第8話 地獄の公開処刑

「えー、諸君。これより、学校始まって以来の大遅刻魔、切幡亮人に対して公開処刑を下す。もう一度言う、これは公開処刑だ。諸君、目を見開いてガン見しろ。同じ目に遭いたくなければ、くれぐれも69回の遅刻だけは避けるように」


 壇上で、鬼虎魚先生がマイクを持って話す。


「生徒諸君に紹介しよう。今、向かって右側に立っている冴えない男子が切幡亮人だ。左側は、今まで一度も学校に来ていないが、この高校の生徒だ。名前は桜真那」


 ここは、壇上。俺と真那は向き合っている。スポットライトが当たり、周囲は真っ暗闇。


「69回? やっば」「ありえなくなーい?」「さすがに許せねえ」「俺たちは毎日朝練やってんのになぁ」「人生ナメてんのかアイツら」「社会でやってけない系カップルw」「人生オワタカップルw」「女の子、アイマスクしてんじゃん」「かわいいぜ、ナンパしようかな」「きも」「きっしょ」


 ざわざわと響く、ものどもの声。


(くっそ! 好き勝手言いやがって! なんにも知らないくせに!)


「さくらまなって、もしやあの?」「だとしたらマジでヤりたいんだが」「ぶっかけたい」「後ろの穴を解禁しろ!」


(真那に変な視線を向けんじゃねえぞ、クソどもが!)


 何も抵抗できない。当たり前だ、体育館の壇上に突っ立っているんだから。

 せめてもの救いは、真那の視覚と聴覚がシャットアウトされていること。こんな酷い陰口を叩かれていると知ったら、完全に真那は心を閉ざしてしまうだろう。


「皆の者!」


 再び鬼虎魚先生の怒号めいた叫び。


「公開処刑ってのは娯楽だ! フランスではジャンヌ・ダルクの火刑、魔女狩りによる魔女の火刑。イギリスでは一般庶民からチャールズ1世まで。イタリアのコロッセオ、日本のはりつけ。かつて死刑は大衆の前に公開され、退屈な日常を打破するための娯楽として扱われた。しかし現代、肉体を死に至らしめることがまかり通る時代ではなくなった。そこで!」


 最低な演説だ。二度と聞きたくない文章第一位だ。


「愚の骨頂たる大遅刻魔に、一生トラウマになるであろう濃厚ディープキスさせて、死刑にも匹敵する大ショックを与える! 喜べ皆の者! ならず者が罰せられるところをとくとご覧あれ! 嫌でも苦しくても一生懸命学校に来ている聖人君子たちよ、このならず者どもを心の底から軽蔑し、見下すんだ! ぎゃっはははははは! バチは当たらねえ、おれが保証する。ぎゃーっはっはっは!」


 もうこの時点で公開処刑なんだが。こんなんに加えてディープキスをする必要ってあるのか? 精神がもたないってレベルじゃねーぞ。


「亮人いる? なんにもみえない」


 そのとき!


「え、めっちゃかわええやん」「あの子の声スキだ」「ASRMキター!」「いやお前、囁きの真逆だぞ。でもとにかくかわいい」「男子キモ」「遅刻魔はもっとキモいよね」


 俺たちの声は、指向性マイクで拾われてたんだった。体育館に、大音量で響く真那の声。甘ったるい、男をダメにする声だ。いっつも俺の寝起きを邪魔する声。


「そんなら、切幡亮人、桜真那。今から5秒数える。ゼロ! っつったらすぐに開始しろ。さもないと、退学処分だ」


 くっそ。背水の陣だ。しかも5秒という絶妙なカウントダウン。先生のやつ、人が恐怖を抱く心理を分かってやがる。


「「「「キース キース キース 」」」」


 コール、発生。俺たちは本当に、おもちゃなんだ。


「「「「キース キース キース 」」」」


 *


 あれは、小学3年生のころ。真那が初めて自転車の補助輪を外したときだ。思いっきりぶちコケて、コンクリートの地面に膝小僧と手、ほっぺたをぶつけた。血だらけになりながら、わんわん泣いて、俺のほうに寄ってきた。


 一緒に見守っていた真那の母親と、兄。


 真那の母親は言った。「こんな運動神経のない子、どうして産んじゃったのかしら」と。

 真那の兄は言った。「お母さんそれは言い過ぎだ。ほら真那、手当てしてやるから家に入ろうな」


 そうして真那は、彼女の家に連れていかれた。



 俺のもとに、駆け寄ってきたっていうのに。


 

  ―



 母親よりも、兄よりも、俺のほうが真那を大切にしている自信がある。真那が誰を大切に思ってるのか、誰に褒めてほしいのか、誰に帰ってきてほしいのかも、全部知っている。


 俺には真那を支える権利が十分あるはずだ。一緒に寝てくれるほど親しいんだから。いつか俺のことなんかどうでもよくなったとしても、真那には幸せになってほしいんだ。


 なのに、俺は…………


 残酷なディープキスをしなきゃならない。


 *


 いつ、「ゼロ」の合図が聞こえたかなんて知らない。


「れろっ。にちゅっ」


 体育館中に響く、いやらしい水音。


「んちゅっ…………ぢゅうう」


 夏の、お祭り騒ぎのように、体育館中に野次馬の声が響く。驚嘆、侮蔑、快楽……。


「ぺちゅっ……ぢゅるっ…………にちゅううっ」


 国道を行きかう何百もの車にも思える、醜い人間たちの黒い声。幾百年も前から、人間が快楽を得るのは「自分より下の者の惨めな姿」。


「んっ…………りょ…………と」

「真那っ」


 頭がクラクラしそうだ。こんな酷いことをやってるだなんて。泥水の湧水のごとく、悲しみが溢れる。


「お互いの舌を貪りあってるぞおおお! 者どもよく見ろおおお! これがディープキスだ、ギャハハハハハ!」


 鬼虎魚先生の声、再び。酒を飲んだ酔っ払いの大声のごとく、愉悦に浸ってらっしゃる。


 そのとき! 真那の腰が抜けた!


「真那!」

「りょ…………」


 起こすべきか? このままにすべきか?


「おいお前ら。さっさとディープキス続けろや。あ?」

「先生! もういいでしょう! これは人間がやることじゃない!」

「なら退学処分だな。退学届、取りに来い」

「くっ」


 なんて冷酷な。拷問にかけて、ぶっこ●したい。


 だが、もはややむを得ない。真那は立てそうもない状況だから、真那に覆いかぶさって続行するしかない。


「ぢゅっ…………れろぉ」


 真那の温かい舌。

 真那の温かい体。

 真那の……真那のっ!


「べろぉっ」

「くふっ」


 これが真那の上顎。奥の方が柔らかい。


「じゅる…………じゅる、じゅるるっ」

「んみゅっ」


 真那のほっぺたの内側。こんな柔らかいのか、真那。


「惨めよなぁ」


 ゆったりとした、鬼虎魚先生のバカにしたような声。


 刹那、俺は気づく。


「りょ、うと」


 アイマスクと耳栓をして、床に仰向けの真那。髪の毛が乱れ、頬が紅潮し、悩まし気に眉を寄せ……

 真那が、こんな風になってしまったなんて……

 俺が真那を、こんな風にしてしまったなんて…………


 その時だった。


「うわっ」

「おわっ、何だ⁈」


 俺と鬼虎魚先生はほぼ同時に驚嘆。


「なにあれ」「コワ!」「光?」「白い光だ」「ライトじゃない?」「でも湯気みたいになってるよ?」「マジで光ってる」「怪奇現象じゃん」「あの子ナンパしないほうがいい」「地球外生命体だ」


 真那の身体から、まさに湯気のように、光が放たれ始めた。


「真那! おい真那!」

「りょ…………と」

「真那!」


 呼びかけた直後、真那の首がかくっと横を向く。


「真那ああああああああ!」


 とんでもない大音量。指向性マイクが俺の大声を拾い、体育館中を衝撃波のように響き走る。


「誰か助けてくれ! お願いだ、一生のお願いだ! 真那の命が危ない!」


 しかし、生徒たちは体育館の出口に殺到している。「早く行け」だの「押すな」だの、誰も俺たちに関心を向けない。


 俺はすぐさま真那の胸に耳を当てる。


「動いてないじゃないか!」


 手を交差させ、胸に手を当てて心臓マッサージをしようとしたそのとき!


「へっ⁉」


 真那の身体を俺の手がすり抜けた。

 虚像を押しつぶすように。VR動画の物体を掴むのと同じように。そこには、光だけしかない。


幻像げんぞう、だな」


 横に、鬼虎魚先生がいつの間にかいた。


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