親切なチョウのはなし

黒いたち

親切なチョウのはなし

 おだやかな春のひざしが、ちいさな庭にふりそそいだ。

 赤いツツジの生垣いけがきに、青いパンジー、黄色の菜の花。

 いろとりどりの花のあいだを、チョウは自由に飛んでいた。

 甘いみつ、酸味のある蜜、コク深い蜜――。

 花から花へと飛びまわり、春の恵みをぞんぶんに味わう。


 チョウは黒い羽に、青い点々をもつ。

 ひだりの羽のいちばん下だけ、赤い点がひとつあった。

  

「もし。そこのきれいな羽のお嬢さん」

 

 ちいさな声に、チョウは顔をあげた。

 庭のとなりには、人間の住む家がある。

 かべの赤レンガは、行儀ぎょうぎよく並んでいるだけで、ひとこともしゃべらない。

 首をかしげ、またストローで花の蜜を吸いあげる。


「もし。そこの食い意地がはったお嬢さん」

「俺はオスだ!」

「なんだ、オスか」


 声はレンガの上から聞こえた。

 ひらひらと羽ばたいてみると、出窓がすこし開いていて、燕尾服えんびふくを着たクマのぬいぐるみが、つまらなそうに寝転がっていた。


「態度のわるいクマだ」

「わざわざ文句を言いにきたのかい? まあいい。君、すこし手伝えよ」

「やだよ」

「なんでだよ。私のご主人が、ヒメリンゴの花が咲いたか、気にしているんだ」


 ぬいぐるみは、手のステッキで、室内を指す。

 窓の光も届かない、部屋の奥のベッドに、ひとりの老婦人が寝ていた。 

 チョウは、ひらりと庭をみやる。

 西側に、白い花をいくつも咲かせたヒメリンゴの木があった。


「たくさん咲いている。じゃあな」

「まて。花をとる手伝いをしてくれ」

「はあ!? なんで俺が」

「私はぬいぐるみだから鼻がきかない。どうせなら、いちばんいい花をご主人に届けたい。おまえはチョウだから、どれがいちばんいい花か、わかるだろう」


 チョウはためいきをついた。

 気持ちはわかるが、こちらも忙しい。

 命が尽きるまえに、メスをさがして求婚しなくてはいけないのだ。


「俺にメリットがない」

「あるさ。君の活躍を、私が後世まで伝えよう。自分が生きた証を、残したくはないのかい?」


 チョウはその提案に心がうごいた。

 ひらり、と出窓にちかづき、ぬいぐるみの目をじっと見る。

 ぬいぐるみは、チョウを真剣に見返した。


「どうすればいい」

「この糸を、いちばんいい花に、結んできてくれ」


 クマのぬいぐるみは、燕尾服のすそを引っぱる。

 ほつれた場所から糸がのびて、燕尾服が短くなった。


 ぬいぐるみの決意に、チョウはうなずいて糸の先をうけとる。

 ひらり、ひらりとヒメリンゴまで飛ぶと、いちばん白くて甘いにおいのする花に、糸を結んだ。


 出窓にもどると、ぬいぐるみの燕尾服は、マフラーのようになっていた。

 それをすこしも気にとめず、ぬいぐるみはチョウに笑う。


「さあ、いっしょにひっぱってくれ」

「チョウづかいがあらい」


 ふたりでちからいっぱい糸をひっぱる。

 いちばん白くて甘いにおいのする花は、がくからすぽんときれいに抜けた。


 糸をすべてたぐりよせ、出窓に花が到着する。

 チョウもぬいぐるみもへとへと。

 ふたりで出窓にへたりこみ、顔をみあわせて笑った。


「なにもかも君のおかげだ。ほんとうにありがとう」

「いや……俺も楽しかった」

「約束はかならず守る。どうか安心してくれ」


 その言葉に、チョウはどうしてもぬいぐるみに聞きたいと思った。


「俺は仲間から、ひだり羽の色が変だと言われてきた。この赤い点はおかしいか」

 

 チョウはひらりと羽をひろげた。

 黒い羽に青い点々、ひだり羽のいちばん下にだけ、赤い点がひとつある。

 クマのぬいぐるみは、それをみて、やわらかく微笑んだ。


「これはとてもうつくしい。ご主人が愛する、ヒメリンゴのようだ」






 今年もまた春がきた。

 赤いツツジの生垣に、青いパンジー、黄色の菜の花。

 いろとりどりの花のあいだを、チョウは自由に飛んでいた。

 甘いみつ、酸味のある蜜、コク深い蜜――。

 花から花へと飛びまわり、春の恵みをぞんぶんに味わう。


「もし。そこのきれいな羽のお嬢さん」


 声はレンガの上から聞こえた。

 ひらひらと羽ばたいてみると、出窓にシャツを着たクマのぬいぐるみがいた。


「なにかごよう?」

「私は長らくかたをしております。お嬢さんのような素敵なレディに、ぜひとも聞いていただきたいお話があります」


 チョウはひらりと羽をうごかす。

 黒い羽に青い点々、ひだり羽の中央に、赤い点がひとつある。


「いいわよ。なにを聞かせてくれるのかしら」

「それでは――親切なチョウのはなしをいたしましょう」

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