佐野、君の話から先に聞こう」
那須に譲られて、佐野は腕を組んだまま話しはじめる。
「俺がこの学校に来たのは、ここで売春をしているという噂があるからだ」
「売春って? ここには女の子はいませんが」
祐太郎がキョトンとして聞く。
「男がいいって奴もいるんだよ。お前なんか、そいつらにとったら格好の餌だ」
「餌──」
祐太郎は人差し指を自分に向けて絶句した。
「まあ、お前には最初の日に投げ飛ばされたんで、力ずくはないだろうと思った」
「へえ、柔道部の猛者が投げ飛ばされたんだ」
那須が口笛でも吹きそうな顔をしている。
「別にあれは……、それに佐野君は心得がありましたし、つい本気になって」
祐太郎が慌てて説明する。
佐野は「俺は本気じゃなかったんだ」と横を向いた。
「その、餌っていうことは、僕がその売春を……」
「間違えるなよ。お前が買う方じゃないぞ、売る方だぞ」
佐野が噛んで含めるように説明するのを、那須が首を傾げて見ている。祐太郎がふと聞いた。
「ええと、値段とか取り分とか分りますか」
「お前、やる気か!?」
佐野が目を剥く。
「いや、ちょっと。幾ら位か、向後の為に聞いておきたいと」
あくまでも真面目に聞く祐太郎。
「向後の為なら聞くなっ!」
「はい…」
祐太郎が残念そうな顔をする。那須は二人のやり取りを瞳をぱちくりと見開いて見ていた。
「それで、誰が売春を──」
「中等部はどうにも違うようなんだ。高等部に何人か見当をつけているんだが」
「君、一年いて何も調べてないんだね」と那須が言う。
「五年もいて、何もしていないあんたに言われたくないぜ」
佐野が切り返す。
「まあ、確かに…」
那須が溜め息を吐く。
「その…、何でそういう事をするのでしょうか。何か事情が…?」
祐太郎が分からないといった風に聞く。
「いや。ここは金持ち校だ。それに男には不自由しないだろう。買うのはオヤジ連中なんだ。社会的地位のある連中が、現役のきゃぴきゃぴの高校生に惹かれて」
「そういう人を相手に? 何故です」
「弱みかなんか握られているんだろう。あるいは脅されているとか。成績とか、素行とか、襲って痛めつけるとか、卑猥な写真を撮られるとか」
「そんな──」
祐太郎は佐野の言葉を聞いて絶句した。
「ここの卒業生の中に斡旋する奴が居て、そういった鼻の下の長い金持ち連中に売る」
「……」
「で、生徒会長。あんたは何を知っているんだい」
祐太郎を相手にしていると、いつまでたっても話が進まない。佐野はいい加減で自分の話を終えて、那須に振った。那須は頷いて息を吐き出した。
「俺が知っていることをお前達に全部言うよ」
那須が話し始めようとした。
だがそこにコンコンとひそやかにノックの音がした。
那須がドアを開けると、転がり込むように入って来たのは鳴海だった。
「鳴海?」
鳴海は那須にしがみ付いて泣き出した。
「うっうっ、俺じゃない、俺じゃないんです。信じて…!!」
佐野が溜め息を吐いて、またにするかと祐太郎に声をかける。それで鳴海は慌てて顔を上げて、佐野と祐太郎に気が付いた。
「な、なんで秋元がここに居るんだよっ!!」
キッと祐太郎を睨みつける。その瞳が段々弱くなって、視線を落とした。涙がポロポロと転がり落ちる。
それを見た祐太郎は思わず鳴海の側に駆け寄った。鳴海の手を取って「僕は信じるよ」と宣言した。
驚いたのは鳴海である。慌てて祐太郎の手を振り解こうとしたが、更にしっかりと握り込まれて、鳴海はその手と、真摯な黒い瞳を向ける祐太郎の顔とを交互に見つめた。
「僕が鳴海を守ってあげる」
「おいおい」
佐野が祐太郎を引き剥がして、鳴海に聞いた。
「何でお前じゃないんだ。呼び出したのは誰だ」
鳴海はべそをかいたまま佐野を見上げた。唇が震えた。
「僕を呼び出したのは小平君ですが」と祐太郎が言葉を添える。
「小平君は議長の奥平さんの稚児ということだそうですが」
「じゃあ、黒幕は……」
佐野が早合点する。
「待って、違う。奥平は小平と付き合ってはいない。黒幕は俺だ」
那須がそう言って、鳴海が呆然と那須を見上げた。
「じゃあ、あんたがこの脩湧館売春事件の黒幕?」
「そういうことになる。お飾りだが、知ってはいた」
鳴海がヒィッと声を上げて那須から離れた。何故か祐太郎にしがみついて、祐太郎が肩をあやすようにトントンと優しく叩いている。
「じゃあ、コイツを呼び出したのも」
「いや、それは違う。龍造寺が仕組んだことだろう。躍起になっていたから」
那須は祐太郎の方に向いた。
「知っていて、次は誰を狙うか分っていて、何も言わなかった。何もしなかった。責任は充分、俺にあると思う」
まだ分からないと言いたげに佐野が聞く。
「学校全体が組織だってやっているのか」
「そうじゃない。しかし、上の方が一枚噛んでいる」
「何でも知っていそうだな」
睨む佐野に那須は涼しい顔をして答える。
「まあね。中学の時、随分苛められてさ、その時助けてくれたのが龍造寺先生だった」
「龍造寺は高校の先生だろ」
脩湧館の高等部と中等部は隣接した敷地に建てられていて、共用部分は図書館と体育館、それにグラウンドだった。
「何故か龍造寺が出て来たんだ。俺はその頃は眼鏡をかけていて、痩せて貧相な少年だったから、龍造寺も俺を使おうとは思わなかったようだ。俺の家柄が目当てだったのかな」
「いいところの出なんだな」
佐野の言葉に那須はにやりと頷いた。
「祖父がここの理事をやっているからな。俺は妾腹だがね。ここにはそういう奴が多い。そして、そいつらは闇に葬られるか、もしくは飛び立つ。運が良ければ。そして俺は運が良かったのさ。義兄がどうしようもないウスラトンカチでアホで、俺にチャンスの芽が出て来たんだ」
輝くような笑顔でにっこり笑う那須に、痩せて虐げられて怯えたその頃の面影はまるでなかった。
「皆の俺を見る目が変わった。良くしたもので、自信を持てば世界は変わった。龍造寺は前の俺を知っていて巧みに利用した。その頃になると、龍造寺が苛めた奴らをどういう風に使ったか知れたが、俺は鷹揚にその上に乗っかっていた」
那須は祐太郎の方に向き直る。項までの明るい栗色の髪が優しく縁取る形の良い顔。二重の綺麗な瞳が真摯に祐太郎の黒い瞳を覗き込んで、ピンクの唇から耳に優しいハスキーボイスが囁いた。
「俺みたいな悪党は、本当に綺麗な奴を見ると汚してしまいたくなるんだ。この手で」
瞳を少し眇めて、ふと自分の手に視線を下ろした。
「とにかく俺は、君だけは守りたいと思った。人の手にかけたくなかったんだ」
鳴海が顔を歪めた。またポロポロとその瞳から大粒の涙が転げ落ちる。
「ううう、僕には誰も守ってくれる奴なんかいなかったんだ」
祐太郎が鳴海の肩に腕を回して引き寄せる。
「僕が守ってあげる」
「でも、僕はもう汚れてしまった」
「あの大人達より汚れた奴はいないよ」
「秋元……」
二人は見詰め合った。
「大丈夫。僕が君を鍛えてあげる」
「え」
「強くなって、自分も愛する人も守れるような人になれるように」
「──」
鳴海は逃げようとしたが祐太郎は離さない。
「一緒に柔道部に入って鍛えてもらおう」
「そういうことならいいぜ。任せろ」
成り行きを見ていた佐野が太鼓判を押した。
「さて、売春事件の方はどうする」と那須の方に向き直る。
「事件になって学校に傷がつくのは困る。しかし、これ以上彼らをのさばらせる訳にはいかない」
「なら話が早い。叔父貴に応援を頼もう」
「佐野君の叔父さんって?」
「警察に行っている」
「……」
那須と祐太郎と鳴海が唖然と佐野を見る。佐野が那須に詰め寄った。
「証言できるか」
那須は佐野を見返してきっぱりと頷いた。
「出来る。しかし証拠は無い。いざとなったら誰もが口を噤むだろう」
「訴える者がいなければ、事件にはならないが」
佐野がうーむと、腕を組んで首を傾げる。
「そして、これからも何度も……」
「僕はもう嫌です。訴えてもいい」
鳴海が叫ぶように言った。
「よっしゃ、そういう奴を集めよう」
佐野が大きく頷いて、四人は直ちに行動を開始した。
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