第一章 ③


 ジュリエッタは、皆の喜びの声を聞いてほっとした。


「私は皆さんの中にある治癒の力をほんの少し高めただけです。どうか身体をいたわってくださいね」


 ジュリエッタは喜びの声を上げる村人に微笑みかけたあと、動けない村人のところへ向かう。


「ね、ジュリエッタちゃん。あんなにいっぱい魔法を使って大丈夫? つかれてない?」


 ついてきたルキノが、心配そうに顔をのぞき込んでくる。

 ジュリエッタは、まだやれますとブラシを持ち上げた。


「神聖力は体力とは少し違っていて……疲れはするんですけれど、でも、大丈夫です。私の癒やしの奇跡は本当に大したことはなくて、範囲も狭いですし」


 聖女ならば一つの街を包み込めるほどの大きな神聖力を持っているし、ちぎれたうでもあっという間につなげるような魔法も使えるのだ。

 しかし、ジュリエッタはというと、神聖力を持つ者の中で、中の中──……つうの力しかない。

 これで聖女を名乗るのは、本来はとても恥ずかしいことだ。


(……そう。私のあるべき姿は、助祭の一人だったのに)


 あの日からかかえ続けてきたこうかいが、じわじわと胸をめつけてくる。

 息が苦しいと思っていると、ルキノがさわやかな風をジュリエッタに吹きこんできた。


「大したことあるって。俺なんかなんにもできないし」


 ルキノが本気で感心したという表情になっている。

 ジュリエッタは驚いたあと、慌てた。


「石を投げるのがとてもお上手でしたよ!」

「あ〜、それはまあ、水切りは得意だね」

「それに、貴方あなたたみおもいのとても立派な皇王です!」

「いやいや。接客業は多少できても、それ以外はねぇ」


 皇王が接客業……とジュリエッタは驚いたけれど、これはおそらく外交が上手いという意味なのだろう。


(でも、それは皇王としてとても大事な能力ではないかしら)


 ルキノは、女性を口説くのが得意で、働かずに食べさせてもらっていそうな、顔がいいだけの男に見える。

 しかし、それはなにかのための演技なのかもしれない。周囲を油断させるとか、敵をだますとかそういう……。


(『ルキノ』という名前は、イゼルタ皇国の皇位けいしょうけんを持つ者の中になかったはず)


 フィオレ聖都市とイゼルタ皇国の関係は深い。

 次の皇王が誰なのかという話は、今後のフィオレ聖都市の運営に関わってくる。

 ジュリエッタは、イゼルタ皇国の皇位継承権を持つ者の一覧にもしっかり目を通していた。百位ぐらいまでなら、誰が何位なのかを言える。

 ──しかし、その中に『ルキノ』という名前はなかった。

 今は敗戦間近という非常事態だ。きっと、皇位継承権の順位を入れ替えるために、誰かが誰かの養子になったとか、改名したとかいう、複雑な事情があるのだろう。




 ルキノの護衛騎士たちは村の広場で簡単な料理を作り、村人に振る舞った。

 ジュリエッタは怪我人の家に行って癒やしの魔法をかけたあと、たきの周りに集まってきた子どもたちの遊び相手を始める。すると、ルキノもいっしょに遊んでくれた。

 ルキノは子どもにかたぐるまをしたり、みんなと歌いながらなわびをしたり、跳び方や回数をきそったりしている。


「ジュリエッタちゃん、なかなかやるねぇ!」

「ふふ、負けませんよ!」


 ルキノは皇王なのに、縄跳びが上手かった。

 ジュリエッタはスカートをたくし上げ、それに張り合う。

 施設ではよくこうやって遊んでいた。フィオレ聖都市に行って助祭になったあとも、施設訪問のときに子どもたちの遊び相手をしていた。──あのころなつかしい。


(なんだろう、こう……)


 ルキノと笑い合っていると、皇王と聖女というよりも、下町の青年と少女という空気になっていく。

 どこかで普通に出会っていて、遊んだこともある。そんな気がしてくるのだ。

 ルキノがあまりにも気さくで、皇王らしくないからだろうか。


「皆さ〜ん! スープができましたよ!」


 騎士たちがスープとパンの配布を始める。

 ジュリエッタは子どもたちと一緒に受け取り、楽しくおしゃべりをしながら食べた。


「スープとパンだけで大丈夫? 味が合わないとかない?」


 隣に座ったルキノに問われたジュリエッタは、笑って答える。


「大丈夫です。スープとパンはごそうですよ」


 上品ではないのだけれど、最後はパンでうつわぬぐっておいた方がいい。

 神よ、お許しください……と心の中で祈ってから、ジュリエッタは状況に合わせた食べ方をしておく。

 ふと隣を見てみると、ルキノも平然とパンで器を拭っていた。


「俺は聖女ってもっとれいなところで綺麗なことをしている人だと思っていたよ」

「そういう聖女もいます。私はかなりとくしゅで……」


 ジュリエッタは、その台詞せりふを言いたいのは自分の方だと思ってしまった。こうしていると、ルキノは下町のなんな気のいいお兄さんに見えてしまう。


「おかわりありますよ〜!」


 ルキノの護衛騎士が村人に声をかけている。

 ジュリエッタはぱっと立ち上がり、スカートを慌ててはらった。


「私も手伝います!」


 ルキノと共に片づけを手伝い、家へ帰っていく子どもに手を振り、怪我をしている人に手を貸し、それから村長の家に戻る。

 村長の息子夫婦の部屋に入ってベッドを整えたあと、神に夜の祈りを捧げた。


「神よ、我らに安らかなねむりをお与えください。眠りの中でも、私の愛する方々をお守りください」

「……神よ、我らに安らかな眠りをお与えください、っと」


 なにを思ったのか、ルキノもして神に祈りを捧げてくれる。


「ほらさ、これでも俺は聖人だしね。形だけでもって」


 ルキノは手をばし、ランプのあかりを消す。そのあと、小さく「あっ」と言った。


「つけたままの方がいい?」

「大丈夫です。村長さんの家の油を、好き勝手に使うわけにはいきませんから」


 皆、戦争におびえながら節約して暮らしている。大変なときに村をおとずれてしまって申し訳ない。


「……ジュリエッタちゃんってさ、事情がある気の毒な子にも、いいところの上品なおじょうさんにも、下町育ちのたくましくて優しい女の子にも、勇ましくて立派な聖女さまにも見える。不思議だね」


 ルキノの言葉に、ジュリエッタは驚いた。


(この人は、私のことをよく見ている……)


 そして、相手をよく見ているのは自分も同じだ。


「貴方も私がイメージしていた皇王ではありませんよ。下町の気のいいお兄さんに思えます」


 ちょっと軟派で顔だけでも生きていけそう……というところは吞み込んでおく。


「いやぁ、それはそうでしょ。俺、下町育ちの平民だし」

「そうだったんですか。…………平民?」


 その言葉を聞いて、ジュリエッタはある可能性に思い至る。


「もしかして、前皇王のしょだったのですか……!? はっ、それなら、『ルキノ』という名前が皇位継承権の百位以内になかった理由も……!」


 皇王の血を引きながら、継承権を認められていなかった。

 そういう事情があったのか……とジュリエッタがなっとくしていたら、ルキノがくらやみの中でけらけらと笑う。


「いや、ぼうけいも傍系。俺のそうが貴族で皇位継承権を持っていたらしくて、でも平民のそうと駆け落ちして、それで俺も一応継承権を持っていたんだ。たしか……百二十四位とかじゃなかったっけ?」

「百二十四位!?」


 ジュリエッタは暗くて見えないとわかっていても、ついルキノの顔を見てしまう。


「俺もあんまりよく知らないけれど、皇族一家はもう皇国をだっしゅつしたらしいよ」

「亡命政権を作るということですか?」

「どうなんだろうねぇ。でも、皇族って、国外に出ると皇位継承権のほうとみなされるらしくて。それで、俺の順位がどんどん繰り上がって、国内にいる人も皇王になりたくないって放棄して、ついには俺が一位になっちゃった。俺のところにきた書記官が『皇位継承順位一位ですがどうしますか?』って言ってきたときには、流石に驚いたよ」

「百二十三人も継承権を放棄していたんですか!?」


 ジュリエッタはベッドに入っていたのに、つい起き上がってしまった。

 そんなことがあるのだろうか。いや、あったからルキノは皇王になったのだろう。


(うそ……! 信じられない……! でも、それなら『ルキノ』の名前を私が知らなくても当然だわ……!)


 知識の聖女として、皇国の情報集めをおこたらないようにしていた。

 しかし、やはり知識というのは、ただ持っているだけではだ。


(ルキノは平民の皇王……。だとしたら、色々納得できるところがある……!)


 おそらく、ルキノにはさんぼうのような人がいるのだろう。その人に「敗戦処理に知識の聖女の頭脳と権力を使いたいから、こういう理由をつけてなんとか連れ帰ってきてください」と言われ、ルキノはその通りにしただけだ。だから敗戦処理がどういうものなのか、本当によくわかっていなかったのだろう。


(私はずっと、ルキノのことを皇族の誰かだと思い込んでいたから……!)


 平民視点で物事を見ているのなら、ルキノの言っていた「俺はなにも考えていない」の意味がよくわかる。

 ルキノは皇王教育を受けていなかった。国のためという大義名分なんてものは考えられない。それでも……。


「……貴方は、皇国が敗戦することをわかっていながらも、民のために皇王になったんですね」


 ルキノは生まれたときから皇王の心得を持っていた。

 ジュリエッタは、すごい……と息をいてしまう。


「俺はそんなに立派な人間じゃないよ。こんなときに皇王を引き受ける奴なんて、どんな理由があろうと絶対にどこかがおかしいって」


 ルキノは指で頭をとんとんとつつく。


「ジュリエッタちゃんには、妹とか弟とかいる?」

「私は捨て子だったんです。いるかもしれませんが、ちょっとよくわからなくて……」

「あ〜ごめん。……俺には妹がいるんだけれど、ジュリエッタちゃんと同い年ぐらいだと思う。いくつだっけ?」

「十六歳です」

「やっぱり同じだ。俺の妹は、俺と違って真面目で立派でしっかり者なんだ。……みんなが皇位継承権を放棄しました。貴女あなたが次の皇王です──って言われたら、なら民のために皇王になりますって言い出すいい子なんだよ。ジュリエッタちゃんが俺たちの家の近所に住んでいたら、絶対に妹と仲よくなっていただろうなぁ」


 妹の話になったとき、ルキノの声が少し変わった。

 軟派な人だな、と思っていたけれど、今は妹を心配する兄にしか見えない。


「さすがにさ、妹にそんなことをやらせるわけにはいかないって。だってさ、難しいことをよくわかっていない平民の俺にだって、敗戦したときの皇王は処刑かゆうへいになるってわかるよ」


 あはは、とルキノは軽く笑う。


「だからまあ、妹を生かすために俺が皇王になった。でも、生まれが生まれだから、敗戦処理をどうしたらいいのかわからない。書記官と相談してたよれる人はいないかな〜って話になったとき、四百年前の誓約をちらつかせて知識の聖女サマのお力を借りようっていう提案をされたわけ」

「……そうだったんですね」


 ジュリエッタにとってのルキノは、よくわからない皇王から始まった。

 それが下町にいそうなちょっと軟派な青年になり、民想いの立派な皇王となり──……妹想いの兄となった。


(私は、少しだけこの方のことをわかってきたかもしれない)


 ルキノには、大事なものを守ろうとする優しさと強さがある。

 初対面だとルキノの内面をそこまで読みきれなくて、『ゆうがあるし、なにか裏がありそうだ』と誤解してしまうのだろう。


「──でも、ジュリエッタちゃんが予想外でさ」


 ふっと空気が動く。

 暗闇の中、かちりという音が聞こえ、ランプの灯りがついた。


「これを持って逃げていいよ」

「……はい?」

「俺はジュリエッタちゃんのことを、人として見ていなかった。もっと年上のだいけんじゃサマをイメージしていたんだよね。ごめん。……ちょっと一緒にいただけだけれど、とてもいい子だとわかって、もしかしたら妹の友達になっていたかもしれないと思ったら、こっちの事情に巻き込むのが申し訳なくなってきた」


 ランプの灯りによって、ルキノの表情がぼんやり見える。

 彼はとても優しい顔をしていた。


「俺の分の誓約書はここにあるから、なんならそれも持っていって破いていいよ。破けば効力がなくなると思うんだけど」

「……待ってください! それだと貴方が困りませんか!?」

「ん〜、ようやく気づいたんだけれど、俺は真面目に頑張っているいい子が好きなんだと思う。いい子のジュリエッタちゃんには、笑っていてほしいな」


 ルキノは、ごういんな方法で知識の聖女を手に入れたのに、あっさり手放そうとしている。

 きっと、本当に皇王教育を受けた人ならば、ジュリエッタをろうに繫いででも協力させようとしただろう。


(この人は……、誰よりも立派な皇王で、誰よりも優しくて強い人)


 ジュリエッタは、自分にどうしたいのかを問いかけた。

 ──迷いはある。まどいもある。けれども、もう答えは出ていた気がする。

 ジュリエッタは手を伸ばし、ランプの灯りを消した。


「聖女である私の役目は、力なき人々を救うことです」


 本心をこぼせば、ルキノの息を吐く音が聞こえてくる。


「それはとてもご立派だけれど、たまには自分を優先してもいいんだよ。敗戦処理が無事に終わっても、あまり気持ちのいい結果にはならないだろうしね」


 ルキノの言葉には、国のためならせいになってもいいという覚悟がふくまれていた。


(この方はもう死ぬ覚悟を決めているのかもしれない)


 ルキノはジュリエッタに「敗戦処理に失敗したら俺は死ぬ」とおどしてきた。

 けれども、ルキノにとっては、ジュリエッタに本気で敗戦処理をしてほしくてそう言っただけだったのだろう。


あきらめないでほしい……! まだ、未来は決まっていない!)


 絶望と戦っている人々や、妹、国のために皇王を引き受けてくれたルキノの命とその未来を、救いたいと思った。

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