第一章 ④


 ようやくジュリエッタは、本当の意味で聖女になれたのかもしれない。


「……私、本当は聖女になってはいけなかったんです」


 この話をすると、きっと情けない顔をしてしまう。部屋が真っ暗でよかった。


「誰にも望まれない聖女であることがとても苦しかったんです。……ですが、やっとわかりました。苦しむ人々へ救いを与えるために、こうとなって聖女の資格を返上することが、私のやるべきことだったんです」


 神の導きがあるとしたら、ルキノは神につかわされた救世主だろう。

 聖女になった意味を探し続けるあの日々が、ルキノのおかげで終わる。


「聖女としての最後のお役目が終わったら、きっと私は楽になれます。どうか、私のわがままを優先させてください」


 ルキノには、ジュリエッタがただわいそうに見えているのかもしれない。

 しかし、ジュリエッタにとって、聖女をめることは救いだった。


「俺はよく知らないけれど、たしかジュリエッタちゃんは、四年前にフィオレ聖都市をドラゴンの襲撃から救った功績で知識の聖女になったんだよね?」

「はい」


 ドラゴンは賢い生き物だ。大昔、人間との争いをけるために、ドラゴンと心を通い合わせることができた一族の導きに従い、世界のはしにある大きなけいこくで暮らすようになったと言われている。

 しかし、ときどきこちらまで迷い込んでくるドラゴンがいるのだ。そして、人間の前に現れたドラゴンは、なぜかきょうぼうしていることが多い。

 四年前にフィオレ聖都市へ迷い込んできたのは、ドラゴンの中でも特に大きな身体を持つヴァヴェルドラゴンと呼ばれるものだった。

 ヴァヴェルドラゴンのどくえんのブレスは、建物を燃やした。聖都市に住む聖職者たちは、呼吸をするだけで苦しくなった。

 神聖力はあくまでも『守る』ための力である。こうげきには向いていない。神のいかりである電撃を発生させることはできるけれど、ドラゴンのようにたいりょくの皮をもつ生き物にはあまり効果がなかった。

 ──そのとき、ジュリエッタは十二歳。

 ジュリエッタは枢機卿カルロ・ソレの宣教の旅についていくこともあったため、カルロから旅の危険について書かれた本を読むようにと言われていた。

 勧められた様々な本の中に、ヴァヴェルドラゴンの生態について書かれていたものもあった。ジュリエッタは急いでヴァヴェルドラゴンが好むにおいを放つハーブを集めた。

 そして、ヴァヴェルドラゴンがハーブの匂いにかれて降り立ったところを狙い、神聖魔法で大地をくだき、ヴァヴェルドラゴンの足を大地に食いこませた。そのあと、動けなくなったところを狙い、皆でこうそく魔法をかけたのだ。


「私はヴァヴェルドラゴン退治の功績をたたえられ、当時お世話になっていた枢機卿カルロの働きかけもあって、知識の聖女のにんてい試験を受けることになったんです」


 カルロは聖人認定されていた序列第二位の枢機卿で、賢者と名高い人物だった。

 彼がそう言い出せば、皆は反対したくてもできなかっただろう。


(聖人カルロ……貴方はどうして私を聖女にすいせんしたのですか……?)


 ジュリエッタが神に仕える道を選んだのは、施設を訪問しにきたカルロに声をかけられたからだ。

 ──君は聖書をもくどくできるんだね。

 幼いジュリエッタは、ようやく字を覚えたところだった。

 字を読むのは楽しい。しかし、聖書は施設に一冊しかないし、子どもはすぐに大事な聖書で遊び出してしまう。

 ジュリエッタはいつもひるの時間を利用し、他の子を起こさないようにだまって聖書を読んでいた。それはジュリエッタにとって当たり前のことだったけれど、カルロにはそうではなかったようだ。

 ──この子には神学の才能がある。神に仕える道をさずけたい。

 施設にとっては、孤児が少なければ少ないほど助かる。

 ジュリエッタはカルロに預けられ、フィオレ聖都市の門をたたくことになった。

 そして神聖力検査の結果、神聖力を持っていることが判明する。ジュリエッタは、修道女見習いではなく助祭として迎え入れられた。

 カルロはジュリエッタに様々なことを教えてくれた。ジュリエッタは、カルロの仕事の手伝いを通して、フィオレ聖都市の運営方法を学んだ。それはのちにジュリエッタを大いに助けてくれた。


(あの方は、どこまで見通していらっしゃったのかしら……)


 賢者と名高いカルロの指導を受けていたジュリエッタは、聖女認定試験に合格してしまった。それも、不正はいっさいなく、ただの実力で。


「知識の聖女の認定試験は、枢機卿から出される百の問題に答えるというものでした。大聖堂で行われる、いっぱんにも公開される試験だったんです。本来は不正がないことを示すための方法だったのですが……」


 ジュリエッタは、どの問題にも丁寧に答えていった。

 最初は皆、賢い助祭だと喜んでいただろう。


「……みんな、百の問題の全てに正答するなんて思っていなかったんです。よく頑張りましたね、聖女には認定されませんでしたがとても立派でしたよ。──……皆のえがいていた未来は、それだけのことだったのに、私は皆の前で全問正解してしまいました」

「なるほど。ジュリエッタちゃんは、受かるはずのない難しい試験に受かった本物の知識の聖女だったんだねぇ」


 すごい、とルキノは小さくはくしゅしてくれた。

 けれども、ジュリエッタは首を横に振る。


「聖人カルロが聖女認定試験に受かるような指導を私にしていたからです。あの方の教えを受けていなければ、私は全問正解なんてできませんでした……!」

「……ん? それってなにがいけないわけ? 教えてもらったことをきちんと理解して覚えて、それで全問正解したって話だよね?」


 ルキノは首を傾げる。

 ジュリエッタは、そうではないと顔を上げた。


「いけません! 聖女は、偉大なる神聖力を持った……多くの人々に奇跡を与える存在でなければならないのです! 試験に合格するだけなら、お決まりの書類仕事をするだけならば、できる人は他にもいるんです! 私の存在は奇跡ではありません! 聖女と名乗ってはいけなかったんです……!」


 聖女とは、神の力を借りて奇跡を起こす者だ。

 ジュリエッタに奇跡は起こせない。小さな怪我を治すことしかできない。

 聖女に推薦してくれたカルロは、ジュリエッタが聖女になったことを喜んだあと、ジュリエッタにフィオレ聖都市の未来をたくして神の国の門をくぐった。

 ジュリエッタは、自分を保護する者がいなくなったあと、ようやく自分の立場というものに気づいたのだ。


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