私たちのことが本になりました。

アミノ酸をお団子に

第1話

 吾輩は本である。タイトルはまだない。

 意匠はまったくない。バーコードすらない、白無垢な本体(からだ)の本だ。ハードカバーで300ページぐらいのちょうど良さ。


 ひなびた書店の一つの棚に、適当においてあるのが吾輩である。

 周りのことは何となくわかるが、声を出したり動いたりなんてことはできない。唯一の外部への連絡方法は【ページに文字を浮かべる】ことだけ。しかも浮かべた文字は消えない。

 このページが、最初の1ページである。


「あ、珍しい。しゃべってる子だ」


 女の店員がやってきた。背が高く、すらりとしているこの書店の主の一人娘。ただ、近頃はこやつしか店員はいない。

 その店員は丁寧な手つきで吾輩を開いた。ちょうどここのページを読まれている。会話が成立するということだ。


「そうそう。うちの店ってちょっと変だから、君みたいな子はほかにも何冊かあるんだけどね。しゃべってくれる子はなかなかいないから嬉しいよ」


 であろう。ヴァージンスノーへの1文字目をさっくりかけるのは勇気がある個体のみ。吾輩のようなな!


「にしては仕入れてから1年しゃべってなかった気がするけど?」はいはいうるさい。


 この口うるさい店員は性格が悪いのかもしれない。おいやめろ本を大事にしろページを破ろうとするな。こわいこわい今絶対やぶれかけた本を大事にしろ! 口うるさいって言って悪かった!

 笑いながら美人の店員はページから手を離す。


「実際、この1年何してたの? 動けなくて暇だったでしょ?」


 そんなことはない。吾輩は近くの物はある程度わかる。それは閉じてある本であろうとだ。

 書店にあれば、いろんな本がでたり入ったりする。この棚と、裏の棚の本は読み切った。冒険ものの小説が沢山あって、常に新刊が読めるのはうれしい。


「へえ、君はそんなことできるんだ」


 本が入れ替わったり、立ち読みの学生がきたりしてなかなか興味深かった。まぁ、1年もいるとさすがに飽きてきたが。


「だろうね、じゃあこんどは別の本棚がいい? 実用書棚とか」


 なんだそのファンタジーは。実践ありきの本がファンタジーなのすごい嫌です。本虐待やめてください。こう、ストーリーがあるようなコーナーがいいです。推理小説もいいですね。


「ふふふ、なんで急に敬語。わかりました。じゃあ代わりになにやってもらおうかな?」


 ええ? 吾輩にできることは文字を綴ることだけしかないが?


「働かざるもの食うべからず、この場合は書をあさるべからず。例えばおすすめの本の書評とかを書いてもらうとか?」


 なるほど……一理あるが、すこし抵抗がある


「あれ? そうなの?」


 吾輩は文字を書き始めるにあたって、一つ決めたことがあるんだ。この人生ならぬ本生を、いかに過ごすか。いい本になりたい。語るすべてを書き記さざるをえないこの体であっても、きっと誰かに面白がってもらえる物語になりたい。それがたとえ日常であっても。

 書評ばかりの本になってしまえば、それは吾輩の物語とはとても思えんのだ。


「なるほどねぇ。だから私のセリフも書いてくれてるし、改行とかも入れてくれるんだ。しゃべるだけなら要らないものね」


 そういうことだ。吾輩の一人語りになると読めたものではないからな。物語にするため、おぬしのことも書いているのだ。改行が沢山あれば、あとから追記することもできる。


「なにそれ。ずるいじゃない」

 

 それはそうと、ここの女主人はどこへ行ったのだ? 

 おぬし以外にも店員がいて、そいつが吾輩のホコリをよくポンポンと落としてくれていたのだが、近頃みなくなっておる。というかおぬしも丁寧に掃除しなさい。


「ああ、母さん。半年ぐらい前に帰ってこなくなっちゃった。旅か何かに出たみたい。まぁ、あの人もたいがい変な人だからね。連絡もなしに旅に出てるなんて珍しくもないけど、ひと月もすれば帰って来てたから、少し心配かな」


 それは心配だな。

 そうだな、書評を書く代わりにその母の居場所の手がかりを教えよう。代わりに吾輩をいい本棚に置いてくれ。


「えっ……。いいけど、そんなことできるの?」


 できますとも。おぬしの母は、鍵付きの日記を持っていただろう。それをここに持ってくればよい。


「ああ、あの日記。あれも変な本だもんね。ちょっと待っててね」


 店員は5分ぐらいして持ってきた。鍵付きで、豪奢な装丁が施してある本だ。


「これがどうしたの? 鍵むりやり壊そうとしても壊せなかったんだよね。不思議な力?がはたらいてる感じ。壊してくれるの?」


 なわけあるかい。吾輩は本棚にしても本が読めるのだ。つまり、閉じた状態の本でも読める。以前この日記を読んだこともある。


「あっ」


 やはり、この日記には最後にどこに行こうとしていたか書いてある。山口県某所とのことだ。


「ほんと?」


 こんなことも書いてあるぞ。”愛しいわが娘へ。もしこの文が読めたなら、私を追ってきてもいいですよ。本を読んでるだけではわからない、面白いところへ案内してあげましょう" だと。


「へぇ!」


 おぬしの母親は、無事に楽しくぶらついてる感じだな。さぁ、いい本棚へ吾輩を案内したまえ。ぎりぎり隣の棚で読めてなかった話の続きが気になっているのだ。聞いておるか?


「じゃあ、こうしてる場合じゃないね、君も一緒に旅に出ようか!」


 ええ……? どうしてそうなるのだ?


「だってこの日記を読めたのは君の力、追うなら君の力がいるに決まってるでしょう。母さんそういう人だったから」


 藪蛇だったか! とりあえずあと数年はこの書店の本を読み漁ってやろうと思っていたのに!


「さぁ、ささっと準備してくるね! ちょっと臨時休業! おもしろくなってきた!」


 


 思えば、吾輩の物語はこの時から始まったのだ。

 過去の吾輩はここに大きな余白を残してた。きっと、これからの未来を期待したのだろう。

 その予感は正しく、ただの日常書きになる予定だった吾輩の物語が、とんでもない物語になるそうだ。ばかばかしくも胸躍る、そんな未来になるとは、この時は吾輩も、店員も、だれもが予想していなかった。

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私たちのことが本になりました。 アミノ酸をお団子に @amino_o_dango

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