お腹の弱い魔女と古の本屋に出掛けた話

道楽もん

深海にて



「……今回の仕事が終わったら、俺ぇあ降ろさせてもらうぜ……やってらんねぇ」


 日の光も届かない、真っ暗な海の底に沈んだ古の本屋を前にして、興味深げに観察しまくる小柄な魔女の背中に向けて俺はそう……言い放った。


「……どうして?」


 肩の上で切り揃えられた金髪と同じ色をした瞳を見開いて振り向いた魔女……ベーコックは無骨な杖を後ろ手に持ち替えながら聞き返してくる。


「ライド……この仕事に飽きたの?」


「飽きるとか、そんなんじゃねぇ……こう見えて俺は元冒険者だ。一度受けた仕事はキッチリこなさせてもらう。そういうんじゃなくてだな……」


 何かと上手い言い訳でも出てこないかと頭を捻っているうちに、クソ魔女のつぶらな瞳が不思議そうに見つめて来やがるから、俺は何も言えなくなっちまう。


 ヤクザなこの仕事冒険者にも飽きてきた今日この頃。

 少し童顔で性格も良くて胸も大っきい……そんな嫁さんをもらって優雅にスローライフを送る事を考え始めていた俺には、先立つものが不足していた。まとまった金を得て足を洗うために、最後にドカンとデカい仕事をこなして終わりにするつもりだったはずなのに……。


「……酒場の前で報酬が破格の依頼を抱えて、見た目ばかりがもろタイプのが泣いてるのに釣られちまうなんて……ホント、俺のばか」

 

「お腹減ったの?」


「違げえよ! お前が性格の悪い魔女だと知ってたら依頼なんて最初から受けやしなかったのにって、ちょっとばかし後悔してただけだ。案の定嘘泣きして、ケロリとしてただろうが!」


「人聞きの悪いこと言わないでよ、もう……何やかや言ってウチでも来れなかった此処ここに、簡単に連れて来てくれたじゃない?」


「……簡単じゃねえッッ! 行きつけの人魚酒場のママから、深海に潜る為の魔法のアイテムを借りようとしただけで出禁にされちまったんだぞ!!」


「お酒の飲み過ぎは身体に悪いから、むしろ良かったんじゃない?」


「うるせえッ、二度と……二度とウルスラちゃんと会えなくなった俺の気持ちが……魔女は魔女らしく、人里なんかに降りてこないで呑気に茶でもすすってたら良かったのによぉ……」


「ベーコック、ニガイのキライ」


「ああ、そうかい……どうでもいい情報あんがとよ。それよか、さっさと目的のモノ探してズラかるぞ。ここは半魚人の巣窟だ、見つかると厄介だぜ」


 ウン十年も前に沈んだこの朽ちた建物はその昔、人気の本屋だったらしい。しかし、天変地異とかで陥没して波に飲まれてこんな事になったらしい。一説には、何か危険な書物を販売しようとしてたから危険視されて沈められたとかそんな噂もある。


「……んで? 探し物はどこにあるんだ?」


「コッチ」


 魔法のチカラとやらで全体を空気ごと包まれたらしい建物の内部は天井が高く、広々とした広間は海の底って事もあって灯りが無ければ伸ばした腕の先だって暗くて見えねえ……頼りない魔法の明かり一つをかざしただけで、はじめての場所だろうにこの魔女は躊躇ためらうことなく奥へと突き進んでゆく。恐怖って感情をどっかに起き忘れて来たんじゃねぇのか? コイツ……。


「……ズカズカ歩くんじゃねえよ。足元に何が転がってるか解りゃしないってのに……ケガしても知らねえぞ」


「……ぅうッ」


 ……とか何とか言ってるうちにヤツはお腹を抱えてうずくまっちまった。


「なんだオイッ、どうした? トラップにでもやられたのか? だから言わんこっちゃねぇ……」


「……本屋とか図書館とか、たくさんの知識の詰まった場所に来るとお腹がギュルリと来るんだよね……ライドはこうならない?」


「……魔女なんて辞めてしまえ」


 そんな中で微光を放つ存在が一つ、魔女はヨロケながらも真っ直ぐにそこへ向かってゆく。


「……あ、あった! コレコレ」


「コレコレって……あんなに高くちゃ取れねぇぞ?」


 平均よりやや高い身長の俺が背伸びしても手の届かない、湿気で腐り切った本棚の上の方に一冊だけ無事な本があった。怪しすぎる存在に眉間がムズムズし始めた俺に対してクソ魔女は、何かをせがむかの様に広げた両手を差し向けて来る。


「ライド、肩車して?」


「……ああッ?! 俺に肩車しろってか? お得意の魔法で何とかできねえのか?」


「無理。早く、早くッ」


 ……何だ、そのワクワクしたきらめく瞳はッ……そんな目ぇされたら断れるわけねえだろ……。


「……ったくッ、早く取れよ」


 渋々しゃがみ込んだ俺の首に柔らかな太ももが巻き付いてくる。……クソッ、肉付きだけは立派なんだよな、コイツ……性格さえ破綻はたんしてなけりゃ……。


「……ギョギョッ!」


 ほら見ろ、モタモタしてたから住人に見つかっちまったじゃねえか!


「急げッ、早く取っちまえ」


「高いとこ、怖い」


 あろうことかこのクソ魔女は、肩車した俺の目を隠す様に頭を抱え込んだ。


「何だッ?! 頭の後ろが柔らか……馬鹿ヤロウッ、前が見えなッッ」


 そうこうしているうちに俺たちを取り囲むようにギョギョギョと鳴く声が増えてくる。マズイんじゃねえのか?


「……オイッ、魔法で何とか追い払えねえのか?」


「ウチが使えるのは広域対象の極大殲滅魔法だけだよ。建物と一緒にウチらも消し飛ぶけど……ヤル?」


「……こんの、クソ魔女があああッッ!!」


 朽ちた壁を背にして視界一杯を埋め尽くす半魚人の群れ……こりゃ、詰んだな……。


「……畜生……夢のスローライフまでもう少しだったのに……ここまでか……」


 絶望する俺の独り言をよそに、クソ魔女は俺の頭の上で何かモゴモゴ言ってやがる。


「……何だ、恨み言なら自分に言えよ……」


「……@#$%&*……」


 何だ何だッ?! クソ魔女を中心に光が円を描いてゆく……まさかコイツッ、ヤケになって殲滅魔法とやらを……ッ?!


「……待てッ、早まるな……ッッ」


 おそらく魔法陣なのだろうが、デカすぎて全貌が見えない位の光の線が後光の様に俺の身体を包み込む。半魚人どもにもヤバさが伝わるのだろうか、数体は魚の尻尾を巻いて逃げ出すヤツもいる……なんて、呑気に眺めていられる状況じゃ……。


 俺の周りの空気がバチバチと弾けて肌を焼く……こんな場所にいたら蒸発……。


「……ヤ……ヤメッッ……!?」


 クソ魔女がその細い腕を突き出すと同時にブワッと空気が爆ぜた……かと思いきや、膨大な魔力の塊が彼女の頭の上にある本へと吸い込まれていった。


「……一体、何が……」


「この本のある所ではね、魔法が使えないの。雑魚を追い払うだけなら十分な効果でしょ?」


 どさくさに紛れて手にした本を大事そうに抱えてクソ魔女は俺の肩からストンと飛び降りる。そして何を思ったのか、カウンターと思しき台の上に金貨袋をドサリと置いた。


「……本屋さんはどこも大変だからね、お金はちゃんと払わないとね」


「……何の話だ」

 

 満面の笑みを浮かべてクルリと振り返った魔女は、俺の顔を見るなりトタトタ駆け寄ると腕に抱きついて来た。


「ありがとうライド、助かっちゃった」


「……礼なら別にいらないぞ。金の為にやった事だし……まぁ、正直言って赤字って感じがしないでも無いが……」


「……実はさ、こういう本があと三十冊くらいあるからさ、残りも宜しくね?」


「…………ハアッッ?! 俺は辞めるって言ったろうがッッ」


「集めた本をある所に納めてようやくお金が貰えるんだよね。……だからこれからも頼りにしてるね」


 そう言ってあどけない上目遣いで俺を見上げながら、抱きついた腕に柔らかい感触を押し付けて来る……このッッ


「……ド畜生があああああああッッッ!!」

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