わかり合いたいんだ
「あと5分だけいいかな」
私のお願いに、
「さっきも同じこと言ってたよ」と声のトーンを高くして冬華は応じた。
服の上から伝わる相方のぬくもりにソファの上から動くことができなかった。
「――ちょっと、痛い」申し訳なさそうに冬華がつぶやいた。
「ごめん」
気づかないうちに腕に力が入ったらしい。
「うん」
冬華は息をついた。
「私を好きなのはわかるけどさ。ちょっとこだわりすぎじゃない」
「どういう意味?」彼女の言葉にむっとして返す。
身体を離して冬華の顔を見る。
彼女は、目鼻立ちの整った、左右対称の卵型の輪郭の、いつも名前を忘れてしまうけれど、美人で通用しているさいきんも売れている芸能人にも似た魅力的な顔立ちをしていた。容姿に惹かれた面もあった。でもそれ以上に、彼女には、内面において深くつながりを得たいと期待させる何かがあった。
「早く帰れと」
「そんなこといってない」
彼女はちいさく首を振る。
わかってる。そんなことを言いたかったわけじゃない。夕方からずっと彼女の部屋に一緒にいるのに、セックスだけして、そのままずるずると時間を過ごしてしまった自分がやるせないだけだ。
「なにか不満があるの? 辛い顔してるよ。何かあるなら言ってほしい。言ってくれないとわからないよ」
彼女なりに何か察しているようだった。
伝えたいのに伝えられなくて胸の奥でもやもやしていることを、自分はどう解きほぐして表出すればいいのかわからない。冬華はわかってくれるだろうか。頭が混乱しそうだった。
こちらが見ているようでありながら、実際のところ、見ているのは冬華の方だったらしい。いつのまにか私は見られる側に回っていた。
「気づいてないと思う」冬華は言い出した。「抱き合ってるときも別のことを考えてるみたいで気持ちがふらふらしてる。私のことを見てくれてないのわかるんだよ。なにか不満があるの。私、将梧のこと、もっと知りたいよ。隠してることがあるなら言ってほしい。このまま今日、わかれるのいやだしさ」
頭がくらくらしていた。言葉が形をとってくれない。いま頭の中にある要素をそのまま目の前の彼女の頭に移すことができればどれだけ楽だろう。でも言葉にしないと何も伝わらないんだ。
「なあ冬華。俺のこと好きか」
とにかく確証が欲しかった。
「見たらわかるでしょ。好きに決まってるし」
「うん」
私の短い返答に、彼女は言葉をかぶせてきた。
「いつも私のこと気遣ってくれるし、優しいし、いざというとき頼りになるし、ずっと一緒に居たいって思ってる。比べるの悪いけど、これまで付き合った人にそんな風に思わせてくれる人、いなかったし。私は将梧の彼女になれてよかったと思ってるよ」
付き合って二か月。彼女にこんな風に言ってもらえてうれしくない彼氏などいるわけがない。それでもなお私は心にしこりを残していた。
時間をおいて、ふたたび彼女の顔を視界にとらえ直した。
「ちょっと聴いてもらえるかな――」私は覚悟を決める。
彼女は静かにうなずいた。真面目な話をすることがわかったらしい。
私は息を整える。
「話してなかったけど、子供の頃に俺の家、一家離散してるんだ。両親ともに行方不明。俺と妹は二人兄妹だったけど、別々の親戚の家に貰われて行った。両親が行方不明っていうのもわからない話で、詳しく話を訊こうとしても親戚は口をとざしてなにも教えてくれない。ただ、噂で聞くところによると、お互いに世間様に顔向けできないようなことをしていなくなったらしくてさ」
冬華は息をひそめて話に聞き入っている。
「それが犯罪なのか、不倫なのか、それ以外のなにかなのか、それもわからない。わからないから不安になる。俺も同じ血が流れてるんだって思うとさ。もしかしたら俺が知らないだけで、俺はいつか親と同じようにひどい理由で親しい人に寂しい思いをさせるんじゃないかって思えてきて、気が気でなくなってくるんだ。冬華のことは好きだけど、好きになったからこそ、いつかひどい思いをさせるようになるんじゃないかって思ったら、恐くなってきてな」
私は話しながら冬華の目を見続けることができなくなった。視線が落ちてゆく。
腿の上に置いている指が小刻みに震えているのがわかった。目頭が熱くなってきて必死でこらえる。泣くのはちがうとわかる。自分が泣くのはずるいことだ。
長いのか短いのか、幾分かの時間が経ったのがわかった。
視界の先から伸びてきたものが指に触った。柔らかく温かい彼女の指だった。しっかりとつかまれる。力が入っていた。私はされるがままになっていた。
「大丈夫だよ」優しい声が耳に入ってくる。「将梧は将梧だから。ね。お父さんやお母さんに何があったのかはわからないけど、いま私の目の前にいるのは将梧でしょ。お父さんやお母さんじゃない。私を見ていてくれればいいから。それに私だって褒められた娘じゃないし。父と母の反対を押し切って東京に出てきて、こうして大学に通ってるんだし。でも大学に通ったからこうして将梧と出会えたんだしさ。私たちは私たち。親は親。違う人間なんだからそこに囚われるなんて間違ってるよ。少なくとも私はそう思ってる。大丈夫。なんとかなるって」
冬華の言葉を聞いても、私はうなだれるばかりだった。自分の内側に呪われた何かがあって、それが分かちがたく自分としていまも存在するように思う。
「親戚がいうんだ。あんたはお父さんにそっくりだ。人の言うことを聞かないで、失敗したらしたで人のせいにする。反省することがない。自覚がなくてもわかる人にはそう見えるらしい。父は失踪する前、子供の頃の俺にも何度も手をあげた。その度に腹が立ったよ。でもムキになってやり返そうと思っても力では絶対にかなわない。我慢するしかなかった。よくいうだろう。そういう子供は大人になってから、他人に危害を加えるようになるって。だから俺もそうなるんじゃないかって思うとかなり恐い」
「私を殴るの?」冬華がこちらを強いまなざしで見ているのがわかった。
「殴らないよ。殴るつもりなんてない。そんなことするくらいならもう冬華の前から永遠に消え去ってしまいたい」
いまでは思ったことが口をついて出るようになっていた。
「強く思えば叶うっていうでしょ。それでは不安?」
冬華の言葉が慰めに聞こえる。
「そうか。そう思ってたんだね」冬華はため息を吐いた。彼女は私の指から手を放し、両掌で私の顔を左右両方から挟みこむように優しく触れた。
彼女の視線と私の視線が交差する。
彼女の視線は私の瞳に吸い込まれ、私の視線は彼女の瞳に吸い込まれた。
「将梧。――将梧、大丈夫。私たちは親の子だけどさ、違う人生を歩み始めてるじゃない。ちがう道を歩んでるんだって。不安だったら私がいるしさ、私が不安になったら将梧が支えてくれるでしょ。一緒に歩んでいこうよ。できるって。大学卒業したら一緒に暮らすでしょ。なんなら私は今からでもいいよ。一人で難しいなら二人でなんとかしていこうよ。できるって、ね」
私は冬華の顔をふたたび見た。彼女の両の瞳には涙が溢れていた。
それを見て、堪えていたこちらの目からも涙が零れるのがわかった。
声もなく再び冬華を抱きしめた。彼女も抱きしめ返してくれた。
あと5分ともいわず、満足いくまで互いの体温を感じ合った。
伝えたいことは伝えられた。
部屋を出る。
夜風は冷たかったが、いったん温まった気持ちは冷めることがなかった。
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