転生先はぬいぐるみ
金井花子
第1話
ふと、目を覚ます。長いこと寝ていたのか、それとも数分程度の仮眠なのか。どちらにせよ、快眠とは言い難い。
起床直後の気だるさに唸りながら、上体を起こして周囲を見てみる。
白い。真っ白だ。新築の部屋ですら、ここまで白くはない。
そもそも、壁や天井があるのか、あるとするなら何処にあるのか。距離感や空間の認識ができないほど、広大な空間のようだ。
私はむくりと立ち上がり、改めてぐるりと見渡してみる。何か変わるまでもなく、この眼は代わり映えのしない白い空間を映す。
数分たっただろうか、私はあてもなく歩き始めることにした。
何も無いために進んでいるのか、はたまた来た道を戻っているのかすら分からない。
――そういえば、何で私はここに居るのか。
脚を動かしながら、記憶を辿ってみる。
確か、自分はまだ仕事中だったはず。
日々渡される仕事を程々に熟し、特に何の夢もなく希望もなく生きてきた。
それは退屈な日々だろう、と人は言うかもしれない。
だが、私にとってはそれで良かったのだ。
勉学に力も入れず、運動も禄にせず。その時その時だけ、力を入れて生きてきた。
そこには運の良さ、があったのだろう。
たまたま、運が良かった。
たまたま、人よりも良く見えた。
たまたま、偶然が噛み合った。
そんなこんなで、生きてきた。
恐らくは二度と、このような生き方は行えない。
二度と――そう二度とだ。
今までの人生を振り返っていると、やがて私は前方に何かを見つけた。
机、椅子、それと人?
私の視界に映っのは、大量の書類が積まれた机の上では作業をしている一人の男性だ。
髪を掻きむしり、眉間に皺を寄せて只管に筆を動かす。
背広はとっくに草臥れて、机の角に置かれた灰皿は煙草の吸い殻で溢れている。
その姿にどこか懐かしさを感じながら、私はゆっくりと近づいていく。取り敢えず、彼にここが何処なのかを尋ねるべきだろう。
こちらの接近に気付いたのか、それとも何か気配を感じたのか、職務中の男性は筆を止めて顔を上げる。
一瞬こちらに向けた顔は、何とも不快なものだった。眉間の深い皺のせいで、まるでこちらを睨みつけているようだ。
いや、実際にそうなのだろう。
その顔に私は同僚の姿を重ねる。彼も仕事中、嫌な上司や面倒な客人が近づくと、その顔を隠れながらしていたものだ。
だが、次には男性の顔はこちらの姿をよく見直して、慌てたような表情をした。
その顔は思いもよらぬ出来事が起きたときの上司の顔と似ている。
「あ、あれ? まだ、居たのですか」
その言葉が何を意味するか分からず、私は彼の言葉をそのまま返した。
「本日死んだお方なんですよ、貴方は。うわぁ、誰からも声をかけられなかったのか……えーと、書類は……」
男性が告げた衝撃的な言葉。
一生に一度しか聞けないその言葉に私は声も出せず、ただ身体を震わす。
死んだ?
え、私、死んだのか?
聞きたくない言葉に私は聞き間違いだと思ったが、この時ばかりは普段記憶力の悪い脳が尋常なほどに稼働する。
必死に嘘だと思う私に、記憶か真実を見せる。
昼時、食事を買いに出かけた所、いつもの近道をせず、少し歩道の狭い通りを暢気に歩いていたとき。
少し強い風に春の気分を感じ、空を見上げるた時だ。
飛来したバケツのような物に当てられ、バランスを崩した私は車道に出てしまい――
後ろから来た車に私は轢かれたのだ。
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