第7話 夏祭りの夜

 ぐるぐるぐる。

 目がくらむような光の中、視界はひたすら回る。

 私の右手はがしりと固定され、背中に回された腕で、身をひくこともかなわない。

 向かい合う相手の酒臭い息が、頬にかかる。

 ひたすらに続く、楽団のはしゃいだような円舞曲ワルツ


「ねえ、ファルカさん」

 酒臭い息が耳元にかかる。

「俺、あなたのこと、前からいいと思っていたんだ――」

 ぞわりと悪寒が走る。

 助けを求めて、何とか目を凝らし友達を探す。やっと見つけ出した彼女は、婚約者と楽し気に頬を寄せ、こちらに気をまわす様子はなかった。

 

 

「おねがい、もうこれが、最後のチャンスなの」


 さかのぼること数日前、私は親友のエイダに、書房で拝み倒されていた。


「もう自由にファルカと歩くこともできなくなるのよ。だから、一生のお願い。ね」


 独身最後の夏祭り、気の向くまま思う存分祭りを楽しみたいというのが彼女のおねだりだった。エイダは、来月には結婚が決まっている。私は断りきれず、結局、祭りの夜、エイダと二人でにぎわう繁華街へと足を向けたのだ。ところがそこで、私たちは、同じように羽を伸ばしに来たエイダの婚約者と友人の一行と出くわした。結局、エイダと婚約者は二人で楽し気に踊り始め、私は、エイダの婚約者の友人とダンスを踊る羽目になったのだ。


「ファルカさん――」


 酒臭い男の右手が私の背を滑る。身をよじりかけたそのとき、視界を、何か白いものが横切った。


 ヒューン、パンパンパン。


 耳をつんざく、破裂音。


 ――火の花だ。

 私はぼんやりと草むらに横たわり、目の前に開いていく白い炎の花弁を眺める。


「え……」


 自分がどこでどうなっているのかもわからず、声が漏れた。


 瞬間。空が、爆ぜた。

 視界がいっぱいにだいだいの火花で覆われ、それはまっすぐに、私に向かって降り注ぐ。


「ひっ」

 息を飲む私の眼前に、薄紫の膜が広がり、だいだいの花弁たちは、目の前を割れるように滑り落ちて行った。


「……僕の火の花、気に入った?」


 甲高い声が耳を襲う。

 視界ににょきりと、見慣れた白くて長い耳が現れた。

 私の喉の奥が、ぐうっと、熱くなる。


「きに、いらない」

「え」

 私の涙声に、心底うろたえた様子の声が左から聞こえた。


「こわ、かった。ひどい」

「え……」

「どうして、にねんもなんにもなしで、きゅうに、こんなこと……」

「……、ごめん……」


 声を上げて泣き出した私の周りを、おろおろした様子のぬいぐるみが駆け回る。


「レンさん」

 おそるおそる肩に伸ばされた彼の腕に、私はしがみつく。

「ごめん、ごめん……ファルカ」

 レンさんの胸にぎゅうっと抱き込まれ、私は幼子のようにわんわん泣いた。





 夜更け過ぎの草原で、私はレンさんの膝の上で、魔術師のローブに包まれて、ゆらゆら揺れながらあやされていた。


「もう、二度と、会えないかと」

「そうだね。あの時は、僕も、そのつもりだった」

「……誰かと、幸せにならなくちゃ、いけないかと思って。でも、無理で」

「……それ以上、言わないで。さっきの、思い出すだけで、おかしくなりそうだ」

「……どうして、ここに、来られたんですか。魔術師様は、お仕事以外では、塔からお出にならないと」

「ん、まあ――『働き方改革』ってやつだね」

「……?」

「大魔術師に復帰して、心底実感した。魔術師業界ってのは、究極のブラック職場だ、とね。それからは、前世で得た知識をフル活用した。魔術師全体のレベルアップ、基礎体力向上のための筋トレ。業務の平準化、分業化。シフト制の導入。シフトは消防士と同じ、24時間連勤の交代勤務制を導入した」

「ぜん、せ……?」

「ん……まあ、とにかく2年かかったけれど、僕はこの街で暮らす権利をもぎ取った」

「この街で、暮らす……?」

「ああ。僕はこの街に住んで、都の職場まで通勤する。一日おきに休みがあるから、休日のお昼ご飯は、書房で、ファルカと食べたい」

「おひる、ごはん」

「できれば、夜ごはんも。本当は、そのまま一緒に眠りたい」

「……え」

「うあ……ごめん、順番、間違った……」





 彼女と初めて会った時、僕は人生に倦んでいた。偉大な師匠の急死によって目の前で起こった、醜い争い。先輩魔術師たちは、うまみの大きい簡単な仕事を奪い合い、責任を押し付け合う。王侯貴族のくだらない介入。魔術に頼り、怠惰な兵士たち。こんな奴らのために、自分はこれからの人生のすべての時間を費やし、命を懸けて戦い続けるのか。

 僕は決めた。自分の大魔術師としての披露目に当たる夏祭りで、わざと盛大に失敗してやろう。何もかも、ぐちゃぐちゃにしてやる。職を解かれようと、名声を失おうと構わない、と。

 そして、破壊する予定の町の一角に、人が残っていないかを確かめに行った時、路地裏にうずくまる彼女に会った。花飾りで遊んでいると思ったその小さな子供は、売り子だった。僕は頭を殴られたような衝撃を受けた。彼女はすでに、生きるために働く世界、いいわけのきかない世界に身を置いていた。

 僕は悟った。それまで自分がどれほど甘い世界にいたのかを。彼女の世界では、責務を放棄することは、生きることを放棄することなのだった。


 そして僕は、人生で初めて、全力で魔法を使った。一時いっときでも、彼女を笑顔にするために。その力が自分にあることが、誇らしかった。渾身の火の花を咲かせながら、僕は決意していた。この国の、何千何万の彼女たちのために、彼女たちを生かすために、僕は全力で戦い続けよう、と。





「ファルカ。僕は君と会って、決めたんだ。死ぬときに、自分にいいわけしないですむように、生きて行こうと。だから、今夜、君に言わせてほしい。――僕と、結婚してください」

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彼と彼女の、7つのおはなし(仮) 霞(@tera1012) @tera1012

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