ぬいぐるみの皮膚

河童敬抱

ぬいぐるみ

イタズラな風が女性のスカートをまくり上げるように、僕の部屋のカーテンをふわりと持ち上げた。

その隙間からさす光が顔にあたり、朝になったことに気づく。


「おはよう」

昨夜は遅かったせいで

まだ彼女は『ぬいぐるみ』とともに眠っていた。


この『ぬいぐるみ』は僕が付き合って1年の記念日にプレゼントしたものだ。

金額は高くなかったが、彼女はとても喜んだ。


僕は昼から仕事があるので起こさないように静かに支度をして出かけた。


愛する彼女とはもう長い付き合いになる。

僕はそろそろ結婚してもいいんじゃないかな。と考えているが、彼女はそういう雰囲気ではない。


それでも僕は一緒にいられる毎日が楽しくて仕方がなかった。


いつでも彼女を想い彼女も僕を想ってくれる。

素敵なパートナーだ。


僕の仕事が18時頃に終わり、家に着くのが19時。

彼女は夜勤なので帰った時には出かけたあとだった。

そして僕のために夕食が用意されていた。


そして置き手紙に

「今日もお疲れ様!簡単に作ったものだから味はわからないけど食べてね。」


簡単といいながら、しっかりと肉じゃがを作ってくれるあたりが彼女らしい。

味噌汁を温めている間に


肉じゃがのじゃがいもを指でつまんで口に入れた。

少しいつもよりも甘い気がしたので、醤油を少しかけた。僕の好きな味付けとは違うなんて珍しいな。

そんなことをしていたら、味噌汁がボコボコと沸騰していた。


冷蔵庫にビールがないことに気づき。

コンビニへ出かけた。


家に戻り、、くつろいでいると彼女がいつもよりも早く帰宅した。

「おかえり」と伝えると

僕の方ではなくテーブルに肉じゃがにいれた時の醤油の瓶を見て、電話をかけながら自室へ入ってしまった。



おそらく、勝手に醤油を肉じゃがに入れたことで腹が立ったのだろう。電話のむこうの誰かに愚痴をこぼしている。





しばらく僕は彼女に無視をされた。

何度謝っても、プレゼントを用意しても、

いないもののように扱われ続けた。

それでも僕は一緒にいられれば、それだけで幸せだった。



ある日帰宅すると

家の前に見知らぬ男が立っていた。

そしてドアを開けて出てきた彼女が男を部屋に迎え入れた。


僕の鼓動が上がり、頭の中に「まさか」が広がった。


彼女は他の男と会い。

僕とはしないようなことをしていたのだ。

僕は全てを聞いた。そして全てを見た。



あの『ぬいぐるみ』の目を通して。



付き合って一年の時、僕は一つの『ぬいぐるみ』をプレゼントした。

その中にはいつでも僕が一緒にいられない彼女をどこからでも見守れる目をつけた。

それで同棲をしているように毎日彼女を見守ることができた。


その『ぬいぐるみ』が今日、役に立った。


肉じゃがの味が変わったのも、無視をされているのも、愚痴を話した相手もきっとこの男だろう。


僕は悔しかった。そして辛かった。その思いを今伝えにいこう。

本来愛していないといけないのは僕の事だ。

今も大切にしている『ぬいぐるみ』が全てだ。


彼女の家のドアの前で一度呼吸を整えた。


もう一度彼女とやり直せるはずだ。

今なら、今なら、今なら、

と思いながらドアを開けた。










あれからどのくらいの時間が経っただろう。

今僕は彼女と一緒に暮らしている。

あの日のことはあの日のうちに解決をして、仲直りをした。


実際に彼女に会うのは、あの日が1年ぶりだったから緊張した。

でもすぐに打ち解けた。


例の『ぬいぐるみ』はもう必要なくなった。

もう一緒に住んでいて僕が守るから彼女はなにも怖がる必要はない。

僕が心配なのは、彼女だ。ここ最近一言も話すこともなく顔色も悪い。風呂にはいることもなくなった。身体が柔らかくなって少し触れると皮が剥がれる。

これでは抱きしめることができない

僕は剥がれそうな皮膚を刺繍針でとめて行った。

彼女の身体は色も青暗く変わって、いくつもの針が雑に刺さり、まるでたくさんの毛が生えている『ぬいぐるみ』のようになってしまった。

見た目がこんなにも変わってしまった。

でも僕は彼女を愛している。



あの日


彼女と僕の邪魔をした『もの』は近くの山に置いてきた。役目を終えた『ぬいぐるみ』も一緒に。

これで『ぬいぐるみ』も寂しくはないだろう。



そんな事より

僕の話しを、聞いてくれてありがとう。

きみも『ぬいぐるみ』は大事にしたほうがいい。

今日家に帰ったら、まず「ただいま、いつもありがとう。愛しているよ。」と抱きしめてごらん。

きっとどこかできみを想う人が喜ぶと思うから。





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