第9話 他にも心臓病患者いた

 緊迫する事態の中、鬼虎魚先生は腕を組んで立ち、異様に冷静だ。


「こいつは心臓から謎の磁場を発生させる病気だって、お前そう言ってたよなぁ」

「はい。磁場は、いつもネオジム磁石で消すんです。何か知ってるんですか先生」

「その磁場は本来、この空間の外、人間が観測できない時空間に存在するという説がある」

「ど、どういうことですか!」

「詳しく話しゃしねえよ。おれだってよく分かんねぇんだ。ただ」


 先生が、手に持っていたもの。それは、よく見慣れた豆粒ネオジム磁石。


「なんで」


 手に持っていたそれが、なぜか空中に浮く。


「亮人。このままだと桜真那の命が危ないってことは重々分かるよな。この公開ディープキスをやったのには、お前にこの事実を知ってもらうためだ」

「どういうことですか! 69回遅刻した罰じゃないっていうんですか!」

「そんな校則がある学校、果たしてこの日本に存在すると思うか?」


 先生の瞳はいつになく真剣だ。眉が吊り上がり、口を固く結び、決して不興を買うことが許されぬ雰囲気。


「真那は……真那はどうなるっていうんですか! まさか、このまま」


 このまま旅立つのか? 最後の最後に、みんなに笑われながらディープキスをして?


「お前らの悩みは、デカすぎるんだよ」

「悩みってどういうことです」

「桜真那から聞いて、知ってるんだ。母の愛情不足、兄の失踪、中学でのいじめ。楽しさや喜びとは程遠い、負の経験をしている桜真那は、唯一亮人、お前にだけに心を許している」

「そう言ってたんですか? 真那が」


 静かに頷く、先生。


「だが今、全校生徒に笑われたお前の心は、大量のストレスを抱えている。大黒柱にシロアリが何万も住みついたらどうなる? 拠り所は倒壊よなぁ」

「それ…………」

「お前のストレス度合いが、桜真那の命を左右する。そういうこった」

「そんな…………」


 俺のストレスが、真那の命を左右する、だと? みんなに笑われた今、真那を救う方法は、みんなに笑われても何も感じない強い心を得ることなのか? そんなの人間業じゃ無理だ。つまり真那はもう――


「おれの身長が低い理由、分かるか」

「え?」


 先生が、真那の身体に触れながら言う。


「おれもな、謎の磁場の影響を受けてる。今まで生きてきて、何度アレに苦しめられたことか」

「先生も…………同じ病気だったんですか?」

「おうよ」


 真那の身体と先生の手の接触部分が、黄緑色に光り始めた。


「昔からおれは自己中心的で、気に入らねえことがあったらすぐ暴れてた。校内を自転車で走ったり、校舎のガラス窓を全部割ったり」


 黄緑の光は、徐々に強く輝く。それに伴って、白い湯気のような光が弱まってゆく。


「『利他的になれ』。誰かがそう言った。近所のオッサンだったか、はたまた教師だったか忘れた。こんなクソみたいな社会で、誰もおれのことなんか評価しない中で、他人のために何かするなんて馬鹿も同然だと思ってた」


 なおも、黄緑の光が強烈に光る。


「そんな時、出会ったんだ。一人の生徒に」

「生徒?」


 そうして先生は、目をつぶる。しばしの無言の時。


「桜真那の兄は、8年前に失踪してるな?」

「そうですよ。八郎さんは失踪して行方不明です」


 それも、真那から聞いたんだろうか。それにしては、どこか当事者意識を感じる口ぶり。


「おれが八郎の行方を知ってるかもしれないと言ったら、お前は信じるか?」

「なっ!」


 真那の身体に手を当てたまま、言う。さながら、ヒーラーが回復の術を使うように。


「やつは本当に妹思いでな。提出物を遅れて出しに来たとき、なにかと桜真那の話を楽しそうにしたもんだ。こっちが激怒してるってのに、妹の世話で忙しかったっつって、取り換え不要の免罪符にしてな。でもおれは、それを許さざるを得なかった」


 先生の言葉は信じるに値する。なぜなら、八郎さんはこの学校出身だからだ。真那はかねてから兄が学ぶこの高校で勉強し、楽しい高校生活を送りたいと言っていた。そして無事合格できたけれど、中学のころのいじめによって不登校になった。


「おれの経験から、この磁場は、特定の人間に何らかの大きなダメージを与える。それが肉体的なのか、精神的なのかは人によってまちまちだ」


 真那の身体から立ち上っていた白い光は、とうとう消えた。しかし黄緑の光はたえず光り輝いたままだ。先ほどよりは少し輝度が小さくなっている。


「ある日、八郎は言ったんだ。あの日は確か、日直係の日誌を持ってた」

「何て言ったんですか」


 食い気味に尋ねる。


「ヨコライナに行きたい、とな」


 ヨコライナ。いまだに戦争が続いていて、多数の犠牲者が出ているヨーロッパの国だ。日本政府は渡航禁止命令を出していて、公的には訪れることのできない国だ。


「もちろん反対したさ。でも、その意思を潰すのは無理ってことを理解したのは、お前が見慣れてるネオジム磁石が反応したからさ」

「どういうことですか」

「非常に稀……いや、今までに八郎ただ一人だが、感染したんだよ。磁場が」

「磁場が……感染?」

「確実に桜真那の磁場が影響してる。相当仲が良さそうだったし、磁場の影響を受けやすい環境だったことは容易に想像できるだろ。その磁場が、おそらく八郎の脳にダメージを与えた。それまで『志願兵になる』なんてことはおろか、ヨコライナのことさえ一言も話題にしなかった彼が、突然口にした異常な発言。あのときは時間が止まったかと思うくらい、マジでびっくりしたさ」


 ということは今、八郎さんは志願兵として戦地で命の危機に晒されているということか?


「もっと詳しく教えてください」

「今から話すんだよ。食い気味だなオイ」

「当然です。で、どうなったんですか」

「『大学を卒業したあと、もし就職口が見つからなかったら行け』。そう答えた。誤解するなよ? あいつは相当優秀で、実際にとある旧帝国大に合格したんだ。別にコミュニケーション能力に問題があったわけでもないし、しかも工学部だったからな、就職には困らないと判断したんだよ」

「ということは、戦地にはいない可能性もあるってことですね」

「そうだな。そして、やつの異常な思考をもとに戻すには、磁場を消す必要があった。そしてそのためにはエネルギーが必要だったのさ」

「エネルギー?」

「ああ。もとからこの病気を持ってるやつにはある程度耐性があって、磁石当てりゃ磁場は消える。しかしな、普通の健康体には耐性がゼロだ。例えるなら、明るい性格のやつが衝撃的な負の体験をして、急に暗い性格になったようなもんだ。急激な変化に対応できる能力を、人間は持ってない。この磁場の影響を初めて受けた八郎には、磁場を制御する能力なんて備わっちゃいなかったんだ。だからおれがエネルギーをかけて、磁場を消した」


 ようやく、黄緑の光が消えた。真那の身体から立ち上っていた湯気みたいな光も完全に消えている。


「もう想像ついてるんじゃないか? おれが低身長な理由をよ」

「磁場がもつエネルギー以上のエネルギーをかけた結果、磁場は消えて、代わりに身長が縮んだっていうんですか?」

「ああ。『おれ』っていう一つのエネルギーを、『磁場』っていうエネルギーに変換したのさ。位置エネルギーが運動エネルギーに変わるのと同じことだ」

「にわかには信じ難いですよ。そんなことが」

「難しくはないだろ。おれの身長を見れば。それについさっきまで見てたろ、おれの手から出てた光。つまりは、百聞は一見にしかずってやつだ」


 小学生みたいな、低い身長。


「これでも昔は160あったんだ。それが、あの時の影響でこんなになっちまった」

「え⁉」

「物体にはエネルギーがある。それを別のモンに変換すりゃ、当然物体は縮む。つまり身長が縮んだんだよ」


 それで30㎝も身長が縮んだっていうのか。


「次の日から八郎は普通に戻った。相変わらず妹のかわいさとか、優秀さをバカみたいにとくとくと話してやがったぜ。そして無事に高校を卒業し、大学に進学した。つまり、失踪した原因は大学時代にあるってこった」

「それだとますます分からなくなってきますよ。どうやって八郎さんの大学時代を知ればいいのか、分からなすぎます」

「そうだな。おれにも分からん。ただ、情報としてヨコライナに行きたいと言っていたことは伝えておこうと思ってな」


 八郎さんにそんな過去があったなんて。子供の頃は、よく遊んでくれるお兄ちゃんって印象しかなかった。失踪したという事実だけで考えて、真那のことを見捨てた最低な男だとも思っていたが、話を聞けばむしろ逆で、俺以上に真那を大切に思っていたともいえる。


「昔は八郎が、桜真那のもたれかかれる柱のような存在だったんだろう。だが今、桜真那の柱はお前だ。お前が崩れたら、こいつは寄り掛かれるものを失って、最悪死に至る。今日のことで重々分かっただろ」

「そんな……」

「いいか。こいつの言うことはよく聞いてやれ。遅刻なんかどうでもいい。69回だろうが何回だろうがどうでもいい。一人の人間の命がかかってるからな」


 ここまで重い状態だなんて。


「真那が、もし俺のことを嫌いになったらどうなるんですか?」


 自分でも信じられないくらいぼそっとした声が漏れる。


「んなこと考えんな! 今まで通り、一緒に生活するこった。それだけだ」

「分かりました」


 体育館は、もうすっかり誰もいない。この怪奇現象を見て、全員逃げ出したのだ。

 俺は、もう高校生活を諦めるしかないと思う。


「なんだその腑抜けた顔は」

「だって、もう俺、高校でやっていけないですよ。女子とディープキスして、怪奇現象見られて、結果、異物扱いされて。単なるぼっちじゃなくて異物ですよ? もはや人間でもない。誰が近寄ってくるんですか」

「本当にそう思うのか?」

「……」


 鬼虎魚先生の目が、怪しく光る。 


「おれも、この病気に罹患してる一人だ。全校生徒300人の中に、もしかしたら1人や2人、いるんじゃねえか?」

「…………いるんですか?」

「さァな」


 に、と笑う先生。

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