第15話 実物

アーサーから群青がその話を聞いたのは彼がまだ10歳前後のことだった。

「東の果てに君を待っている女性がいる。太陽に当たれないからイギリスには今は来られないから君も彼女もいまは会えない」

「その子ってヴァンパイヤなの?」

アーサーはまだ10歳の子だからと「そうだよ」と頷いた。


群青は17歳になった。

アーサーは改めて群青にその話をした。

「正式な依頼だ。スカーニーという僕の親友が君だったらと言ってくれた。書類は揃ったし、あとは君がサインをするか否か。どうする?」

「俺の他にもそういう人がいるんですか?」

「いる。だから君が必要なんだ」

「いや、そうじゃなくて。アメリカとかフランスとか」

アーサーは群青の賢さに一瞬面食らったものの、もうヴァンパイヤなんだよというようなまやかしが効かないことを同時に悟った。

この子はもう大人だ。

「話には聞いている。ジョセフが養子をもらった。ジョセフはそのつもりだろう」

「なるほど。ヴィクトーは?」

「彼は立場上不可能だよ」

「そっか、そうですよね」

群青はしばらく考えていた。沈黙の空間に焦りを感じるアーサーとその沈黙を利用して何かを探ろうとしている群青。ふたりの間を介在している東の果ての女性はアーサーも実はこの時点ではまだ会ったことがなかった。2014年のことだった。

「いいですよ。ちなみにだめだったらどうするんですか?」

「その時はその時だ」

「わかりました」

群青がその時何と何を比べサインに至ったのかはいまだにわからない。


あれから10年。群青は時空旅人を経て群青からスチュワートになり、めぐみと相対している。約束の日から約25年、それは基実や帝都と同じ時間の長さだった。

話に聞いていた女性とはかなり違う、スチュワートの第一印象だった。


「スチュワートってアーサーがいないと何もできないの?」

めぐみのものの言い方はいつも核心を最初についてくる。のらりくらりとかわす受身スタイルのスチュワートは努めて冷静に「どうして?」と理由を聞いた。

「だってあなた自分でノーって言えないじゃない。アーサーはあなたの相談役ではあるけれど、あなたの保護者ではないはずよ。あなた、いくつ?」


スチュワートはそもそも帝都や基実と会うつもりはなかった。共闘するような存在ではないし、自分の役割は契約書に書いてある通りだし、その契約内容に関しては帝都や基実と会うべきではないと判断できたからだ。


でも事情が違ってきた。聞くのとやるのでは全く違う。

一度、意見を聞かなければならない。一度だけでいい。一度だけ聞いたらもう2度と会わなければいい。

帝都がいい。彼は自分に似ている。

そう思ったスチュワートは帝都に依頼をした。しかし丁寧に基実に断られた。

「なんで基実が出てくるんだよ!俺は帝都に話があるって言ったんだ!」

珍しく自分の内側の皮が剥けていくのを感じた。帝都はまっすぐ彼を見て言った。

「めぐが言ったんだ。帝都が出ていくことはないって。お前もいつもアーサーに断らせてるだろう?」


赤壁の戦いを一度だけ読んだことがある。劉備と孫権。

劉備は基実で孫権は帝都だ。それならば、俺とジョセフの養子はどっちなんだろう。


本を読む時間はたくさんある。

すれ違う恵の姿を思い出す。あの目は誰も見ていない。

俺には本当に本を読む時間はあるのだろうか?


軍記はこうしてそれぞれの新しい章に突入して行った。




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