第2話


「……さん、ですね。はい、三十五年のお勤めご苦労でした」


 男はそう言って、形式的に頭を下げた。彼の手元には何枚かの書類があり、一番上には私の名が題名のように書いてある。

 恐らく、私のこれまでの人生の軌跡が記されているのだろう。

 好奇心のある私の視線に気付き、男は中を見てみますか、と提案してくるがお断りする。私自身面白くもない人生だと自認している。その証拠に他の書類に比べると、私のものは薄い。


 しかし、三十五か。

 数字で聞いてみると短い。

 ただ、まあ、我ながら、それなりには頑張ったと言える人生だろう。

 ……ふむ、年上の人に聞かれれば間違いなく叱られるだろう。


「では、時間もないですし……っと、失礼。速やかに次の生の手続きをしましょうか」


 男はまるでそこに時計があるかのように、後ろを振り返った所で慌てて、こちらに向き直した。何か習慣や癖じみたものなのだろうか。


「それではプランの選択をお願い致します」


 男は二枚の紙を提示してくる。

 片方は『一般プラン』と銘打ってあるが、もう片方はと言うと……。


「異世界プラン?」馴染みのない言葉に私は首を傾げる。

「はい、もしかして異世界をご存知ないですか?」

 

 男の問いに私は頷くと、彼は少し高い目を丸くしながらも説明を始める。


「こちら、昨今人気のプランでして。異世界、即ち貴方様のいた現世とは違う――魔術だったり、ドラゴンやゴーレムと言った幻の生物が住まう世界への転生です。記憶の引き継ぎが出来るも魅力ですね」

「何かゲームみたいな世界ですね」男は昔遊んだゲームの内容を思い出し言う。少しワクワクしてきた。

「ええ、まあ、その認識でよろしいかと」

「なら、勇者とか魔術師とかになれるってことですか?」

「えー、待ってくださいね……」


 男は紙を捲っている。どうやら、生まれ変わった先が分かるらしい。


「……貴方様は、オークですね」

「オーク? え、木ですか?」

「いえ、生物ですよ。何と言いますか、緑や灰色の体色をした、二足歩行の怪物ですね」

「怪物? え、人じゃないんですか!」

 思いもしなかった来世の自分の姿を聞き、私はおおきな声を上げてしまった。

「人気のプランですからね。良い転生先は埋まりがちでして。それに貴方様は、大変言い辛いのですが、これまで生で得た経験値が少ないので、選り好みは難しいですね」


 なんてこった。

 ここに来て、そんなモノが必要になるとは。

 異世界に胸を躍らせていた私は肩を落とす。

 仕方ない、ここは一般プランを選ばざるを得ないだろう。

 私は一般プランを指差すと、その場合の生まれ変わった先を尋ねる。


「一般プランですと、アリですね」

「アリ!? ハチ目アリ科のアリですかッ!?」

「ええ、詳しく言うとクロオオアリですね」


 どんな、アリだ。全然わからん。

 困ったな。アリか、小さい頃にアリの巣に水を流した記憶があるが、そうなるのは嫌だ。

 しかし、異世界ではオークなる怪物ときた。今の記憶保持して怪物になるのは遠慮願いたい。

 究極の二択を突きつけられ、答えを出せずに私は唸ってしまう。

 すると見かねたのか、或いは業務を早く終わらせたいのか、男が一つの提案をしてくる。


「異世界プラン限定ですが、ランダム転生というものがあります。これは文字通り、何に転生するか分からない、ですが何にでも転生できる可能性があるモノです」

「何でも……って、何でも?」

「ええ。騎士なり魔術師なり、勇者なり、王様なり――変わり種では魔王や剣、ドラゴンなんてのもありますよ」


 うーむ、それはそれで勇気がいる。

 それこそ、オークになる可能性もあるし、スライムとかもあり得るだろう。嫌だなぁ、スライムなんて序盤の雑魚敵に転生するのは……何もできないだろ。

 だが、良い可能性があるなら、賭けてみる価値はあるだろう。

 私は悩みに悩み抜いた結果、ランダム転生をおねがいする。


「承りしました。では、こちらの紙を持って左手の扉へとお進み下さい」

 男は異世界プランの紙の上に付箋を貼ると手渡してきた。

「良い転生を」

 その言葉に見送られ、私はゆっくりと異世界へ転生する扉を開いた。





 ……。

 ……。ん?

 お、転生したのか。だいぶシームレスだな、何の余韻も無ければ豪勢な雰囲気もない。スッと終わって、スッと始まった感じだ。

 さて、何に転生したのか。

 怪物は勘弁だ。それ以外なら何だって良い。


 私は徐々に明らかになる視界に祈りを籠める。

 そして次の瞬間、目の前に大きな人の顔があることに気づいた。

 驚きの余り声を出したつもりだが、可怪しいことに声が出ない。

 どうやら、私を見つめているのは幼い女の子だ。よく梳かれた金色の髪と妖しい紫の瞳から異国の者を彷彿とさせる。

 そして何より、子供っぽさを残しながらも、その顔立ちは美しく、人離れした雰囲気を放っている。


 うわぁ、顔が良いな。

 こりゃ、人生得する――って!?

 痛い! むっちや、痛い! 主に左目が痛い!

 何するんだッ、クソガキッ! 


 左目の激痛に私は思わす汚い言葉を吐いたが、やはり声は出ない。

 どうやら、少女は針を持っていて、それで私の左目を刺して糸を通している。

 辞めさせなければ、と私は手足を動かすが動かない。

 まるで手足に重い鉄球でも付けられているようだ。

 身体はこんなにも――綿のように軽いのに。


 何か分からないが、動けるようになったら覚えておけよ、と私はきっちりと復讐心を燃え上がらせる。

 最も少女はそんなことお構いなしで私に針と糸を通し続け、やがて満足そうに笑みを浮かべて私を持ち上げる。

 少女はしばし私を見ていたが、やがて立ち上がると部屋に置かれた大きな鏡の前に近づく。


 へ? これが私?


 鏡の前になり映し出された姿に私は絶句する。

 とてもじゃないが不恰好なウサギのぬいぐるみ。

 黄色い布に、ボタンの眼――それが私の姿であった。

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