店長の秘密

井上 幸

店長の秘密

 物悲しいメロディーが客の退店を促した。どことなく急ぎ足で棚の間を行き交う足音。まっすぐに出口へ向かう者や、レジ待ちの列に並ぶ者、時計をチラ見しながら棚を眺める者など様々だ。

 やがて音楽も鳴りやみ、閉店間際の騒めきも落ち着いて、シャッターが降ろされる。


「店長、締め作業終わったんで上がっても良いっすか」

「あぁ、はい。ご苦労さま。今日もありがとね」

「はーい。お疲れさまっす」


 店長と呼ばれた男は作業していた手元の紙やペンを片付けてぐっと伸びをした。彼以外の者はみな退勤し、店内は静まり返っている。

 閉店後、本に囲まれたこの場所でのんびりと珈琲片手に読書するのが店長である彼の日課だった。彼はちらりと時計を確認して席を立ち、給湯室パントリーへと向かおうとしたのだが。


『お待たせいたしました』


 ことり、と置かれたのは彼愛用のマグカップ。なみなみと注がれた珈琲が、ほのかに甘く香る湯気を彼の鼻先に運んだ。


「驚いた。ありがとう。今日は少し早くないかい」


 突然現れた老紳士に、驚いたとは言いながら自然と受け入れた店長が尋ねた。視線が再び時計の針を追う。

 老紳士は燕尾服を身に纏い、丁寧なお辞儀をして微笑んだ。


『ご主人のお仕事が、ひと段落されたようでしたので』

「ははっ、お見通しだね」


 ありがたくいただくよ、と続けて店長はマグカップに手を伸ばした。一口含み、ほうっと息を吐く。そして思い出したかのように口を開いた。


「あぁ、そうだ。今日はに相談があるんだけど、良いかな」

『もちろんです。ここはご主人の店ですから。読書は後になさいますか』

「うん、先に相談したい」

『…… かしこまりました』


 老紳士は一瞬動きを止めたが、すぐ何事もなかったかのように店内を一周し始めた。その間に店長は味わいつつも急いで珈琲を飲み干す。


『さぁ、みなさん。起きてください、お仕事ですよ』


 老紳士が足を止め、パン、パンと手を叩くと、棚のあちこちから音が響いた。並んでいた本たちが一斉に動き始めたのだ。棚から出たり、空中でページをペラペラめくったり、閉じたり開いたりと騒がしい。

 しかしそれらは徐々に終息していく。それぞれの棚の前に1冊ずつの本がふわふわと浮いている状態で、先ほどまでの静けさを取り戻した。


『代表の方々はお決まりのようですね。それではご主人、お願いします』


 じっとその様子を眺めていた老紳士は、みなが落ち着いたのを確認して声を上げる。促された店長はこほん、と一つ咳払いをしてから話し始めた。


「あー、おはよう」


―― パラパラ、パタン


「今日はに相談があるんだ。今度の新刊のレイアウトについてなんだけど」


―― バタン! バタン!

―― ペラペラペラペラペラペラ……

―― ガタッ! ガタッ!


「あ、待って。この店に呼ぶ新刊の候補は決まってて、場所だけ相談したいんだ」


―― しん、


「…… あー、なんかごめん」

『お気になさらず』


 静まり返った店内を見渡して、店長は困ったように溜息を吐いてから話を続けた。


「候補メンバーのリストを渡すから、ジャンルごとに意見を聞かせてもらえると嬉しいな。よろしくね。まずは文芸から」


―― パラパラパラパラ

『こちらの方は身目も良く、何より文体が美しい。平積みがよろしいかと』


 文芸の棚の前に浮いている本が、話をするように体全体で何かを表現すると、老紳士がその意味を言葉にして伝える。


―― パラパラパラ

『こちらの方の内容は他と一線を画しております。玄人好みの方かと。面陳列に推します』


「うんうん、なるほどね。ありがとう。じゃあ、次はビジネスかな」


―― パラパラ、ペラペラペラ!


 老紳士の眉間に皺が寄る。


『…… 参考にならないようなので、こちらは飛ばしましょうか』

「えっ、うーん。とりあえず、なんて言ってるの」


―― パラパラ、ペラペラペラ!


 老紳士は少しだけ何かを考えた後、諦めたように首を振って先ほどの動きを説明する。その間にも本のおしゃべりは止まらないようだ。


『そんな奴らじゃなくて、俺オレ! 俺を平積みしてよ。どうせそいつら俺らの二ば、…… 失礼。これ以降は控えさせていただきます』

「あはは、ごめん。ありがとう。じゃあ、次は児童書にしようか。穏便にね」


―― パラパラ、ペラペラペラ!


 棚を移動しても止まらない様子の本に店長も苦笑いだ。次の棚の前には大きいサイズでおっとりとした動きの絵本が浮いていた。


―― パララ、パラ

『難しいことは分からないけど、この子が好き! この子は可愛い! この子はちょっと怖そうだけど、お友達になれたら良いな。うーん、みんな大好き!』


 意外とおしゃべりだった。


「そっかぁ、うん。ありがとうね。じゃあ、次は……」





 そうこうしている内に夜は更けて、新しい本たちの居場所が決まっていった。

 話を聞き続けてお疲れの様子の店長にホットココアを用意するのが、老紳士のその日の最後の仕事。ひと心地着いた彼の様子を見届けて、老紳士は大事に大事に仕舞われている本の中へと吸い込まれるように消えていった。

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店長の秘密 井上 幸 @m-inoue

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