第4話 深夜の散歩で起きた出来事

明後日あさっての夜、ですか」

 窓際のいつもの席で、レンさんは、軽く首をかしげた。少し伸びた黒髪が、さらりと揺れる。

「特段、予定はありませんが……」

 怪訝そうな顔だ。

 私は、ひと呼吸おいてから、思い切って口にする。


「明後日は、夏祭りなんです」

「なつまつり」

「……ご存じ、ありませんか」

「はい、残念ながら……」


 軽く目を伏せたレンさんの表情には大きな変化はなかった。やっぱり、何も覚えてはいないようだ。


「夏祭りは、この国では一番大きな、国中でお祝いするお祭りです。都ほどではないけれど、この街も賑わいます。街の中心では夜通しお店が開いていて、目抜き通りには楽団が出て。みんなで食べたり飲んだりしながら、好きなだけダンスをするんです」

「……にぎやかで、楽しそうだ」

 彼は目を細めて微笑む。


「よろしければ、ご一緒に出掛けられないかしら、と」

「僕と、ですか」

 レンさんは軽く目を見張る。それから、顔を曇らせてうつむいた。


「今の僕には、ファルカさんのダンスのお相手は、できそうにありません」

 分かりやすくしょんぼりした様子に、思わず私の頬が緩む。


「大丈夫です。私もダンスは踊りません。毎年この日に、行く場所があるんです。街の外で」

「街の外……」

「ええ、秘密の場所。お祭りの一番の出し物が、他のどこよりもきれいに見えます。少し、歩きますけれど、険しくはない道なので。夜のお散歩みたいなものです」

「ご一緒して、よろしいのですか」

「はい、よろしければ是非」



 そんなやり取りがあって、今、私たちは、郊外の丘の中腹にいる。

 なだらかに広がる草原に、パラパラと木立が散らばる、のどかなところだ。昼間は、私たちの住む街の、赤茶色の屋根が連なる景色を一望できるが、日のとっぷりと暮れた今、眼下には、人々の営みを示すあたたかい灯りがぽつぽつと窓を彩り、煌々と照らされた大通りを無数の人影がくるくると楽し気に動き回る、美しく幻想的な情景が広がっていた。

 そして正面には、街の中心の塔のてっぺんが見える。塔は、この街を守護する魔術師様たちがお住まいの場所だ。


「もうすぐ、この正面の塔に、火の花が咲きます」

「火の花……」


 彼はかみしめるように、つぶやいた。





 あの夏祭りの夜、私は初めて、火の花を見た。その光景は、たぶん一生、忘れることはないだろう。


 紫の髪のきれいな男の人が、私の祭り飾りと一緒にどんどん空へのぼって行き、とうとう見えなくなった瞬間、空に何かがチラチラと光りはじめた。

 目を凝らすと、薄紫の結界ごしに、空いっぱいに真っ白い花がぽつぽつと広がるのが見えた。次の瞬間、その白い花びらひとつひとつから、一気に鮮やかな紅の花が弾けひらく。それは夜空を埋め尽くし、徐々に紫に、そして青色へと色を変えていく。

 その合間を、目を射らんばかりの小さな閃光の粒たちが、キラキラと泳ぎ回る。


「わああ……」


 思わずため息をついた瞬間。

 空が、爆ぜた。

 全ての光が一気に、だいだいに燃え上がり、尾を引きながらゆっくりと流れ落ちていく。


 そして、暗闇。おそろしいほどの、静寂。

 

 もう一度、紫の男の人が目の前に現れるまで、私はポカンと開けた口を閉じることすら忘れていた。

 

 その後の大人たちの会話から、私の初めて見た火の花が、都の人たちもみんなが度肝を抜かれる、空前の出来だったことを知った。

 その年の夏祭りの直前に、長年都を守護されてきた大魔術師様が急逝され、急遽代役として火の花を咲かせる役目を担ったのが、彼だったらしい。彼、紫の大魔術師様は、この夏祭りの成功により大いに市井での名声を高め、国民皆に最もよく名の知られた、最も愛される魔術師となったのだった。





「始まりました、火の花です!」

 ファルカさんの弾んだ声が聞こえる。僕はうなずき、正面の塔に目をやった。


 目の前で、白い光のかけらが踊りはじめる。

 胸に、温かいようなむず痒いような、不思議な感覚が駆け巡る。かつてこの光は、ひどく自分に近しいところにあったもののような気がした。


 丘を風が吹き抜け、僕の髪を揺らす。


 次の瞬間、僕は光の海を飛び回っていた。

 渾身のスピードで、後ろに引き連れたたくさんの何かのかけらをふり撒いていく。そこへ手をかざすと、それらは鮮やかな赤や紫、そしてまばゆい閃光を放つ。

 僕は笑う。生まれて初めて全力で力を使う、純粋な喜び。それが人の慰めになることの、誇り、幸福。僕は大声で笑いながら、ありったけの力で、光の花を生み出し続ける。



「……さん、レンさん」


 我に返ると、目の前にファルカさんの、心配そうな瞳があった。


「大丈夫ですか」

「ああ……ぼうっとしてしまって。すみません」

「ごめんなさい、やっぱり病み上がりのお体には、遠出過ぎましたね。お疲れに、なったでしょう」

「いいえ、平気です。ただ、なんだか懐かしくて」

「懐かしい……」


 僕は慌てて彼女に微笑む。先ほど胸に湧き上がった感覚。それは、まごうことない郷愁だった。

 ゆっくりと夜道を街へと帰りながら、ふいに蘇ったあまりに強烈な幸福の記憶の断片を、僕は何度も何度も、思い返していた。

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