第5話 体育館の壇上でディープキスすることに

 結論から言うと、逆マジックミラー号が故障した。


「ざっけんじゃねえぞコラ! こちとら依頼料100万円払っててめえらに委託してんだぞ! 故障? ふざけんな! こいつらだってディープキスやる気満々だったのに、生徒も野次馬精神爆上がりだったのに、なんてクズな業者なんだ。ああ⁉ クソが! 慰謝料1000万払え!」

「もっもも、申し訳ございませんっ!」


 鬼虎魚先生が、すさまじい剣幕で業者のおっさんを罵倒している。現在業者のおっさんは地べたに頭をつけ、鬼虎魚先生のちっこい足で踏まれている。ぐりぐりと擦り付けるように足を回転させ、にじゅっ、という不気味な音が聞こえる。


「おでこ、大丈夫かな」


 ぽわんとした、少し心配した口調で呟く真那。


「あんまり見ないでおこう。かわいそうだから」

「でも、痛そう。人が痛がってるの、わたし見たくない」

「鬼虎魚先生の激怒を止められるやつはいない。俺たちはまあ、そうだな…………」


 校舎に入るわけにもいかない。不登校の真那が学校に入るということは、大海原に浮き輪なしで投げ捨てられるに等しい。仮に浮き輪=俺があったとしても、油断できない。真那の過去を鑑みれば。


「ラーメン屋にでも行こう」

「まだ開いてない。そもそも学生が朝からラーメン屋に行くこと自体、非常識」

「…………お前に言われるとムカつくけど、否定できない」

「あそこのモミジのはっぱの下で、一緒に寝たい。そよ風が吹いてそうで、気持ち良さそう」

「朝から中庭の地べたで寝る生徒なんか非常識だ」

「うぅ……」


 風が強い。木の枝がひゅうひゅうと音を鳴らして、窓がガタガタと音を立てて、さながら自然が怒りの声を上げているようだ。


「ったくあの業者。慰謝料300万で勘弁とかぬかしやがって、腰抜けが。強盗雇って倒産させてえぜ」


 木の枝や窓が激しく音を立てる中、鬼虎魚先生が汚い言葉を連発しながらこっちに向かってくる。


「おいお前ら、罰がなくなったとか思ってねえだろな」

「え、でもマジックミラー号は故障して――」

「第2案が採用されたんだよ! マジックミラー号に次いで多かった意見は体育館の壇上、すなわちお前らは体育館の壇上でディープキスすることになったんだよ!」


 ん? ちょっと何言ってるかよく分からない。


「先生。もしかしてそれは、全校集会で校長先生が長話をする、あの壇上ですか?」

「そうだが? 全校集会と同じく、全校生徒を集めてお前らのディープキスを見せつけるわけだ。公開ディープキスの刑罰は永久になくならねえぞ」


 ギロ、と俺を睨み上げる先生。


「でも、そんなことしたら真那が!」

「関係ねえ。桜真那を守るのはおめえだけだってことだ。全校生徒に嫌悪されるか、ごく一部の理解者を掴むかだ。罰なんてものは、そう甘いもんじゃねえぞ」


 なおも鋭い視線を向け続ける先生。オニオコゼの顔はブサイクだが、この小学生先生の目は矢のごとく鋭い。そして、そこがキューティクルポイントだ。


「何笑ってんだ? バカにしてんのか」

「い、いえ」

「亮人、笑ってた」


 おい何言ってんだ幼馴染。誰の味方してんだよッ。


「さっさと体育館行くぞオラ!」

「今からですか⁉」

「ったりめえだろが! 今日中に全校生徒の前で上演するには、スクリーンやら音響設備やら準備が必要なんだよ。リハもせず本番なんて、前戯もせず本番するくらいひでぇことだ。覚えとけ!」


 29歳(自称)は、前戯を所望している。


「前戯って何? もう学校で習ったの?」

「いや、習ってない。少なくとも高校の範囲じゃないから安心するんだ」

「へえ、そうなんだ。でも、なんで高校の範囲じゃないってことを知ってるの?」

「さあな」


 キラキラと輝くまん丸い碧眼。小学生が休み時間におしゃべりするみたいな口調。


「あ…………」

「どうした?」

「また、磁場が出てきた」

「マジか。ちょっと待てよ」


 俺はすぐさま真那のスカートのポケットから豆粒ネオジム磁石を取り出す。


「今すぐ治すからな」

「うん……」


 心臓にそれを当てて、4秒。


「もう治った。ありがと」

「礼なんて言わなくていいよ。いつものことなんだから」

「お礼は大事。嘘でも一応言っておく」

「俺をヘコませたいのかお前は」


 ふと鬼虎魚先生のほうを見ると、先生はこっちを細い目で見つめていた。俺と目が合った直後、顔をくるっと回して歩き始める。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る