第9話 陰謀論の使い方

歴史上数多くの陰謀論が存在してきた。

それらはおよそ荒唐無稽であり辻褄が合わない。

なぜ辻褄が合わないか考えてみたことがあるだろうか?それらがすべて荒唐無稽であるからだ。


世の中に存在する数多くの陰謀論は辻褄が合わない。どこからどのように話の辻褄を合わせようかと陰謀論者は躍起になる。でもそれがうまくいかない。話の辻褄の結合部分や、コネクション部分がどうにも見つからない。

陰謀論者というのは大抵素人だ。自分で唱えるもののその問題に関しては末端の人間で精通しているわけではない。無論、その問題の中心人物でもないから注目を集めたく必死に陰謀論と向き合うのだろう。

陰謀論は科学化されない。陰謀論は荒唐無稽なありえない話として世の中に存在することに意味がある。


日本にはバカとハサミは使い用ということわざがある。ハサミはすり合わせるように使用することでよく切れるようになる。原理はなんてことはない、隙間を狭くすれば切れやすくなる、単純な話だ。


世の中のばかばかしい話をつなぎ合わせたからと言って陰謀論のパズルを完成させることはできない。コネクトする部分や回路には順序がある。順序を知ることができたものだけが陰謀論を最初から最後まで論理的に説明でき、辻褄が合った科学として論文を書くことができる。


世界には80億人の人々が今現在生きている。その統制をとるためにも79億9990万人が知らなくていい話が実に多い。アメリカやフランスやロシアに大統領がいて、日本やイギリスに首相がいて、中国に総主席がいる。それだけ知っていれば十分な人々だ。


時々、勘の良い人間が生まれることがある。彼らは不運だ。第六感が鋭敏であると、知らない間に辻褄を合わせてしまうことがある。奇跡だと呼ばれたのは今は昔。現代では科学的な根拠がなければすべて精神病院送りだ。

それもまたバカバカしい話の効力である。このような社会常識は非常に便利で我々はありがたく利用させてもらっている。


知らなくて良いことのほうが世の中は多い。少しでも知りたくて首を突っ込んでしまうとその首は切り落とされる。気づいたときには胴体だけが世界の端っこに転がっていて、世の中の人はそれを死体としてしか認識しない。

首を切断された人はすでにこの世で話す術を失ってしまった。後の祭りである。祭りは人間が行うものだ。後はこの世のものが上手に供養する。陰謀論の何某を知っている人間も知らないふりをすることで世の中はこのようにうまく回っている。


首を突っ込んでしまったが最後である。後戻りを試みた瞬間、首と胴体が分離してしまう。まあ、そこまで真剣に考えずとも後の祭りは我々が引き受けるつもりでいるから安心してほしい。このような仕組みを我がMjustice-Law家が作ってきた。

長い歴史の中でバカバカしい話に昇華してくれた世界の感性に感謝する。







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