イルカ
ひろたけさん
第1話
俺が現在進行形で片想い中の男に恋したのは、高二の時に修学旅行で起こったとある事件がきっかけだった。
派手な見た目と、バスケ部のキャプテンという一見華々しい肩書のせいで、俺は学校の人間から女にモテモテの陽キャ扱いをされている。
でも、やつらの誰も知りはしない。俺の恋人いない歴イコール年齢だということを。
だって、しょうがないだろ。俺、女に興味なんかねえし。好きなのは……男だし。
他人からイケメンと言われる外見を持って生まれたことを恨むよ。
女に言い寄られても困るだけなのに、それを喜んでいるフリをしなきゃ、周囲のやつに何かと怪しまれるしさ。
無難に学校生活送るだけでも気を遣うことが多くて、少し疲れていたんだ。
女に人気だからと俺にすり寄って来る男も多くて、そういうのも正直うざい。
だから、修学旅行の自由時間、俺は取り巻きの連中から離れて単独行動を取ることにしたんだ。
水族館のイルカショーを見てはしゃぐやつらを置いて、俺はこっそり出口に向かった。
と、土産物ショップの前を通りかかった時、反則的に可愛いモノがこっちを見てアピールしていたのだった。
イルカのぬいぐるみだ。
丸まると太った身体に、ふさふさの青い毛並み、クリクリとした丸い目が「ボクを買ってよ」とアピールしている。
これも誰にも知られていないことだが、俺は無類の可愛いもの好きで、もふもふした小動物やぬいぐるみの類には目がないのだ。
動物園や水族館を訪れると、ついついぬいぐるみコーナーで立ち止まってしまう。
そんな俺にとっても、このイルカは特に心に刺さる可愛さだった。
周囲を見渡し、見知ったやつが誰もいないことを確認すると、ささっとそのイルカを取り上げ、会計のカウンターに並ぶ。
腕の中に抱いたイルカは、ふわふわしていて気持ちよく、つぶらな瞳をこちらに向けて微笑んでいる。
可愛いなぁ~。思わず顔が綻ぶ。
やっと自分の番が回って来て、支払いを済ませていた時のことだ。
「おーい、
俺の名前を呼ぶ声に、背筋が凍った。
俺の取り巻き連中がこちらに駆け寄って来るのが見えた。
一番悪いタイミングで見つかってしまった。
「あれあれ? 何、田辺。ぬいぐるみなんか買ってんの?」
「ぬいぐるみが好きとか女かよ」
「そりゃ恥ずかしくて俺たちの前じゃ買えねえよな」
やつらはいち早く、俺が会計カウンターの上に置いたイルカを見つけ、俺を囃し立て始めた。
終わった。
ずっと体裁を守るために、クールなノンケの男を装って来た俺の努力は、この一瞬で水の泡となってしまった。
俺は恥ずかしさに顔を真っ赤に染めたまま、反撃することも出来ずに立ち尽くしていた。
その時だ。
「ええと、会計が終わったら、順番譲ってくれないかな?」
後ろに並んでいた客に苦情を入れられ、俺は振り返った。
そこには、同じクラスの
朝倉といえば、クラスの中では平凡中の平凡なやつで、存在感はほとんどない。
同級生でありながら、話したこともほとんどなく、いつも陰キャなオタク友達とつるんでいる目立たないやつだ。
「悪い。今、どくから」
俺は急いでイルカのぬいぐるみが入った袋を受け取り、その場を後にしようとした。
すると、俺の取り巻き連中は朝倉にまでウザ絡みを始めたのだった。
「なあ、お前も見ただろ? 田辺のやつ、ぬいぐるみなんか買ってやんの」
「男がぬいぐるみ好きとか、だせえよなぁ」
こいつら、完全に俺を下に見ている。
バスケ部のキャプテンにして女子にモテモテの人気者。やつらにとって、俺は今まで格上の存在だった。
だからこそ媚びを売り続けて来たわけだが、俺の恥ずかしい秘密を握ったことで、立場が逆転したと思っているのだろう。
見事なまでの掌返しに反吐が出そうだった。
「おい、朝倉は関係ねえだろ。やめろよ」
他の客にも迷惑になるし、俺はやつらをショップの外に連れ出そうとした。
だが、俺を完全に見下したやつらが俺の言葉に耳を傾けるはずもない。
「は? 女みたいな趣味したやつが俺に上から目線で指示して来るとかどんな冗談?」
俺の伸ばした手を一人が乱暴に振り払う。
その時、いつもは物静かな朝倉が一際大きな声を出したので、一同は驚いてシンと静まり返った。
「まじで、お前ら迷惑なんだけど。周り見ろよ」
取り巻き連中はぎょっとした顔でショップの中を見渡すと、他の客が一様に迷惑そうにやつらを見ていることに気が付いたらしかった。
急に黙り込んだ連中は、「行こうぜ」と小声で囁き合いながらその場を後にしようとした。
しかし、やつらの背中に向かって朝倉はまだ叫んだ。
「それにさぁ!」
連中が怪訝な顔で振り返る。
「他人が好きなものをバカにするのが俺は一番ダサいと思う。田辺がぬいぐるみ好きだからって、何か君らに迷惑でもかかんの?」
淡々と非難して来る朝倉に、連中の血相が変わった。
「お前、言わせておけば調子に乗りやがって!」
連中の中の一人が拳を握り締め、朝倉に殴りかかろうとした時のことだ。
教師が騒ぎを聞きつけてその場に走って来た。
騒ぎを起こした取り巻き連中は教師に連行されて行った。
「朝倉、迷惑かけてすまなかった」
土産物の会計を済ませた朝倉に謝ると、彼は何でもないことのように平然としていた。
「別に、田辺は何も迷惑になることはしてないじゃん」
「でもきっかけを作ったのは俺だし……」
「それよりさ。田辺の好きなものは好きでいいじゃん。別に恥ずかしがることないんじゃね? そのイルカ、可愛いじゃん? 俺も好きだよ、イルカのぬいぐるみ」
そう言って、朝倉は土産に買ったイルカのぬいぐるみのぶら下がったキーホルダーを俺の前にかざしてニッと笑った。
結局、取り巻き連中は俺に嫌がらせをしようとして水族館で迷惑行為を働いた不届き者として、女子たちから総すかんを食らうことになった。
俺と立場が逆転したつもりが、大失敗に終わった訳だ。
だが、俺にとってそんなことは最早どうでもよかった。
――朝倉が俺の前にかざしたイルカのキーホルダー、可愛かったな。
俺は帰りのバスの中でぼんやりと考えていた。
いや、違う。イルカのキーホルダーも可愛かったけれど、俺に笑いかけた朝倉の笑顔は反則級に可愛かった。
そもそも今まで関わりがなかったために、よく顔を見ていなかったが、朝倉は童顔でなかなか俺好みの可愛い顔をしている。
それなのに、自分よりも体格のいい俺の取り巻き連中に平然と立ち向かい、俺に好きなものは好きでいいと勇気をくれた。
朝倉のことを考えている内に、俺は自分の胸がドキドキ高鳴っていることに気が付いた。
――もしかして、これは恋?
俺はチラッと向かいの座席で眠りこけている朝倉の寝顔を見た。
可愛い。やべえ、顔が赤くなりそう。
俺は俯いて、赤面する顔を誰にも見られないように隠したのだった。
だけど、同性の同級生である朝倉に告白する勇気は今までずっと持てずにいた。
オタク友達と漫画の貸し借りをして笑い合う姿を遠巻きに見るのが精一杯で、家に帰ると朝倉との想い出がつまったイルカを抱き締めて、愛しいやつの姿を思い浮かべるだけで、一年もの月日が過ぎ去ってしまっていた。
もう卒業まで少ししかない。
このままでは、朝倉とは永遠に離れ離れになってしまう。
俺は秘かに焦りを募らせていた。
そんな俺に朝倉の言葉が蘇って来た。
『田辺の好きなものは好きでいいじゃん。別に恥ずかしがることないんじゃね?』
そうだ。当の朝倉がそう俺に言ってくれたじゃないか。
イルカのぬいぐるみが好きな俺に全くの偏見がなかったやつなら、ワンチャン告白したらイケるかも!?
でも、恋愛経験のない俺に、うまく告白する術なんてないし、どうしたらいいんだろう……。
考えあぐねていた俺は、通学路の途中にある小さな本屋に恋愛指南本なるものが置いてあることに気が付いた。
俺はその中の『告白が成功する方法』というタイトルに目を付け、単純にも飛びついたんだ。
だけど、その本の内容を実践することは出来なかった。
連日立ち読みに訪れる俺を快く思っていなかった店主の親父に怒鳴りつけられていたところを、またもや朝倉に助けられた。
俺の代わりに金を払って本を買ってくれ、本屋の親父から解放してくれたのだ。
大して親しくもなかった俺に、そこまでしてくれる朝倉の優しさが身に染みた。
俺の取り巻き連中に立ち向かってくれた時も、店主の親父の怒りを宥めてくれた今日も、朝倉は見返りを求めることなく俺に優しくしてくれる。
俺の胸に朝倉に対する恋しさが込み上げる。
俺に本を手渡し、帰ろうとする朝倉をそのまま見送ることは出来なかった。
朝倉への愛しさが高まりすぎて、気付いたら俺はやつを抱き締めて唇を奪っていた。
家に帰った俺は、ベッドに身を投げ出した。
その衝撃でベッドの枕元に置いてあったイルカが跳ね上がる。
俺は愛しのイルカを抱き留め、もふもふの身体に顔を埋めた。
終わった……。
朝倉にちゃんと告白すら出来ていないのに、勢いに任せていきなりキスをしてしまうなんて。
せっかく朝倉が買ってくれた『告白が成功する方法』で学んだ方法を何一つ試すことなく、俺自身の軽はずみな行いで全てをぶち壊してしまった。
「朝倉……」
ふわふわのイルカにじんわりと俺の涙が染み込んでいった。
イルカ ひろたけさん @hirotakesan
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