第9話 SDGs

糸は切れたら結び直せる。

でも、弦は切れたら元には戻らない。戻せない。

DNAは切ることができない。

絡みつく蛇がタトゥーであったらそれは消せるのかもしれない。

生物と鉱物とそれぞれにはそれぞれの性質がある


「バイオリンの弦が切れることってほとんどないんだけど、弓の糸は使わなければ使わないほどぽろぽろとほつれていくの。弓の糸は馬の尻尾の毛からできているんだけど。生物と鉱物ってこういうところでも違いが出てくるのかしらね?」


バイオリンを習っていたのは保育園から小学校5年生まで。子どもの習い事だから毎週嫌々通っていた。子どもの習い事だから弦が切れるほど練習をしたこともなかった。

あれから数十年が経過して実家に戻って懐かしくなってバイオリンの箱を開けたら、弓がボロボロになっていた。

まるで空き家の障子みたいな。荒屋って感じ。


あたしの実家は亜路村にある。養父母はこの8月に完全に消滅を言い渡されて今は空き家になっていると思っていた。

お盆は交通機関が混雑するからと8月の第一週に分散して帝都や基実くん、スカーニーや翠蘭さんと帰ることにした。スカーニーと翠蘭さんが養父の墓参りをしたいと言ってくれたからだ。

翠蘭さんが多胡開望のお姉さんだったという嘘を振り撒いたのはLeeだった。Leeは天村君子に頼まれたというし、天村君子はエルザ・ヨウから聞いたというし、多胡芳実は天村君子を守るようにLeeが勝手に言い出したことだと言った。それぞれの主張が食い違ってあながち嘘を言っている訳でもなさそうだから、関係者の誰もが全てを知っていた訳ではないらしかった。

亜種白路の中でも階級がある。そのどこに属しているかで知らされる情報の量も違ってくるのだろう。


翠蘭さんは実際多胡開望のお姉さんではなくて、スカーニーの奥さんだった。

母である黒沼衣子はスカーニーの彼女だったけど(婚姻前だったから)、公式発表はシンボリックにするというMjusitice-Law家のしきたりで山蘇野正良さんの奥さんという暗黙の了解を逆手に取られて多胡開望がフェイクニュースを流した。もっとも指示をしたのは亜種白路の麻野道信さんあたりだったと思うけれど。


亜路村の夏はとても良い。綺麗な星空、のどかな田園風景、エアコンを必要としない夜の過ごしやすさ、蛙の大合唱と田んぼに映る大きな満月。


「この家、スカーニーと翠蘭さんの別荘にしていいよ」

翠蘭さんは涙もろい。スカーニーは照れ屋だ。あたしの提案に沈黙を持って感謝を表現してくれた。


基実くんと帝都との思い出の土地は今はもう荒れ果てている。弓から綻び落ちる馬の毛のように。

滞在中に何人かの同級生に再会した。命乞いのために声をかけようと昔の調子で近づいてきたところを、帯同してくれているSPが射殺する。そんな場面が幾度か繰り返された。


養父は雪囲いをする時に針金をよく使った。ニッパーで切って、ニッパーで針金を丸めて固定する。春になって雪囲いを取ると、その針金も切り落とされて元に戻ることはない。

針金はゴミで出されて溶鉱炉に投げ込まれる。新しい命の原材料として再利用される。

目の前で射殺された同級生がかすかに息をしている。基実くんがしゃがんで髪の毛を掴んで話しかける。

「時代は変わった。勘違いするな」

地面に頭を叩きつけてその命は消えた。左吾の基実くんはやっぱりカッコよかった。


亜種白路は弦のようだ。切れるわけがないと誰もが疑わなかった。でも弦は切れたら元に戻らないということは誰も知らなかったのだろう。


あたしは亜路村が荒廃していく姿をベントレーの後部座席から見つめていた。

荒屋しか残っていないこの村に太陽が沈んでいく。

あたしが一番愛する時間、今がその黄昏時だ。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る