第3話 甘えすぎ幼馴染の秘密

 真那は学生ニートといって差し支えない。こうして夜中にコンビニに行ける程度には、外に出ることができる。しかし学校となると、無理なのだ。典型的な、社会を怖がっている人。いじめの記憶が強く残っているためだろう、真那は一向に学校に行けそうな状態にならない。


「クレープ半分こしたいね」

「そうだな」

「半分こって言ったけど、四分の三はわたしのね」

「なんでだよっ」

「ふふふっ。亮人が怒ってるっ」


 俺といるときはこんなに陽気に振舞える真那。いつか、社会に出ても明るいままの真那であってほし――


(あれ……)


 社会に出た真那は、明るくあるべき。そのはずなのに――


(そんな…………)


 そもそも真那って、いつかはきっと社会に出るのか――


(…………)


 俺の心に、腐った血液のような、悪いものが溜まっている。俺は、初めて自分の悪辣さに気づいてしまった。


「亮人、今日の数学ってどこまで進んだの?」

「ベクトルの足し算だ」

「ベクトルって何?」

「なんかよく分かんないけど、矢印だった」

「矢印のことを英語でベクトルっていうの?」

「いや、違うんだ。そういうことじゃなくて。でも矢印だった」

「ふーん。亮人って相変わらず頭悪いね」

「ありがとうございます。後で激痛足つぼマッサージしてやるよ」

「え……」


 こんな日々が、今日で終わるだなんて。


 明日は、真那とキスをしなきゃならない。


 今までずっと妹みたいなもんとして見てたけど、キスをしたらどうなるんだ? そんな経験無いから分からない。真那のことを見慣れすぎて、もはや机や椅子と同然の「そこに常にあるべきもの」となっている。机や椅子にキスをしたところで何も思わないはずだ。ということは、真那の唇に接吻しても、何も思わないということになる。…………果たしてそれは、本当なのか?


「ねえ、足つぼマッサージやめようよ。動画でさ、すっごく痛そうにしてるOLさん見たことあるんだけど、悶絶して失神してたよ。怖いよぉ」

「真那」

「ふぇ?」

「唇を見せてくれないか」


 街灯に照らされた真那の唇。いっつも見てるものなのに、今は……


「キ……キス、するの? 野外プレイってことになるけど」

「見せるだけでいい。何度も見た唇だけど、真剣に見たことがないなと思って」

「う、うん……」


 俺の腕に絡みついたまま、もじもじし始める。俺の腕が真那の柔らかい手によって、もぞもぞと揉まれる。


 街灯の下に来た俺と真那。


「嫌じゃないなら、唇を俺に見せてくれ」

「見せて、いいよ」


 真那の唇は――


 光が反射した真那の唇は、ぷるんっと潤っている。柔らかそうで、ピンク色で、「貪ってみたい」と思えるほどには色っぽい。唾液が街灯の光を鋭く反射して、ぐっと自制していないと指でなぞってしまいそうだ。


「ねえ亮人、一ついいかな」

「どうしたんだ? 困った顔して」

「晩御飯のペペロンチーノのせいで、唇が油まみれなの」


 おい! 潤ってる理由それかよ! 俺は真那の唇の潤いじゃなく、パスタの油のテカりに女の子らしさを見出してたのかよっ。


「ティッシュ持ってきたの。亮人に口拭いてもらおうと思って」

「自分で拭け」

「えー。亮人やってよ」

「お前が持ってるなら自分で拭きゃいいだろ」

「意地悪。いきなり意地悪になるなんて、亮人の意地悪」


 何を言ってるのかサッパリ分からない。

 だが、こんなアホくさい日常は明日終わるんだ。


 あの命令が脳裏をよぎる。


『ディープキスをしろ』


 最悪最低だ。己の唇を誰かに捧げるのは、もっと先の未来だと思っていたのに。独裁者の威圧に屈する形で、美しい愛の結晶の模造品を製造しなきゃいけないなんて。


「口、自分で拭いたよ。汚いから亮人のズボンのポケットに入れよ」

「ゴミ箱に捨てろよ!」

「わたし専用のゴミ箱でしょ?」

「俺全体がゴミ箱みたいな言い方すんじゃねーぞ!」

「亮人はゴミ箱じゃないよ、わたしの所有物だもん」

「もっと嫌だわ!」

「わたしの犬だもん」

「あのなぁ」

「わたしのメス犬だもん」

「俺は男だ!」

「あ、コンビニだ」

「はぁ……」


 毎回思うんだが、真那と話してると、どっと疲労する瞬間がある。


「ねえ、亮人……」

「なんだ?」


 急に、顔色が悪くなっている。


「ちょっと気分悪いかも。また磁場の影響が出てきた」

「え」

「ほんのちょっとだけど、気分悪いから。磁場、消して?」

「もちろんだ」


 俺は、真那が口を拭いたティッシュの入ったポケットとは反対側のポケットから、豆粒くらいの大きさのネオジム磁石を取り出す。


「いくぞ」

「うん」


 そのネオジム磁石は、空中に浮き、ゆっくりと真那のほうに向かっていく。


「どうだ?」

「だんだん治ってきた」

「そうか、良かった」

「かなり治った」

「良かった」


 真那には、科学では解明できない謎がある。2週間に1回程度の頻度で、真那の心臓に磁石を引き寄せる力が発現するのだ。すなわち、心臓が磁石になる病。いったいどういう理屈でそうなるのかは分からないし、病院で精密検査を受けても体内に異常はなかった。

 この症状は真那が生まれたころからあったと、真那の母さんから聞いている。


(ちなみに真那の母さんは国会議員で、今は相当忙しいらしく、家に帰ってくる日はほとんどない。真那の父親は海外に赴任しており、ここ3年間一度も日本に帰っていない。兄も失踪し、俺を含めた切幡家に託された真那。ちなみに俺の母さんも俺の父さんも、真那のことを溺愛している。推測だが、真那のいい匂いが母さんと父さんの神経系を麻痺させているんだろう)


 なんでも、真那が真那の母さんの腹の中にいたとき、エコー検査で妙な信号を受信したという。きっと生まれる前から真那の身体は「磁場」を持っていたのだ。


(ちなみに真那の母さんは公約は「すべての女性がエッチなことに興味が持てる日本を築いていきます」だ。なぜか男性支持者が多く、女性支持者はほとんどいない。こんなにも女性のことを思った政策はないと思うけど、女性のみなさんには不評のようだ。南無阿弥陀仏)


「ねえ亮人、わたし大丈夫だよね?」

「当たり前だ。こんなちっこいネオジム磁石ですぐに収まるようなショボい持病なんだから。心配しなくてもいい」

「うん……」


 真那は俺の腕から手を離し、今度は俺の服の裾を引っ張ってきた。


「死なない、よね?」

「死なない。当たり前だ」

「ほんと?」

「保証する」


 真那が学校に行けなくなった本当の理由は、何なんだろう。確かにいじめがあって以降、学校に行かなくなったのは事実だ。8年前に兄の八郎が失踪したことも影響しているのかもしれない。しかしそれ以前から俺にベタベタ引っ付いてきたり、謎の「磁場」を持っていたりした。真那と一緒にいて、「もっと本質的な理由が隠れていそうな気がする」という思いが年々大きくなっている。だって、偏差値の低い高校に行ったいじめっ子たちとはもう関わりが無いんだから、高校には来れるはずなんだ。でも実際はそうじゃない。


「やっぱりクレープ半分こやめる。全部わたしが食べたい」

「そうかよ。別にいいさ」

「亮人がお金出して?」

「ったく。財布持ってきてないんだろ?」

「後で返すっ」

「お前の親は金持ちなんだから、2倍増しで返してくれ」

「10倍でもいいよ?」

「いや2倍でいい。社会的地位を露骨に示されるのはキツいもんがあるから」

「気にしなくていいのに。わたしを使ってママ活しちゃえばいいじゃん」


 ゴツンッ


「いたあああああああああああああああああああっ」

「アホか!」


 明日、大金持ちの不登校幼馴染美少女とディープキスをする。それまで、あと12時間を切った。

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