仲直り【BL】(KAC20232)

大竹あやめ

第1話 クマのぬいぐるみ

『ばーか!』


 とある日の深夜、仕事から帰ってきた俺は、ダイニングテーブルにこれみよがしに置かれたぬいぐるみから、そんな声を聞いた。


 そのぬいぐるみは赤いクマのぬいぐるみだ。メールを運ぶクマにそっくりで、音声録音・再生機能がついている。恋人が、すれ違いがちな俺とのコミュニケーション用として買ったものだった。


 毎日朝の「いってきます」と夜の「おかえり、お疲れ様」の挨拶程度しか録音しなかったけれど、あまりにもお互いの生活リズムが違いすぎて、挨拶だけの録音でも、それなりに重要なツールになりつつあった。


 ただ、いまぬいぐるみから聞こえた声は不機嫌そのものだ。普段から喜怒哀楽の差が激しい恋人だったが、小さな唇を思い切り開けて言って、その後つんと澄ましたのは想像に難くない。


 今朝、久々に休みが合い、デートができると喜んだ恋人は、朝からいそいそと身だしなみを整えていた。そんな恋人に、俺は非常に気まずいながらも、残念なお知らせをする羽目になったのだ。


 休日出勤って、この間もそうだったよね。これで何回目? いつからデートできてない? と詰め寄られ、正直に「半年くらい?」と答えたのが恋人のかんに障ったようだった。「八ヶ月と十一日!」と返してきた恋人は、それからというものの、俺とは目を合わせようとしないし、喋ろうともしない。


 そしてこれだ。恋人はぬいぐるみの録音機能を使って、幼稚とも言える発言をしてきた。俺はスリムでかわいらしいそのぬいぐるみを見つめる。


「どうしたものか……」


 恋人は寝ているのか、部屋はしんとしている。いや、あの子のことだから、ぐすぐす泣いて布団で丸まっているかもしれない。ご飯は食べたのだろうか……心配だ。


 俺はクマのぬいぐるみを持って恋人の部屋に向かった。ノックをしても反応なし。仕方がないので断りを入れてから部屋に入る。


 案の定、部屋は常夜灯だけが点いていて暗く、ベッドの上に大きな布団の山ができていた。不機嫌になるとすぐこれだから、対処法も知っている。


勇樹ゆうき〜」


 俺は甲高い声で恋人の名前を呼び、クマのぬいぐるみの手を持って、ぽんぽんと布団を叩いた。するともぞもぞと布団が動き、その下から勇樹の手だけが出てくる。


「ごめんな? 楽しみにしてたのに、って彼氏が言ってるよ?」


 そのまま高い声で言い、俺はベッド脇に座って、ぬいぐるみの手を勇樹の手のひらに置いた。細くて小さめの勇樹の手は、ぬいぐるみの手をきゅ、と握る。


「くまさん、聞いて?」

「なぁに?」

「僕、せっかくのお休みを、自分の感情優先にして台無しにしちゃった。彼氏、怒っちゃったかなぁ……」


 仕事忙しいの、知ってたのに、と言う勇樹の手は、落ち着きがなくぬいぐるみの手をニギニギしている。


「彼氏も楽しみにしてたって。出勤になって申し訳ないことをしたって言ってたよ」


 そう、喜怒哀楽の差が激しい勇樹だけれど、その感情も長続きはしない。拗ねて布団に潜るものの、そのあとは後悔して反省しているのだ。そんな勇樹を、俺はかわいいと思ってしまうから怒れない。


 俺はぬいぐるみの手で勇樹の手を撫で、だから顔を見せてあげなよ、とぬいぐるみの声で言う。


 すると、またもぞもぞと動いた布団の山は、そっとトンネルを作り、そこから勇樹の顔が出てきた。


「ごめんね?」


 勇樹の顔は暗がりで見えにくいけれど、瞼が腫れていたので泣いたのだろう。俺はその顔を見た瞬間、きゅう、と胸が締め付けられた。


「ああ、俺こそごめん」


 泣き腫らしたらしい目尻を指で撫でると、勇樹の顔はへにゃりと笑う。かわいいな、とそのまま勇樹を俺の腕の中へ引き寄せようとした瞬間。


『ばーか!』


 突然、ぬいぐるみに録音されていた音声が再生された。どうやらはずみでスイッチを押してしまったらしい。


「ぷ……っ、くく……、勇樹、『ばーか!』はないだろ」

「あはは、にしてもいいタイミング!」


 そう言い合い、俺たちは互いに改めて謝って、仲直りする。


 やっぱりこのクマのぬいぐるみは、俺たちにとって大切なものだな、と思って、かわいい恋人を腕の中に抱きしめた。


[完]

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

仲直り【BL】(KAC20232) 大竹あやめ @Ayame-Ohtake

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ