ぬいぐるみの流れる川で

西野ゆう

第1話

 白か赤か。

 約束された祈りの祭事。

 山に雪が残る頃に踏まれ、雨期の前の収穫を待つばかりになった麦畑。

 吹き下ろしの風で黄金に波打つ麦畑と、獣の住処すみかわかつように流れる小川。

 その村に古くから伝わる祭りは、豊かな水を村まで運んでくる山の神に感謝し、翌年の豊作を祈る。

 白か赤か。

 白は平安の色。赤は災厄の色。

 村人たちは川を流れてくる花の色に、家族の幸せを願う。共に流れてくる英雄ゲオルクのぬいぐるみへと。


 この村の祭りが、吉兆を占う祭事だった頃の話。

 少年ゲオルクは知っていた。

 祭りの準備に、村の女たちが麦畑の傍らに咲く白い花を摘み集めていたことを。今朝早く、村の男たちがその花を山に運んでいたことを。

 ゲオルクは悪戯盛りの十四歳だ。毎年同じことを繰り返してバカ騒ぎする村人たちに嫌気がさしていた。

 祭りの正午に行われる祈り華の祭事の時間を見計らって、出店の手伝いを抜け出し、けもの道を登っていた。

「みんながどんな顔をしたか、あとでしっかり聞かなきゃな」

 たばかりに緩んだ顔は、ゲオルクにしてみれば悪魔の笑みのつもりであったかもしれないが、幼なじみのクララが見たら、単にいやらしい想像をしているだけのように見えただろう。

 背中に赤い花を詰め込んだ籠を背負いながらも、ゲオルクは慣れた足取りで川の上流へと進んでいく。

 ゲオルクの目前に、突き出した岩で流れが二つに割れる双竜の滝が見えてきた。滝の横の崖には、つるを編んだロープが垂らされていたが、滝と言っても滝壺の無い緩やかな滝だ。若いゲオルクは弦を手にすることなく、崖を駆け上がる鹿のように登った。

「この辺でいいか」

 上流から白い花を流す者からも、村でその花が流れてくるのを待つ者からも見えない場所を選んで、ゲオルクは籠を降ろした。ゲオルクも倒れた木の幹に腰を下ろし、その時を待った。

 ゲオルクが選んだ場所からは、五十メートル程上流まで川の流れが見渡せた。その視界に白い花が見えたと同時に、赤い花を川に流す算段だ。

 流れてくるはずのない赤い花を見て驚く村人たち。だが、それからしばらくして、いつも通りの白い花が流れ、誰かの悪戯だと知れるという筋書きだった。

 しかし、流れてくるはずのない赤い花を見て驚いたのは、下流で待つ村人たちではなく、ゲオルクだった。

「え?」

 自分が用意していたよりも遥かに多い赤い花が上流から流れてきた。川全体が血に染まったような不吉な赤だ。

 ゲオルクは咄嗟に自分が運んできた赤い花を森の中にぶちまけ、空になった籠を持って川に飛び込んだ。

 山から流れてくる川の水は冷たい。その冷たさと初めて感じる恐怖に、ゲオルクの顔は青ざめていった。

「冗談じゃないよ。こんなの見たら、村の人たちが……。オジサンたちは何やってんだよ!」

 これは本当にとんでもない災厄が訪れる予兆なのかもしれない。咄嗟にそう思ったゲオルクは、自分の目的も忘れて、できるだけ流れてくる赤い花を籠の中へと集めていった。

 そして、赤い花を夢中で集めるうちに、その中にとんでもないものが混ざっていることに気が付いた。白い花を流すために上流にむかった大人たちの残骸。獣たちに食い散らかされた成れの果て。

 こんなはずではなかった。ゲオルクの身体が震えだす。

 腰の深さしかない川だと油断もしていた。水と花と赤い残骸で重くなった籠は、川の流れと恐怖を正面から受けたゲオルクを下流へと引きずり出した。

「くっ!」

 ゲオルクは足を踏ん張ったが、体重を乗せた川底の石がぐらりと動くと、あっけなくバランスを失った。声を上げる暇もなく、冷たい水が大量に肺へと流れ込む。咳き込む事しかできなくなったゲオルクは、自分がどこにいるのか、どこを向いているのかさえも分からなくなった。

 一層速くなった流れに揉まれるゲオルクの脳裏に、ついさっき見た双竜の滝の景色が浮かんだ。


「クララ、いいこと教えてやろうか?」

 ゲオルクの悪友であるヨハンがクララにそう言って近づいてきた。随分とニヤついている。トイレに行くと言ったきり戻ってこないゲオルクが、手伝いをサボって帰ってこないつもりなのだろうと、クララが諦めかけていた時だった。

「な、なによ」

 どうせくだらない事だろうと、クララは嫌な顔を隠しもせず返した。

「今日は赤い花が流れてくるぜ?」

「……ゲオルクでしょ? いつもあなたたち一緒にいるのに、ゲオルク一人だけいなくなるなんておかしいと思った」

 あっけなく企みを読まれたヨハンは、舌打ちをして川の方へと歩いて行った。赤い花を見た村人たちがどんな顔をするのかをしっかり目に焼き付けて、この計画を立てたゲオルクに聞かせてやらなくてはいけない。ヨハンはニヤついた顔で、赤い花が流れてくるのを待った。

 ヨハンより上流側に居た村人たちの声が聞こえてきた。どうやら花が流れてきたようだ。それは悲鳴ではなく、例年と変わらぬ歓声だった。

 やがてヨハンの目にも花が見えた。

 それはいつも通りの白い花だった。

「なんだよ。もしかしてゲオルクのやつ、赤い花流す前に大人たちに見つかったのかな」

 数日前から大量に用意した赤い花も、その苦労も、全部無駄だったかとヨハンが落胆していると、上流側の村人たちから悲鳴が上がった。

「お? 来たか?」

 計画では先に赤い花を流すはずだが、予定を変えたのだろうとヨハンがニヤリと笑っていると、上がった悲鳴が言葉としてはっきり聞こえてきた。

「あれはゲオルクじゃないか?」

「おい、動かないぞ!」

「死んでる!」

 白い花に囲まれて川を流れるゲオルクの胸には、一輪の赤い花が乗っていた。


「それで? やっぱりゲオルクは死んじゃったの?」

 花を摘みながら村に伝わる話を聞いていた子供が、首を母のほうに曲げて優しく笑う顔を丸い目で見つめた。

「ええ。今でも双竜の滝の岩には、ゲオルクがぶつかったっていう跡が残ってるのよ。でもね、ゲオルクが命がけで赤い花を集めたおかげで、この村はずっと豊かなの」

「ふーん。そのお祭りが明日なんだね?」

 吹き下ろしの風で黄金に波打つ麦畑。その周りでは、今年も村人が白い花を摘む。赤い花一輪を胸に抱いたゲオルクのぬいぐるみと共に。

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