ようこそ、第三の人生へ

あいりす

老夫婦の来店

「おぉ、ここが噂のか。」

「聞いてはいたけど、とても本屋には見えないわね。ねぇ、貴方。」


今日も初めてのお客様がやってきた。車椅子の旦那様と、その車椅子を押す奥様。

2人とも物珍しそうに、店内を見渡している。

私も支配人歴は長くはないが、ここに来店されるお客様が、面白いほど似た反応をするのを幾度となく見てきた。


「いらっしゃいませ、黒澤様。ようこそ、お待ちしておりました。」


私はにこやかな笑顔を2人に向けて、深くお辞儀をする。


「こちら全て、当店が提供させていただいている本でございます。サンプルですので最終的な製品と形態は異なりますが、全く同じ体験をしていただけます。」


私の後ろに並ぶ、VRヘッドセットが入ったショーケースを指しながら、夫妻に店の中を案内する。


そう、ここは一握りのお金持ちだけが許された特別な本屋。本好きが誰でも一度は憧れることがあるだろう。物語の中に入ることができるを売る本屋である。


「こちらのショーケースに並んでいるのは、今人気の小説や漫画の世界を体験いただけるサンプルでございます。奥の部屋に、黒澤様専用にご用意したサンプルがございますので、どうぞこちらに。」


基本的にこの店は、個人向けに特注品を制作するスタイルだ。


「こちらが、事前にいただいた、黒澤様の思い出深い作品5本をもとに、それぞれ作成したものになります。そしてこちらの5本は、これまでの全読書歴をもとに作成した、当店オリジナルの物語となります。他のお客様の場合、好きなジャンルが偏っているため、オリジナルはそのジャンルで1本だけを制作することも多いのですが、黒澤様の場合、非常に幅広く嗜まれるとのことでしたので、特別に5本制作いたしました。」

「さすが、気が利くね。」

「恐れ入ります。」


黒澤様は10本のタイトルとあらすじをそれぞれ確認される。


「これ好きなんだよなぁ。正統派の歴史モノで、とにかくどの武将も格好良くてね。これ体験できるんでしたっけ。」

「もちろんお試しいただけます。」


失礼します、と一言断りを入れて、黒澤様にヘッドセットを装着させた。このサンプルは5分ほどで、クライマックスのシーンを体験できるものだ。


「奥様も何か体験されますか?」

「遠慮しておくわ。この人の趣味はどうも合わなくてね。」


奥様は苦笑いを浮かべた。


「それは失礼いたしました。」

「数年後、私の専用のものを作ってくださいな。」

「ちなみに、失礼ですが、奥様も本をお読みになられますか?」

「もちろんよ。この人はどちらかというと、感情優先のエンタメ文学しか読まないのだけど、私は純文学中心で、読んでもミステリーぐらいね。」

「ミステリーで言うと、辻島朝陽さんとか」

「あら、私の1番好きな作家さん。」

「え、私も大好きなんですよ!」


支配人の立場を忘れて思わず素が出てしまった。

んんっと咳払いをして取り繕う。


「特にデビュー当初の学生が主人公の作品が好きで。」

「まぁ!趣味が合うわね。貴方とは楽しくお話ができそうだわ。」


「これは素晴らしいね。本当に戦国時代にタイムスリップしたようだったし、違和感のある3D映像ではなく、限りなくリアルだ。

最近の技術革新は凄まじいな。」

「気に入っていただけたようで何よりです。他にも試されますか?」

「そうだな…。」


黒澤様は結局、全てのサンプルを体験された。その間、奥様とのガールズトークの花が咲き、いつもより楽しい時間を過ごす。


「最後にこの中から、お買い上げいただく商品をお選びいただきます。ただ、非常に大事なお買い物かと思いますので、じっくりお考えいただき、こちらの封筒に入れて、当店にお送りいただければと思います。」

「そうさせてもらうよ。いやはや。今日はとても良い体験ができた。」

「恐れ入ります。それでは、ご連絡お待ちしております。」


夫婦共に充実した表情で、店を後にした。


***


—5年後。


「それでは、処置を始めさせていただきます。」


技術者が、黒澤様の脳に電極を刺していく。

私の本屋を運営する株式会社人生は、独自技術により、脳の意識を抽出し、デジタル空間に再構築する技術を開発した。

その技術を使って提供する商品は、『第三の人生サード・ライフ』。肉体の限界が訪れらタイミングで意識を抽出し、物語の世界に再構築することで、顧客は第三の人生を歩むことができるのだ。


「奥様、旦那様の移植が無事成功いたしました。」

「貴方、良かったわね。どうか次の人生も楽しんで。」


生命維持装置を外し、ついに肉体的に死んでしまった旦那様を奥様は抱きしめていた。


ちなみにこの旦那様が最後に選んだのは、異世界のハーレムもの。今頃、才能が溢れ顔もいい男主人公として、女の子に囲まれながら、低難易度のダンジョンに挑戦することだろう。


「どうか、良い第三の人生サード・ライフを。」

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