なんでもある本屋

Tempp @ぷかぷか

第1話 なんでもある本屋

 その本屋に寄ったのは偶然だった。たまたま時間が空いていたのだ。

 大学の1コマ分の講義の隙間で、さりとて家に一旦帰るほどでもなく、だから散歩がてら大学周りをふらついていた。

 その本屋は昔ながらの小さな個人書店で、今どきは経営は難しいのだろうなという印象を抱くような店だった。書店の奥に店員と思われる青年が腰をかけ、本を読んでいる。そして立ち入った店内に驚く。整然とした本の並びは美しく、好感が持てた。

 妙なことに気がついた。全ての本が、その大きさ別にタイトル順に並べられているのだ。よくある出版社別でも作者別でもなく。だからその本棚は背表紙の色も柄もバラバラで、異様にカラフルだった。けれどその表面は壁のように一列に整い、その中から引き出して穴を開けても良いものかと迷うほどだった。正直、これほどキチリと棚に戻す自身がない。

「棚の本はお探しの本用なんですよ」

 手を出しかねていると、奥に座った同年輩の青年が手元の本に目を落としたまま、俺に声を掛ける。


「お探しの?」

「そう、いちいちジャンルやら出版社やらで探しちゃ面倒だから、タイトル順」

 なるほど、そのような考えに基づき、この並びなのかと納得した。

「けど、余計に混乱しませんか?」

 青年はようやく目を上げた。

「お客さん、お探しの本はありますか?」

「いや、特には」

「なるほど、では純粋に本が好きなお客様なのですね。それでしたら出版社のお勧めと売れ筋は、それぞれの平積みの本です」

 出版社の?

 目を落とせば、膝高に本棚にくっついて平積み本が並んでいる。なるほど、他の本屋でも最近良く目にする本やニュースで話題の本だ。手に取りパラパラとめくる。けれどもあまり興味は惹かれない。そのうち、1つ新作のミステリーの本を手に取る。気になっていた本だ。そしてそこは丁度、この本がある『ゆ』から始まる棚だった。丁度目線の高さに同じタイトルの本が本棚に1冊だけ収まっている。

「平積みの本とは別に本棚に収めるんですか?」

「ええ。だって本のタイトルから探すなら、それが一番簡便でしょう?」

 なんだか奇妙だ。この本は売れ筋のはずだ。だから平積みになっているのだろうし、どうせなら目立たせるため、棚にもたくさん収めればよいのに。けれども俺の疑問がわかるのか、聞くまでもなく答えがある。

「だって一人で2冊も買いはしないでしょう?」

「そりゃぁまあ、そうですが。ただ、補充が大変でしょう? どっちからとったかわからないのに」

「補充は棚がかってにしてくれます」

「棚が?」

 そんな馬鹿な。と思いはするけれど、この不可思議で整然とした棚はそんなこともできそうな、気がしてくる。けれどもそんな馬鹿な。きっとからかわれているのだろう。


 青年は小さくため息を付く。

「お疑いですね? ではお客さんのほしい本を思い浮かべてください。ああ、現行市販されている本じゃないと駄目ですが、きっとあります。稀覯本の場合は奥に保管しているので、お申し付けください」

 その青年の挑むような視線が妙に面白く、最近どうにも見つからず、ネットで送料を負担して古書を求めるのも気がとがめていた程度の本を思い浮かべる。『お七火事の謎を解く』。だから『お』の棚に移動して上から順に調べれば。

「あった」

「ほらね」

「たまたまでしょう?」

 あまり手に取られなさそうな本だが、そこまで古い本じゃない。

「そうですね、きっとたまたまです。でもこの店ではどんな本でも見つけられる、そんな評判です」

 どんな本でも? その他人事のような言葉選びに興味を惹かれる。改めて見回しても、その本屋の店内はそこまで大きくはない。ではもう一つだ。『伝染病研究所  近代医学開拓の道のり』。『て』の行。

「あった……」

 何故こんなところにこんなニッチな本が? 狐につままれたようだ。あたりを見回しても、医学文献や歴史文献が多いようにも思われない。ハウツー本やラノベなどと混じって唐突にそんな本がある。


「古い本でもあるのですか?」

「ええ、もちろん、ただし貸本になります」

「貸本?」

「ええ、貴重ですからね」

「では『金玉積伝集きんぎょくせきでんしゅう』はありますか?」

「少々お待ち下さい。ただし複製本ですが」

 青年はすらりと立ち上がり、奥に下がり、あっけにとられた。まさか。あるはずがない。金玉積伝集は平安時代の兼明親王かねあきらしんのうが記した書法や故実についての本だ。閉じ本として国会図書館や大学書庫などに残っているくらいだ。

 落ち着かない気分で待てば、青年は運んできた青い風呂敷を開き、そこから白い閉じ本をとりだした。本物、っぽい。けれどもそれにしては綺麗で、平安時代の本とも思われない。

「そ、その、これは拝見しても?」

「もちろんです。本は読むためにございます」

 信じられない。僅かに震える手にとれば、経年の劣化を感じない美本だ。パラパラとめくれば、国会図書館のデジタルアーカイブで見たものと筆跡は異なるが、内容は同じものなのだろう。

 ああ、読みたい、読みたいぞ。デジタルアーカイブではどうも達筆な字がかすれて判然とは読めない部分があったのだ。

「その、これをお貸しいただくには、おいくらが必要でしょうか」

「ああ、うちの貸本は一律1日1000円です」

「せ、せんえん?」

 貸本の値段としては高めかもしれないが、そもそもこの原本は貸出されていない。これを1000円で貸すとは正気を疑う。


「も、もし私がこれを持ち逃げしたらどうするつもりですか?」

「大丈夫ですよ、貸本申込書を書いていただきますから」

 そして青年は、手元の机の引き出しから一枚の紙を取り出した。それは一般的なもので、名前や住所や電話番号などを記載するカードだ。ペンを渡され、情報を記入する。けれどこんなもの、偽の住所を書いてしまえばそれでおしまいじゃないか。

 緊張しながら差し出せば、青年はざらりとその表面を眺めた。

「はい、ありがとうございます。これで貸本の契約が成立しました。有効期限は1年となりますから、1年経ちましたら新しく作成いただきます。住所等が変更された場合は、次回借りる際にお申し出ください」

 青年は風呂敷に金玉積伝集を包み直し、俺に渡す。本当に受けとってもいいんだろうか。今更ながら、冷や汗をかく。手に取ることなどないと思っていた本を受取れば、ふわふわとした非現実感の隙間から、保管しなければならないという緊張が心の底から湧いてくる。この貴重な本を? もし俺がこれをチョロマカしてしまった場合、この店の損害は計り知れないだろう。それをたった1000円で? 補償もなく?

 信じられない。

「そんな不安そうにされなくても大丈夫ですよ。それからお貸しできる本は一度に1冊だけです。有効期限1年以内なら、いつお返し頂いても結構です」

「そんな、長く? 返却を忘れてしまったらどうするんです?」

 青年はぽかんと口をあけた。

「あなたはその本の返却を忘れるんですか?」

 そんなことが有りうるはずがないだろう、と思わず叫びそうになる。

「い、いえ。一刻も早くコピーしてお返しします。コピーはかまわないのですよね?」

「勿論です。破損汚損されない限りはね」

 青年は再び穏やかに微笑んだ。

 そして風呂敷を恐る恐る鞄にいれて本屋の入り口を出たとき、ひゅるりと冷たい風が俺の周りを逆巻き、鞄を引っ掛けた右肩が少しだけ重くなったのを感じた。きっとこんな貴重な本を借りたからだろう。早くコピーして返さなければいけない。そうしないときっと……きっと? 一体何があるというんだ。けれど、これを早く返さないといけない。だいいち心が休まらない。

 そうだ店名、と思って振り返れば、そこには『芦屋書店』とあった。


Fin

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