第2話 俺と幼馴染

 その夜。


「亮人、まさかわたしと……ホントに?」


 りんごみたいに顔を赤らめる幼馴染。俺のベッドの上で女の子座りして。


「ああ。もうそれしかないらしい。鬼虎魚先生は、ガチで鬼だったんだ」


 俺は自分の部屋の回転椅子にうなだれている。俺と真那に下される罰があまりにも過激すぎて、全身脱力状態なのだ。


「わたし、そんな形で亮人とキスしたくないよ」

「俺はどんな形でもお前とキスしたくないがな」

「でも大人になったらするよね?」

「しねえよ。幼馴染とキスするとか、ありえなさ過ぎて鼻で笑っちまうレベルだ」

「ふぅん」


 真那は、不機嫌そうに小さく息を吐いて、下を向いた。


 真那の髪の毛は透き通るようなあお。腰まで伸びたサラサラの髪の毛は、絹のような触り心地だ。

 瞳は大きい。それだけでなく、吸い込まれるような碧眼だ。

 身長は、俺の目の高さくらいしかない。鬼虎魚先生よりは高いが、女子の平均身長よりずっと低い。

 真那の匂い本当に最高で、男を堕落させるためのすべての条件を満たした芳香といえる。花、香水、フェロモン、何にも例えようがない芳香。たまに頭が腐りそうになるくらい途轍もなくいい匂いの女の子がいるが、真那こそがまさにそれだ。俺の鼻腔をくすぐった真那の匂い成分は、俺の神経系を一瞬で麻痺させる。しかも毎日、ベッドの中で。


 でも、たかが幼馴染だ。真那とは幼稚園のころからずっと顔見知りだし、なんなら中学のころから俺の布団で俺と一緒に寝始めた。俺に甘えてばかりいるため、もはや真那のことを妹的な幼馴染としか見れなくなってしまった。かつて「真那が好きかもしれない」という思いが脳裏をよぎったことがある。小1のときの話だ。今となっては、それが「好き」という感情とはかけ離れた子供心だと分かる。


「亮人、こっち来て?」


 甘ったるい声。ショコラケーキみたいな声だ。こっちをじぃ、と見てるし。


「断る」

「断ることを断る」

「断ることを断ることを断る」

「もう! 亮人に断る権利なんかないのに!」


 ベッドに正座して自分の膝を叩く真那は確かに「かわいい」。でも、見慣れすぎて「かわいい」以外に何も思わない。巷では「かわいいは正義」なんて言うが、俺を69回もの遅刻に導いた元凶に対してそんなことを微塵も思えるわけがない。それでも毎日真那のかわいさに脳内を麻痺させて遅刻している自分は、太宰治の作品名を借りれば、人間失格だろう。


「それで日程なんだけどさ」

「当ててみよっと。明日?」

「まさにそうだ」

「えええええええええええええ⁉ 明日キスするの? 早い! 早すぎて死んじゃうよぉ! 心の準備、心の準備があぁぁぁ!」

「しなかったら俺らは退学になるんだぞ。もう決まったことだ、どうしようもない」

「退学になったあとは結婚しようね? 亮人」

「冗談に聞こえないのが怖すぎる」


 鬼虎魚先生はガチだった。仮に俺と真那がキスしなければ、俺は退学処分を食らう。真那はどうなるのか知らないが、おそらく同じ処分が下るのだろう。仮にもし俺だけが退学したらとしても、きっと悲しむ。

 …………え、まさか悲しまないとかあるのか? いやそんなはずは――


「亮人、ちょっと行ってくる」

「どこへだ?」

「お花を摘みに」

「ごめん、訊いて悪かったよ」


 真那は俺のベッドから華奢な脚を下ろし、てくてくと歩いてドアを開け、部屋からいなくなる。


「はぁ…………どうすんだよ俺」


 キスなんてしたことないのに。どうせなら好きな人と初キスしたいのに。でもまあ、遅刻魔ぼっちの俺に女が寄ってくるわけもなく、俺が知ってる同年代の女っていったら真那しかいない。

 真那だって男ッ気がない。超絶美少女なのに男が寄り付かないのは理由がある。俺にベタベタ付きまといすぎて、もはや真那を奪い取ろうとする男がいないのだ。ちなみにこれが原因で、中学のころ真那は女子のほぼ全員からいじめを受けた。そして不登校になってしまったんだ。

 さらに悪いことがある。真那の兄、八郎はちろうは8年前に失踪している。何の連絡もなく、ある日突然いなくなっていた。真那が唯一、心を許していた親族だったのに。


(でも、高校には知ってるやついないし。初登校で男が群がってくる可能性はあるぞ。かわいいのは間違いないからな)


 真那はかわいい。俺に引っ付きすぎてベタベタ状態なのが大問題だが、勇気あるおとこがどこからともなく登場し、真那に一世一代の大告白をして、真那がその彼にべた惚れすれば、彼氏-彼女関係が成立する。そうすれば、俺は今の遅刻生活からもおさらばだ。


(なるほど)


 真那がいなくなることの恐怖なんてない。真那が誰かと一緒に歩んでいくのが嫌とか思ってない。真那が…………


(おかしいな)


 真那…………


(他の男のとこに行って、どうやって生きてくんだよ。まったく)


 あまりにも幼馴染を長くやりすぎた。あまりにも親密になりすぎた。もし真那に彼氏ができたら、俺は喪失感でいっぱいになるだろう。真那が俺のことを忘れてニコニコしてる日々、きっとそれが嫌なんだ。早々にフられて俺のところに帰ってくることを望んでしまっている。あまりにも、幼馴染を深くやりすぎた。


「ただいま亮人」

「真那」

「何?」

「どこにも行かないでくれ」


 俺は何を言ってるんだ。心にもないことなのに。そのはずなのに。


「コンビニ行きたいんだけど、ダメ?」

「ああ、そっちか。一緒に行こう」

「うん。もちろんだよ、いつものことでしょ?」


 ケロッとした顔で言ってのける。


「はー。今日も亮人の腕に絡みついて外歩きたいなぁ~」


 るんるんとこっちに向かってきて、俺の腕に絡みつく真那。 

 刹那、さっき感じた汚いしがらみが一気に取れた気がした。

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