あの日、あの本屋で·····

亜璃逢

第1話


「あれ、もしかして、おーく?」


 四国の左上、愛媛県の県庁所在地である松山市は大街道。ちなみに“だいかいどう”ではなく“おおかいどう”と呼ばれる商店街。

 その一番町側にある書店の3階だったか、ともかく専門書売り場で楽譜を見繕っていた私は、懐かしい声と呼び名に顔をあげる。


「え、もしかして、りこちゃん?」

「ほうよ、大学になってからここでバイトしよんやがね」

「ほうなんじゃ!いやーそうとうびっくりした。よぉ分かったね」

「だって、おーくそのまんまやけん(笑)」


 私、大久保奈美は、高校を卒業した後、音大進学のために大阪に住んでいて、春休みの帰省中だ。

 松山は、大街道か、この商店街を千舟町側に抜けた先から伊予鉄松山市駅までL字型に続く、銀天街という商店街を歩けば、大抵誰かに出会うといわれているほど、市の中心部はほどよくこじんまりまとまっている。


「りこちゃんは、松山のままなん?」

「ほうなんよ。大学も松山やけん、ずっとこっちよ。」


 りこちゃんこと、更科璃子は、そんなふうに笑った。

 彼女とは私立の小中学校の同級生で、小学校ではMコンを目指して、また、市の少年少女合唱団でも中学まで一緒に歌った仲間だ。え、中学?指揮の先生が苦手すぎて帰宅部を選んだから、そこは一緒じゃない。


「りこちゃん、バイト何時まで?」

「今日は5時。もうちょっとで終わらい。」

「ほれやったら、それまで本探しよるし、待ちよるけん、お茶でもせん?」

「ええね!そうしょーや!」


 彼女のバイトが終わるのを待って、斜め向かいの巴里屋というお店で話す。中学卒業以来の再会だから話は尽きない。気づけば夕食時間もすぎ、少し関西弁に染まっていた私のことばもすっかり伊予弁に戻っていく。


「あっというまやったね~」

「そのことよ! あ、ねえ、おーくは明日なんしょん?」

「ん? 明日? 特にないんよ~。まあ、週末には大阪戻るんやけど」

「え~、ほんなら、明日遊ばん?」

「かまんよ!」


 かくして翌日もまた大街道で合流し、ふたりでぶらぶら歩いていたのだが、彼女が古くからある画廊の前で足を止めた。


「ねえ、これ、藤波先生じゃないん?」

 画廊の前に建てられているスマートな看板に、中学時代の恩師の名前が書かれている。個展中のようだ。


 風紀委員担当の先生のくせに、ちょっと茶色にも見えなくないサーファーカットで、文化祭ではエレキギターをギュイーンと奏でていた“ふじっち”。バレンタインのお返しに七宝焼きのキーホルダーを作って返してくれてた、男女共に人気の美術の先生だ。


 2階にある画廊へと続く細い階段をあがる。残念ながら、先生の在廊時間ではなかったが、お嬢さんと息子さんが我らの母校の制服で迎えてくれた。


 実は、中学時代、漫画家になりたくて、先生に頼み込んでデッサンをみてもらっていたことを、りこちゃんは知らない。別のクラスだったときに、浮きがちだった私が、高校になって友人たちと遊びに行った時、ふじっちが、「大久保は、あれやな、今はなんか、生き生きしとるな。音楽選んでよかったな」と言ってくれて泣いてしまったことも。


「こういう絵を描く人やったんやね」

「うん、なんか、イメージじゃないわい」

「ふじっちのくせに」

「あはは」



 りこちゃんと二人、ふじっちの絵の前でそれぞれ中学時代の思い出に浸り、画廊をあとにする。この2日だけで、忘れていた記憶まで、中学時代のことを一気に思い出したようだ。


*  *  *


 ちなみに今これを書いているのはこの日から丸〇十年後。お約束だが○の中は聞かないで欲しい。


 りこちゃんとは細々とにはなったがやり取りが続いているし、彼女のおかげで中学の同期や先輩後輩とびっくりするほど連絡を取っている。先日も大阪マラソンに出走する中学同期を関西に居る仲間で応援してきたところだ。


ふじっちは日本でも有名な美術賞の審査員となり、関西の美術館で作品が展示される時はSNSでメッセージが届く。


 もし、あの日、あの時、あの本屋にでかけなければ……。ふふ。

 だって、全国的に知られる大手書店やほかの本屋の方が実家から近いのだから。


 たらればは尽きないけれど、本屋は本だけ売ってないなってことは、なんとなく、思う。


 しかし、”おーく”って、樫の木のイメージだったけれど、今なら異世界転生もののライトノベルに出てくる魔物扱いだな(笑)

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あの日、あの本屋で····· 亜璃逢 @erise

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