第一章 ②


 ようやく動けるようになったジュリエッタは、ブラシをぎゅっと握る。


あおき風の祈り──……。

 風を生むのは空、行き着くは海。

 我らは守護のめぐみを求む、さらばあたえられん。

 だいなる神よ、我らに祝福を!」


 とんとブラシで大地を突いた。


盾の奇跡アイギス・ララ・リーリエラ!」


 神聖力で、あわかがやく大きなたてを作り出す。

 ハイウルフは、自分とものの間になにかあることを察したのだろう。こちらに飛びかかることをやめ、うなりながらうろうろし始めた。


「村長さん! みなさんを急いで家の中へ!」

「わ、わかりました……!」


 ジュリエッタが指示を出せば、村長は慌てて皆へ声をかけに行く。

 ここは小さな村だ。すぐに全員が家の中に避難できるだろう。


「ジュリエッタちゃんも避難を……」

「このじょうきょうでは、私抜きでどうにかするのは難しいと思います」

「……その通り、ごめんね。大事にするって言ったのに。ちなみに、この光っているかべはどういう魔法?」

「風と神聖力で作ったしょうへきです。単純な盾ですね」


 ジュリエッタは、まずは情報共有した方がいいと判断し、ハイウルフの生態について簡単に説明した。


「ハイウルフは十頭ほどの群れを作ります。縄張り意識が強いため、人里からはなれた場所に縄張りがあるのであれば、襲われることはまずありません。ここを襲おうとしたのは、おそらく森が焼けたときに縄張りも焼かれてしまい、新しいかりを求めていたからだと思います」

「流石は知識の聖女。ハイウルフの弱点ってある?」

「はい。ハイウルフは犬とよく似ていますから、犬の弱点を利用したらいいかと。……騎士の方々には、村人が避難したかどうかのかくにんをしてもらうついでに、必要なものを持ってきてもらいましょう」


 ジュリエッタは二人の護衛騎士にお使いを頼む。

 皇王と聖女を守るという仕事をしなければならない彼らは迷っていたようだけれど、ルキノが「頼むよ」とウィンクつきで言えばかくを決めたようで、村の中に走っていってくれた。


(今代の皇王は男性も女性もける人なのね……!)


 すごい、とジュリエッタは思いながらブラシを持つ手に力をこめる。


「皇王陛下! 聖女さま! 村人は全員避難しました! それからこれを……!」


 すぐに護衛騎士たちが周囲をけいかいしながらもどってきた。

 ジュリエッタは、護衛騎士が持ってきたびんふたを開けようとし……固くて開けられなかったのでルキノに開けてもらう。

 たん、つんとしたにおいが鼻の奥をげきしてくる。瓶の中身はワインビネガーだ。犬に限らず、たいていの動物はこの刺激的な臭いをきらう。


「その辺の石をワインビネガーでらし、ハイウルフに投げてください」

「当てるだけではらえる?」

「神聖魔法をかけておきます。れたらでんげきが走るというものです。私の力では、しびれてしばらく動けなくなるぐらいの効力しかありませんが……」


 本物の聖女であれば、自分を基点にし、生命に関わるような強い電撃をこうはんに与えることもできるだろう。

 しかし、ジュリエッタが電撃の魔法を使っても、その範囲はせまく、りょくも大したことはない。


「ハイウルフに、ワインビネガーの臭いと電撃による痺れをつなげてもらいます。こうしておけば、またこの群れに襲われても、村人たちだけで対処できるようになりますから」

「なるほどね」


 ルキノは足元の小石を拾う。ぽんと軽く投げた。


「水切りは得意だから、久しぶりにがんりますか」


 手に持った石にワインビネガーを垂らしたルキノは、淡く光る障壁をじっと見る。


「なんかこの盾みたいなのは、こっちからならかんつうできるとかある?」

「そこまで便利な障壁ではないので……すみません。投げるときは言ってください。解除して、すぐに障壁を作り直します」

「あっ、そういうことね。なら三人でせーので投げよう」


 護衛騎士は剣をしまい、ルキノと同じように石を持ってワインビネガーをかけた。


「……せーの!」


 ルキノの合図と共に、ジュリエッタは障壁を解除した。


「天空の祈り──……。

 せんこうめぐるは雲、とどろくは大地。

 我らはばくの恵みを求む、さらば与えられん。

 偉大なる神よ、我らに祝福を!

 雷槌の奇跡トール・ララ・リーリエラ!」


 飛んでいく三つの石にばやく祝福をかけ、そのあとにもう一度障壁を作る。


盾の祝福アイギス・ララ・リーリエラ!」


 ブラシを地面に打ちつけると同時に、ハイウルフが「ギャン!」と鳴いた。小石が当たったハイウルフは痺れて動けなくなり、地面に横たわったままびくびくと身体を震わせている。


「おっと、あちらさんの敵意が増したねぇ」


 ルキノがおお怖いとつぶやく。

 ハイウルフの群れは、こちらを獲物ではなくて敵とにんしきしたようだ。

 ジュリエッタは、次の投石に向けて意識をブラシに集中させた。


「せーの……!」


 ルキノの合図でジュリエッタは障壁を解除し、飛んでいく石に神聖魔法をかける。そのあとすぐに障壁を作る。

 この目まぐるしい作業に、ジュリエッタは段々となにをしているのかわからなくなってきた。聖女は、フィオレ聖都市の運営に関わったり、人々を癒やしたりすることはあっても、戦うという経験はほとんどないのだ。


(ええっと、ええーっと……!)


 現時点で、ハイウルフは何頭残っているのだろうか。

 あと何回かえせばいいのだろうか。

 ハイウルフに襲われているというきんちょうかん

 単純だけれどちがえられない作業。

 精神的なろうが積み重なったせいか、ジュリエッタは想定できたはずの事態にすぐ対応できなかった。


「ジュリエッタちゃん! 後ろ!」


 ハイウルフが大回りしてきて、後ろからジュリエッタたちを襲おうとしている。

 ジュリエッタは後ろ側にも障壁を作り、ハイウルフのきばから皆を守らなければならないのに、とっさに動けなかった。


(あ……!)


 ハイウルフがすぐそこまでせまってきている。

 そのことに驚いたジュリエッタは、頭の中が真っ白になってしまった。

 ジュリエッタがサファイアブルーの大きなひとみを見開いていると、ルキノがジュリエッタのブラシをつかみ、動かす。

 ギャン!! というハイウルフの鳴き声で、ようやくジュリエッタの頭が働き出した。

 ルキノはきっと、ジュリエッタのブラシでハイウルフの顔を突いたのだろう。


盾の祝福アイギス・ララ・リーリエラ!」


 ジュリエッタは慌ててブラシで大地を突き、後方にも障壁を作る。

 ──今のはいっぱつだった。危なかった。

 助かってからきょうを感じ、思わずひざをついてしまうと、ルキノがぽんぽんと背中をでてくれる。


「ちょっときゅうけいする?」

「え……?」

「こっちに合わせてもらってごめんね。ゆっくりやろう。ねらいも定まりやすいし」


 ルキノは護衛騎士に「俺がこっちで、君たちはあっち」と指示を出している。

 ジュリエッタはブラシを握る手に力をこめながら、周りをゆっくり見てみた。深呼吸を繰り返し、混乱した頭を落ち着かせていく。


「すみません……」

「いやいや、ハイウルフに襲われて混乱しない人っていなくない〜?」


 ルキノの軽い口調のおかげで、ジュリエッタはかたから力を抜くことができた。


「そうですね。とても驚きました」

「俺も驚いた」


 ルキノがあせっていないから、ジュリエッタもそれにつられてしまう。

 よしと気合を入れ直し、ブラシを握り直す。


「もう大丈夫です。再開しましょう」

りょうかい。あとちょっと頑張ろっか」


 ルキノがこぶしをぐっと突き出してきた。

 ジュリエッタはその意味がわからず、首を傾げる。


「あ〜、そうか。聖女さまだもんね。いやいや、ごめん」


 ルキノは苦笑しつつ、握っていた小石に再びワインビネガーをかけた。



 ──周囲から敵意が消えた。

 ジュリエッタは念のために、自分を基点にして祝福の力を広げていき、敵意を向けるものがいないかどうかを確かめる。

 たおれている十頭のハイウルフ以外の反応は特に得られなかったので、もう大丈夫だろう。


「うわ〜、ワインビネガー臭がすごい。しばらく取れないかも」


 村の井戸で手を洗っていたルキノが、手の臭いをいで嘆いた。


「ごめんね。しばらく俺に近づかない方が……」


 ジュリエッタはあははと笑うルキノに近づきながら、スカートのポケットをさぐり、清潔なハンカチを差し出す。


「村を守った手です。ほこりに思ってください。それから、休憩の提案に助けられました。ありがとうございます」


 ルキノは混乱しかけたジュリエッタを、情けない聖女だという目で見てくることはなかった。それどころか、温かい言葉をかけてくれた。


(……なにを考えているのかよくわからなくて苦手と思っていたけれど、この方はとてもやさしい人なのかもしれない)


 人間は危機的状況に置かれると、ほんしょうが現れる。

 ジュリエッタの焦りは、戦うことを恐れるという本性から生まれたものだ。

 そして、ルキノのづかいの言葉も、優しいという本性から生まれたもののはずだ。


「こっちこそ、ジュリエッタちゃんに助けられたよ。ありがとう」


 ルキノはふっと笑い、ジュリエッタのハンカチを受け取る。


「俺は聖女さまのことを教会の中で祈るだけの人って思っていたけれど、さっきのジュリエッタちゃんを見て、思い込みはよくないって反省した。ハイウルフへゆうかんに立ち向かってくれたあの姿、格好かっこよすぎるって」


 ルキノはそう言うと、ハンカチに音を立ててキスをした。


「先ほどの私は勇敢だと思えませんが……」


 ジュリエッタからすると、情けないという言葉の方が似合っている気がする。


「そっか、ジュリエッタちゃんはいい子なんだね。……いい子なのは、聖女さまだから? それともジュリエッタちゃんだから?」

「あの……、先ほどの私の言葉に、いい子という要素があったでしょうか……?」

「あるある。俺さ、ジュリエッタちゃんのことをもっと知りたくなった」


 ジュリエッタは、ルキノの顔をじっと見てしまった。

 やはりこの人のことがいまいちよくわからない。優しいけれど不思議な人だ。


「もしかして、俺の考えていることがよくわからないって思ってる?」


 とつぜん、考えていることをルキノに言い当てられる。

 動揺してしまったジュリエッタは、失礼なことをしたかもしれないと反省し、急いで謝罪した。


「すみません……!」

「いやいや、そういうつもりはなくてさ。俺、初対面の人に『なにを考えているのかわからない』っていうかんちがいをされるんだよね。でも、本当になにも考えていなくて適当に生きているだけなんだ。長く付き合ってるやつらからは、もっと真面目に生きろってよくしかられている」


 ルキノは笑っているけれど、ジュリエッタは笑っていいところなのかわからない。


(いい人なのは間違いないけれど……。長い付き合いになったら、この方のこともわかるようになるのかな……?)


 ジュリエッタは、ルキノへの疑問を一度置いておくことにした。

 だとしたら、次は……。


「──では、続きをしましょう!」


 ブラシを持ったジュリエッタは、ルキノにそう宣言する。


「続き?」

「怪我人のりょうです。この村にはこれからお世話になりますし、時間があるのならできる限りのことをしておきたいんです」


 護衛騎士たちが改めて村人に声をかけに行くと、広場に怪我人が集まってきた。

 身体を動かせないような怪我人はあとで個別訪問することにして、先にけいしょうしゃを治すことにする。

 ジュリエッタはブラシを両手で持ち、神に祈りをささげた。


「緑なす大地の祈り──……。

 大地に降り注ぐは雨、き誇るは命。

 我らはあいの恵みを求む、さらば与えられん。

 偉大なる神よ、我らに祝福を!」


 ブラシを握っているジュリエッタの手に神聖力が集まってくる。金色のかみとスカートのすそがふわりといた。ほたるのような小さな光がジュリエッタの周りをう。

 ジュリエッタのふんから幼さが消え、代わりにこうごうしさが増す。

 身体に神聖力を行き渡らせたジュリエッタは、ブラシで地面を突いた。


癒やしの奇跡クロノス・ララ・リーリエラ──!!」


 ジュリエッタを中心に、光の輪が広がっていく。

 蛍のような光が、怪我をしているところに集まってきて──……やがて静かに消えていった。


「火傷が……治ってる!?」

「傷がふさがった!」

「……足首が痛くない!」


 ルキノは、投石を繰り返したときに割ってしまった人差し指のつめを見てみる。大した怪我ではなかったけれど、地味に痛いと思っていたところが、見事に治っていた。思わず口笛を吹き、ジュリエッタの癒やしの奇跡に感謝する。


「聖女さま……! ありがとうございます!」

「ああ、神よ……!」

「なんというお力……!」

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